郷田真隆二段(当時)の自戦記「失敗を恐れずに」

将棋マガジン1986年4月号、郷田真隆二段(当時)の自戦記「失敗を恐れずに」より。

 この将棋は、二段になって2局目の将棋で、初の三段との平手戦です。

 僕の「攻め」の将棋がどこまで通じるか、楽しみにしていた対戦です。

昭和60年12月18日
▲二段 郷田真隆
△三段 石川陽生

▲7六歩△8四歩▲6八銀△3四歩▲7七銀△6二銀▲4八銀△4二銀▲7八金△5四歩▲5六歩△3二金▲6九玉△4一玉▲3六歩△7四歩▲5八金△5二金▲3七銀△5三銀右▲2六歩△3三銀▲6六歩△4四歩▲7九角△4三金右▲4六銀△3一角▲6七金右△4二角▲1六歩△1四歩▲2五歩(1図)

序盤の進歩

 僕は、序盤はあまりうまくないけれど、序盤の型を多く知ろうとは思わない。

 何故なら、序盤は自分の意志が表現できるところだと思うからです。

 それなら、自分の意志が表現できるところならば、僕は自分で考えた、自分の序盤をしてゆきたい。

 そして将棋誕生以来、少しずつ変化し、進歩している序盤を、僕はこれからも、もっともっと進歩させなければならないと思う。

1図以下の指し手
△5一角▲6八角△7三角▲3七桂△3一玉▲7九玉△2二玉▲8八玉△9四歩▲1七香△9五歩▲8六銀△6四歩▲1八飛△6二飛▲7七桂△8二角▲5五歩△同歩▲1五歩△同歩▲3五歩△5四銀▲1五香△同香▲同飛△1四歩▲1六飛△6五歩▲同歩(2図)

総攻撃開始

 さて、将棋は僕の飛先不突矢倉で始まりお互いにけん制しあって、1図になるわけですが、手順中▲1六歩に対して△1四歩としたので▲2五歩と突く気になりました。△1四歩を突かなければ、本譜のようにはしないつもりでした。

 ▲7七桂まで、攻撃、防御の準備は完了しました。あとは仕掛ける一手!

2図以下の指し手
△8五歩▲同桂△6五銀▲6六歩△5六銀▲3四歩△同銀▲3三歩△同金寄▲5四歩△6七銀成▲同金△5六金▲7八銀△6七金▲同銀△6五歩▲同歩△6六歩▲同銀△6七金▲5三歩成△6八金▲6二と△5六歩▲5五歩△6九角(3図)

手拍子の悪手

 △6五歩に▲同歩(2図)は負けていれば敗着。

 いちばん大事な所で全く読みが入っていなかった。

 ここは▲6五同桂と取り、△6四歩には▲5三桂成△同金▲3四歩で少し指せていた様だった。

 △8五歩を▲同桂ではつらい(▲同銀は△9三角)。仕方がないので、▲3四歩~▲3三歩~▲5四歩。これは焦らせる作戦。勝負手のつもりだった。

 が、これもまた読み抜け。△5六金で△6五歩▲同歩の交換をしてから、△5六金で決まっていた。

3図以下の指し手
▲7九香△7八香▲1八飛△6七歩▲7七玉△7九香成▲7五歩△4七角成▲1三歩△同桂▲5一飛△3一歩▲8一飛成△4六馬▲8二竜△3七馬▲6三と△1五香▲1六歩△8一歩▲7三竜△2七馬▲1九飛△1六香▲2九飛△6三馬(4図)

終盤の競り合い

 ▲6二とあたりから1分将棋。

 △6九角。これには困った。受ける手がまったく分からない。

 何が何だか分からなくなって▲7九香。△7八香、このとき▲7七玉とするつもりだったのだが△5八角成でダメ。仕方なく、あわてて▲1八飛。ここで石川さんも1分将棋。

 ここでシャレタ決め手があった。△3八歩。これを逃してからはもう泥仕合。しかし、序盤と同様、すごく神経を使うところでもある。

4図以下の指し手
▲7六玉△7二銀▲8四竜△5七歩成▲同銀△5八金▲6六銀△6八歩成▲7四歩△9二桂▲9四竜△8二歩▲7三歩成△同銀▲同桂成△同馬▲7四歩△7二馬▲8五竜△8三歩▲6四歩△8四歩▲6五竜△5三桂▲6三歩成△9四馬▲7五玉△6五桂▲同銀△8五歩▲2六桂△2五銀▲3四歩△同金▲5一角△8六歩▲3四桂△同銀▲2六桂△4三銀▲1四桂(最終図)  
まで、157手で郷田の勝ち

目標・抱負

 △6三馬や△9四馬、ヒヤッとする手があったけれど、なんとか勝つことができた。

 僕の目標は、名人になることと、もう一つ升田先生や米長先生のように、将棋史にのこる新手を多く指すことです。

 そのためには”努力”これしかない!

 そして、僕はこれからも、序盤から主導権を握って、ガンガン攻めていくつもりでいます。

「失敗を恐れずに」

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羽生善治新四段が誕生して、佐藤康光初段、先崎学初段、森内俊之初段の頃。

郷田真隆九段は、奨励会に入った当初は負けが多く、羽生世代で唯一7級に落ちたが、その後、猛烈に勝ちだして、羽生四段を除く羽生世代の中では最も早く二段に昇段している。

郷田真隆2級(当時)「原因不明なんです」

しかし、二段になってから四段になるまで、4年3ヵ月と長い期間がかかった。

ごく普通にごく普通の話をするけれど、それでいてどこか秘密めいた部分がありそうな雰囲気の郷田真隆四段(当時)

1990年3月、郷田真隆四段誕生の日

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「僕は、序盤はあまりうまくないけれど、序盤の型を多く知ろうとは思わない。何故なら、序盤は自分の意志が表現できるところだと思うからです。それなら、自分の意志が表現できるところならば、僕は自分で考えた、自分の序盤をしてゆきたい」

「僕の目標は、名人になることと、もう一つ升田先生や米長先生のように、将棋史にのこる新手を多く指すことです」

「そして、僕はこれからも、序盤から主導権を握って、ガンガン攻めていくつもりでいます」

三つ子の魂百まで、昔から郷田九段は格好いい。