将棋世界1983年4月号、「今期3人目の新四段 心優しき青年 井上慶太四段」より。
大野八一雄、加瀬純一両四段に続き、今期3人目の新四段が誕生した。19歳になったばかりの井上慶太四段がその人である。
2月4日、神吉宏充三段に逆転勝ちし13勝3敗の成績で昇段。関西奨励会では1年2ヵ月前の西川慶二四段以来、久しぶりに卵がかえった。
「昇がった時はボーッとして何がなんだかわかりませんでした。日が経つにつれ、だんだん実感が湧いてきました」
と優しい笑顔を見せる。続けて、
「その日、うちを出る前に新聞の占い欄を見たら”いいことあり”と書いてあったんです。そしたら、当たる予定だったニガ手の有森浩三三段が風邪で休み。幸運でした」
最初、彼を見た時”本当にこの人は将棋を指すのかしらん?”と思った。どこかしらひ弱い感じがして、”鬼の棲家”の奨励会で死闘を演じてきた人とは到底思われなかったからだ。しかし、これはとんだ間違いだった。
「(そういうふうに見えて)彼はものすごく意志が強いんですよ」と兄デシの谷川浩司八段が太鼓判を押す。「それに将棋も強い」と研究会仲間の脇四段が補足してくれる。
「谷川八段を尊敬しています。実に面倒見がよくて、優しい先生です」
将棋は西宮市広田小学校3年の時、父親の宏さん(アマ3級と井上四段)から手ほどきを受けた。以来、急速に将棋にのめり込んでいくようになる。53年、神戸市高倉中3年の時、第3回中学生名人戦に出場。決勝で達正光君(奨励会三段)に敗れ、惜しくも2位。しかし、これで自分の行くべき道がボンヤリと見えてきた。翌年、星陵高校1年生で高校選手権に出場。優勝した古作登君(奨励会1級)に敗れたものの、3位。その年、奨励会入りし、高校も1年で中退した。
「奨励会時代はつらいことや苦しいことが多過ぎて、楽しい思い出はあまり…」
という彼だが、54年10月入会以来3年とちょっとの猛スピードで突破。アマ時代には負けた達君や古作君を、プロでは追い抜いた。
「真っ先に両親に報告したら『良かったネ』と言ってくれました」
居飛車一本槍で、攻めと受けが五分五分の棋風と、自分の将棋を語ってくれる。
幹事の東五段は「井上君はのんびりした性格でみんなに好かれるタイプですね。将棋は攻めに鋭いわけでもなく、受けに渋いわけでもない。一言で言えば平凡な将棋。しかし、将棋に対する姿勢、考え方がすばらしい。つまり、自信のある局面でもこっちがいい、あっちが悪いと簡単に結論を出さず、どこまでいっても将棋はむずかしいものだということを、身体で知っているんですね。そこがいい」
映画が好きだという。「洋画はほとんど見ています。邦画はあまり見ないんですが『蒲田行進曲』は良かった」
最後に、これからの抱負をたずねると、
「やっとスタート台に立ったばかり。一歩一歩前進して、一瞬たりとも立ち止まらないようにしたい」ときっぱり。
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井上慶太四段のプロフィール欄には、兄弟は妹さんが一人いて7歳と書かれている。井上四段は12歳年下の妹さんについて、「妹じゃなく、娘という感じですね」と述べている。
1991年に神吉宏充五段(当時)が書いた文章に、この妹さんが登場してくる。
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当時の奨励会幹事の東和男五段(当時)のコメントが面白い。
井上四段の本質的な素晴らしさ、強みが浮き彫りになっている。
だからこそ、3年と少しという非常な短期間で奨励会を卒業することができたのだろうし、その後の活躍にも結びつくのだと思う。