二上達也九段「どうも私の目が高かったというより、運が良かったということのようで」

近代将棋1985年10月号、若谷純さんの「駒と青春 大器あいうつ」より。

「A級八段はまず間違いないでしょうね」

 毎月一度、報道関係の記者らが参集する、東京将棋記者会なる会合がある。将棋連盟との意見のやりとりや情報交換の後は軽く一杯やりながらの懇親会となるのが定跡となっている。冒頭の言葉は、その席上での二上達也九段のものである。居並ぶ記者連は、一様にオッ!という表情になった。こういった類のことはめったなことでは口にしない二上九段が太鼓判を押したのである。

「羽生君は、そ、そんなにですか」

「間違いなしの大物かあ」

「さすがは、お目が高い」

 皆が嘆声にも似た口調で、言を発する中、二上九段はにこやかに続けた。

「いえいえ、弟子にとる前から分かっていたわけではないんですが、どうしても弟子にしてくれというのでね。その熱心さがあるなら大丈夫だろうと弟子にしたのですが、しばらくして将棋を見て、コレハ、と感じたわけでして……。どうも私の目が高かったというより、運が良かったということのようで」

 どうしても、というところでは、これも大物と目されている中田功の入門もそうであったと記憶している。昭和55年が明けて間もない頃のことである。

「どうしても、先生の弟子にしていただきたい」との旨の手紙が大山康晴十五世名人のところに舞い込んできた。この2月に大山十五世名人は”船の旅”で九州に行くことになっていた。福岡の天才少年は、同行した関根茂九段と飛香落を指した。

「これなら大丈夫でしょう」

 九段のお墨付きをもらって、めでたく入門が許されたのである。

(以下略)

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羽生善治九段が三段になって3ヵ月目(四段昇段5ヵ月前)の頃の東京将棋記者会懇親会での会話。

「A級八段はまず間違いないでしょうね」

師匠であり、また将棋界の紳士である二上達也九段の言葉なので、かなり控えめな表現なのだと思う。

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「羽生君は、そ、そんなにですか」

このように驚く記者がいたとは意外な感じがする。

藤井聡太七段の三段時代、「藤井三段はA級八段はまず間違いないでしょうね」と言ったとしても、そのように驚く人はほとんどいなかったのではないだろうか。

現代であまり驚かなくなったのも、羽生九段で経験済みだから、と考えることもできる。

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二上九段は当時、羽生少年が通っていた八王子将棋クラブの顧問をしており、そのような縁から羽生少年は二上門下となった。

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この当時の羽生三段の自戦記。

羽生善治三段(当時)の初自戦記