将棋界の初代番長

将棋世界1988年10月号、駒野茂さんの「関東奨励会レポート」より。

 最近、少しずつだが頭角を現して来たのが三浦1級だ。62年7月入会から8月25日までの成績は51勝28敗。順調な足取りで昇級している。8月25日の例会では、「あれ、9勝3敗だ」などと成績表を見ながら、人ごとみたいな口調で幹事に報告しているところはなかなかの大物振りだ。

 体格のよいことから”番長”とアダ名されている三浦1級。この先の成長が楽しみだ。

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9勝3敗は、6級~1級までの昇級点であるので、1988年8月25日の例会で三浦弘行2級(当時)が1級に昇級を決めた日であることが分かる。

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「ハマの番長」と呼ばれた横浜大洋ホエールズの三浦大輔投手がプロ入りしたのは1991年のことなので、三浦1級は三浦つながりで番長と呼ばれていたわけではなく、純粋な意味で番長と呼ばれていたことになる。

この時、三浦1級は14歳で中学2年生。

少年時代の三浦弘行九段は、かなり腕白だったと伝えられており、この頃も腕白な時期だったものと思われる。

「中学生当時の三浦君は、口はへらぬし、ガサゴソ動きまわるしの腕白小僧で、およそ将棋が強くなりそうには見えなかった」

戦慄の三浦弘行研修会員(当時)

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現在の将棋界で「番長」と呼ばれているのは香川愛生女流王将。

朝日新聞の取材によると、香川女流王将が小学生の頃、男の子に引けをとらない負けん気の強さから先輩の一人に番長と呼ばれていたという。

その後、日本将棋連盟モバイルでコラムを書く際に、このことを思い出して「落し物バンチョー再来!」というタイトルをつける。

そして、2013年8月、初出演のニコニコ生放送で、「落し物バンチョー再来!」が紹介されたことがきっかけで番長のあだ名がついたという展開。

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番長の発祥は1960年代の埼玉県の高校だった、と昔の本で読んだことがある。

ある高校の生徒が、別の高校の生徒に金品を脅し取られたり暴力を振るわれたりすることが多発していた。

それを見かねた被害を受けている側の高校の腕っ節の強い不良生徒達が、報復および防衛に立ち上がり、そのリーダー格が番長と呼ばれるようになったとされている。

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映画やテレビで「番長」が初めて取り上げられたのは、1968年からシリーズ化された梅宮辰夫さん主演の東映映画「不良番長」シリーズ。

番長が不良なのはデフォルトなので、不良番長という言葉は不思議な感じがする。

同じ東映から封切られた大信田礼子さん主演の「ずべ公番長」シリーズは、ずべ公=素行の悪い少女で、女番長がすべて素行が悪いとも言い切れないので、不良番長とは異なる意味合いになると思う。

ちなみに、この二つの映画の主人公である「番長」は、高校生ではなく社会人だ。

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