近代将棋1990年7月号、故・池崎和記さんの「福島村日記」より。
某月某日
オールスター勝ち抜き戦の米長・村山戦を見に行く。急戦相掛かりから米長王将は飛車を5筋に転換。名人戦第3局は中原流▲5六飛(▲5七歩型)が大きな話題を呼んだが、米長流は▲5五歩-▲5六飛型。ただ玉が5八にいるので、こちらもかなりの珍形だ。王将は村山陣の一瞬のスキを衝いて速攻をかけ、それが見事に決まって快勝。これで6連勝。
感想戦で王将が「相掛かりはよく研究してるんだろ」と言うと、村山さんは首を振って「いえ、研究は……」。王将は「研究してないと指せないだろう」と笑っていたが、私は村山さんの言葉にウソはないと思う。彼は今まで二百円以上の駒を買ったことがない。そんな駒でコツコツ研究しているとはとても思えないのだ。ただ、彼は連盟に来て棋譜を並べることが多い。たぶん、それが村山式勉強法なのだろう。「研究」といえるかどうかわからないけれど。
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昔はおもちゃ屋などで、100円位で将棋の駒(紙の盤付き)が売られていた。
押し駒(スタンプ駒)が中心だったと思うが、昭和40年代までは手書きの駒も多かった。昭和30年代までの天童の主力商品がこれらの駒だった。
駒木地は、まき(マユミ)・ほお(ホオノキ)・はびろ(ハクウンボク)・あおか(ウリハダカエデ)・いたや(イタヤカエデ)から作られていたという。
現在は650円~1000円台の値段となっているが、今見ると、小学生の頃を思い出してしまうような懐かしさに溢れている。