将棋世界1986年3月号、銀遊子さん(片山良三さん)の「関東奨励会だより」より。
先だってアッという間に奨励会を駆け抜けていった羽生善治が出現する以前には、”天才少年”といえば米長十段門下の先崎学の頭の上につく形容詞と決まっていたものだった。
ところがこの先崎、11歳6級で入会以来、初段までは周囲の期待通りに順調に上がってきたものの、なぜかそこでバッタリ足を止めてしまったのである。
原因は、そんなことは第三者にはわかるはずがない。本人だってなにがどうなったのかわからないうちに後から来たヤツラにどんどん追いつかれ抜かれていくのを不思議に感じていただろうから。ただ、率直に感じたままのことを言わせてもらうと、先崎の将棋には以前の勢いがなくなったということだけは断言できると思う。「将棋にナキが入って強くなった」とはよく聞くセリフだが、先崎の場合はナキが入り過ぎて持ち味までけずり取られてしまったという気がするのである。
その先崎が、羽生が抜けていったのを見て吹っ切れたか、久々に上がり目を作った。村松(公)を破って通算7連勝を果たし、昇段の一番を迎えたのだ。元祖天才少年の復活か、これは見逃すわけにはいかない。
相手は昨年有段者の勝率部門で第2位をとった豊川二段。この豊川も先崎にとっては後輩で、2級の時に6級で入ってきたはずなのに、いつの間にか地位が逆転しているのだから勝負の世界は恐ろしい。過去の対戦成績は、豊川がなんと6戦全勝なのだという。これは後で聞いたのだが、そういえば先崎ははじめからイヤそうな顔をして指していたことを思い出した。いわゆる「天敵」の関係になってしまっているらしい。
なるほど、出だしから先崎のデキがよくない。豊川は負けるはずがないと思って指しているし、先崎はまた勝てないんじゃないかの気持ちが底にあるからその差が出てしまう。それでも2図は先崎がかなり盛り返した場面。しかし、次の一手が問題でまたダメにしてしまう。▲5九香が、△5四馬を消して好手のようだが敗因。
(中略)
どうも、元祖天才少年もガッツ豊川には分が悪いようであるが再始動の手応えは十分ある。今後の動向を注目したい。
—————-
私の話だが、学校の授業を真面目に聞いていれば、家に帰ってからそれほど勉強しなくても良い成績を取れていた時代があった。
それが小学1年から中学2年まで。
ところが中学3年の1学期になったら、学内での成績順位が急に下がり始めた。
私自身は何も変わっていなかったので、最初はなぜ自分の順位が下がったのか、原因がわからなかった。
周りが高校受験に向けて頑張り始めたのだという、非常に当たり前なことに気づくのは、第一志望の高校に落ちて、第二志望の高校へ入ってからだった。
思い出すと、塾などにはもちろん通わず、参考書や問題集も買わず、勉強時間もあまり変わらず、従来通りのスタイルを続けていただけだった。この頃は将棋にも夢中になっていた。
—————-
先崎九段の著書によると、この頃の先崎少年は麻雀、パチンコをたくさんやって、タバコや酒も覚え始めたのだという。
先崎学九段と私を比べたらバチが当たるが、先崎少年の場合、才能だけで(私の場合は学校の授業を真面目に聞くだけで)、順調に進めたのは初段まで(私の場合は中学2年まで)ということになる。
—————-
しかし、それも人生。
そのような過程を経てきたからこそ、現在の多才な先崎九段が生まれたのだと思う。
私も、第一志望の高校に受かっていたら、そのままのスタイルが続き、何も気づかなかったと思う。
もっとも、先崎九段がすごいのは、遊びはそのまま続け、将棋に対する取り組みを強めて、四段になったこと。