「郷田君が入ったばかりのころあんな感じでしたから」

将棋世界1986年5月号、銀遊子さんの「関東奨励会便り」より。

 小学生名人戦を観戦した時、その手の早さというものにドギモを抜かれた思い出がある。なにしろ、一手5秒などというのは当たり前で、1分ほどもジッと考えればそれはもう長考の部類に入ってしまうという、恐ろしいほどの早指しぶりだったのだ。

 それでも、トップクラスは優にアマ四、五段の高いレベルにあるのだから、その早見えの才能には舌を巻く。居合わせたプロ棋士が「10秒将棋なら僕らも自信ないですね」と言ったほどだ。

 小学生名人戦の舞台から奨励会に入ってくる少年は多い。先ごろ卒業した、スーパースター候補羽生善治四段は、優勝を機に奨励会入りした代表格だし、他にも達正光現四段、庄司現二段など有望組が目白押しだ。

 窪田義行5級は昭和59年度の小学生名人、野月浩貴6級は60年度の小学生名人である。この二人が対戦しているので、さてどのぐらい成長しているかな、と興味を持って見てみた。―ところが、結果は正直に言ってガッカリさせられるものであった。まるでプロらしいところのない、雑な将棋だったのである。

 手の内容をいっているのではない。一局の大事さがまるでわかっていないような指しぶりのことを言っているのである。他のみんながまだ序盤を指している時間帯に、この二人だけは早くも終盤に突入し、二人ともついに一度たりとも手を止めることなく終わってしまったのだから、見ていて唖然とした。消費時間は二人ともたったの10分程度。これでは昼休みの縁台将棋と同じではないか。13歳と12歳だから無理もない、といえばそうなのだろうが、一局指すごとに強くなるはずのこの時期、ただ本能のままに指していてはもったいないのではないかとオジサンは思ってしまうのである。

 滝幹事いわく、「まだ子供将棋大会と同じ気分で指していますね。でも、あの気分からぬけられればすぐ強くなりますよ、郷田君(現二段)が入ったばかりのころあんな感じでしたから」

 この見立てが的中してくれることを祈りたい。

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将棋世界1986年6月号、銀遊子さんの「関東奨励会便り」より。

 先月号で「プロらしいところがまったく感じられない」と評した窪田、野月の両君が、奮起したか早速一階級ずつ上がって見せてくれた。これだから子供のパワーは凄い、とあらためて思う。

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窪田義行5級(当時)13歳、野月浩貴6級(12歳)の時。

奨励会幹事の滝誠一郎六段(当時)が、「郷田君が入ったばかりのころあんな感じでしたから」と語っているが、まだ二段なのにそのような話の引き合いに出されるほど、当時から郷田真隆二段(当時)への期待が大きかったということだろう。

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銀遊子こと片山良三さんは、故・花村元司九段門下で、この時は既に奨励会を退会していたが、この文章は、弟弟子にあたる窪田義行少年への叱咤激励の意味も込められていたのかもしれない。