将棋世界1985年2月号、巻頭グラビア「第1回♪♪ 駒音コンサート」より。
日本楽団将棋連盟の名を皆さんご存知だろうか。山本直純氏や岩淵龍太郎氏、岡村喬生氏といった将棋好きの音楽家ばかりが集まった将棋サークルである。この楽団将棋連盟と日本将棋連盟の棋士が合同でコンサートを行った。12月4日に東京虎ノ門のイイノホールで行われた「第1回駒音コンサート」がそれ。
当日は内藤、谷川、米長、加藤といった将棋界の一流棋士たちが総出演。棋士ののど自慢大会や楽団将棋連盟のメンバーによるオーケストラ演奏がにぎやかに繰り広げられた。
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☆将棋も強ければ歌もうまい。郷ひろみの”哀愁のカサブランカ”をうたった谷川名人は森安八段と並んで五段と認定され、ここでもトップに立った。
☆”上海帰りのリル”を熱唱する米長王将。1ヵ月前からこの日のために特訓を重ねたおかげで、加藤一二三王位と並んで三段と認定。(ちなみに二段以下はいない)
☆司会の山本直純さんと大内九段。大内九段はオーケストラの指揮に挑戦。
”☆この道”をトツトツと歌った加藤一二三王位。面白さでは最高ケッサクだったとの評しきり。三段と認定された。
☆マイク二上の歌は”歩”。やや調子が出ず三段と認定され、本人ガックリ。
☆役者やのー芹沢九段。”あこがれのハワイ航路”を熱唱。四段と認定。
☆田中寅ちゃんは和服で谷村新司の”昴”を激唱。四段と認定されたが、ライバルの谷川名人に負けて「アツイ!」
☆ご存知、歌手の内藤九段。この人は別格で”古城”をうたってから審査員席へ。
☆兄弟子内藤に劣らぬ渋いノドを披露した森安八段。”兄弟船”をうたって見事五段と認定された。
(写真は中野英伴さんが撮影されたものの一部)
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年末の風物詩だった駒音コンサート、その第1回の模様。
歌の段位が認定されたのは第1回だけだったようだ。
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1984年は、将棋界でいえば渡辺明棋王、村山慈明七段、村田智穂女流二段、野田澤彩乃女流1級が生まれた年。
アメリカでは、アップルコンピュータがマッキントッシュを発表して、ロサンゼルスオリンピックが開催された。
東京・有楽町のマリオンが完成し、新紙幣「1万円札福澤諭吉」「5千円札新渡戸稲造」「千円札夏目漱石」が発行され、写真週刊誌「フライデー」が創刊されたのもこの年。
第1回駒音コンサートが行われた1984年の12月というと、私が生まれて初めて飛行機に乗った時でもある。
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1984年12月17日、羽田→福岡便が初めて乗った飛行機。
座席がキャビンアテンダント席の向かい側というビギナーズラック。
その後、一度もそのような席には座ることはできていない。
12月19日、福岡→羽田便。かなり座席が空いていて、富士山上空を通る時に、キャビンアテンダントが「これから夕焼けに映える富士山が見えますよ」と話しかけてきてくれた。突然だったので、私は「ああ、そうですね」としか話すことができなかったが、まだ、ビギナーズラックは続いていたようだ。
しかし、その時に一生分のビギナーズラックを使い切ってしまったのか、その後の人生で、初めてやったギャンブル系はことごとく負け続けている。
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