将棋世界1985年10月号、銀遊子さん(片山良三さん)の「関東奨励会だより」より。
中田宏樹三段11勝3敗、羽生善治三段5連勝、という事実上の昇段決定戦と見られた大一番が7月の最終局として行われた。
これが期待にたがわぬ大熱戦になったのである。
まず1図をご覧いただきたい。相矢倉から中田がやや指し易いかという局面だったが、羽生が頑張って図では形勢不明である。しかし、対局中はお互いに「自分が点数不足ではないか」と思っていたそうで、持将棋成立にはもう少しの手数を要した。
この1図のころ、時刻はすでに午後6時すぎ。普通ならみんな帰り支度を始める時間である。
図以下、△3七玉▲9一成銀△5七銀▲同金△同金▲8三玉△5五金▲7五馬△5六馬▲7二玉△4六歩▲8六金△4七歩成▲8三歩成△2八銀▲9三馬△1九銀成▲9五歩までで持将棋。ここまで進めてみると駒数はほとんど同点であったことがわかる。かくして、大一番は水入りのあと指し直しとなったのである。
規定で指し直し局は先後交替、持ち時間は半分の各45分持ちで行われた。開始時刻は午後7時30分、もう後かたづけもすんでしまっていて、本局のほかにやはり持将棋指し直しとなった郷田-庄司戦だけしか残っていない。
両者とも小刻みに時間を使って慎重な立ち上がりだが、将棋そのものは乱暴という気がした。
2図がそれ。羽生の仕掛けがすごい。飛も香と捨てて、攻めの手がかりとして残っているのは4五の桂が1枚だけだから、いくらなんでも無茶苦茶だろう。対局者である中田も、これは案外に早く帰れそうだなと思ったということだ。
ところがところが、ここからが羽生の一味ちがうところ。”自転車操業”気味であるのは仕方ないが、手が途切れそうで途切れないのには驚いた。以下の全棋譜を掲載するので、これはぜひ盤上に再現して驚きをともにしていただきたい。
2図以下の指し手
△5二金▲3三歩△同桂▲5三銀△同金▲同桂成△同玉▲6一角成△1一飛▲7二金△8四飛▲3四歩△2五桂▲6二金△4五歩▲7七銀△3六歩▲6六銀△3七歩成▲5二馬△4四玉▲3三歩成△同銀▲2五馬△3四銀▲2六馬△3五銀▲5六桂△3四玉▲3七銀△2六銀▲同銀△9五桂▲8六歩△同飛▲8八歩△8七歩▲7七銀△8二飛▲3五銀打△2三玉▲2五銀△6二飛▲8七歩△3七角▲3八歩△2八角成▲2四銀左△2二玉▲9六歩△6一角▲4四桂△2五角▲3二桂成△同玉▲1三銀不成△4三玉▲2四銀成△1六角▲9五歩△4四玉▲3七香△3六歩▲同香△3五歩▲5六桂△5三玉▲3四成銀△3二桂▲3五香△5五歩▲4四桂△同桂▲4三金△6三玉▲4四金△7四歩▲2三歩△8八歩▲同銀△5六歩▲4三成銀△8二飛▲5三成銀△7三玉▲5四金△5七歩成▲同金△6五桂▲5六金△5五歩▲6三成銀△8三玉▲6五金△同歩▲6四桂△7一銀▲7七玉△5六歩▲8六歩△8四歩▲8七銀△4三銀▲5三成銀△5四銀▲同成銀△7三金▲8八玉△6四金▲3七銀△5四金▲2八銀△3八角成▲5五歩△5三金▲7七桂△2八馬▲6五桂△6三金▲6六角△5七銀▲8五歩△6六銀成▲同歩△5五馬▲8四歩△同玉▲9六桂△8三玉▲8四歩△7二玉▲8三銀△6二玉▲8二銀不成△6六馬▲8九玉△8八歩▲同金△同馬▲同玉△7七銀▲同玉△8五桂▲8六玉△7七角▲8五玉△9四金
までで、中田(宏)三段の勝ち。終了は午後10時21分。となりの郷田-庄司戦は1時間以上も前に終わってしまっていて、会館内には対局者と秒読み係と筆者だけだった。奨励会史に残る大熱戦だった。
中田はこれで12勝3敗。2番連続の昇段のチャンスはもはや逃すまい、と誰もが思ったのだが、北島二段、田畑三段相手に人が変わったかのような拙い将棋を指して四段はおあずけとなった。
精神的なダメージは大きいだろうが、立ち直って3連勝すれば結果は同じだ。頑張りに期待したい。
それにつけても羽生は強い。敗局においてもそう感じさせるのだから、この少年はやはり並ではない。
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指し直し局を並べてみたい。
2図以下の指し手
△5二金▲3三歩△同桂▲5三銀△同金▲同桂成△同玉▲6一角成(3図)
羽生三段(当時)の非常に強引な角成り。とはいえ、次の▲7一馬の王手飛車取りが見えていて受け方が難しい。
3図以下の指し手
△1一飛▲7二金△8四飛▲3四歩△2五桂▲6二金△4五歩▲7七銀△3六歩▲6六銀(4図)
根性の△1一飛の受けに対し、強情な▲7二金。
▲6二金で詰めろをかけるが△4五歩で中田玉は安泰。先手は持ち駒がない。
先手は攻撃の手を止めて▲7七銀~▲6六銀と中央に活用。前線部隊は地雷は仕掛けているが弾薬が尽きている。山奥に潜んでいた部隊を援軍に繰り出すようなイメージ。
4図以下の指し手
△3七歩成▲5二馬△4四玉▲3三歩成△同銀▲2五馬(5図)
4図の▲6六銀のところ、▲5二馬△4四玉▲3三歩成△同銀▲2五馬としていれば△3七歩成とはされなかったわけで、ここではあえて△3七歩成を誘っていたと見て良いだろう。
その狙いは…
5図以下の指し手
△3四銀▲2六馬△3五銀▲5六桂△3四玉▲3七銀△2六銀▲同銀(6図)
5図から△4八とだと▲3六桂△5三玉△5二馬で後手玉はトン死してしまう。△3四銀からの受けは必然。
先手は、馬を犠牲にして、歩と銀を入手しながら4八の銀を2六にまで活用する。
6図以下の指し手
△9五桂▲8六歩△同飛▲8八歩△8七歩▲7七銀△8二飛▲3五銀打△2三玉▲2五銀(7図)
△9五桂の攻めに対する▲8六歩からの受けは非常に勉強になる手筋。
しかし、飛車が8二まで下がったので金取り。先手は金は見捨てて▲3五銀打~▲2五銀で新たな追撃体制をとる。
後手からしたら、ザ・シークとタイガー・ジェット・シンがタッグを組んだような、とても鬱陶しい二枚銀。だが、先手に持ち駒がないので、火を吐かないザ・シーク、サーベルを持っていないタイガー・ジェット・シンのような雰囲気とも言える。
7図以下の指し手
△6二飛▲8七歩△3七角▲3八歩△2八角成▲2四銀左△2二玉▲9六歩△6一角▲4四桂△2五角▲3二桂成△同玉▲1三銀不成(8図)
二枚銀が後手玉に迫っているものの、持ち駒がない状況では攻めが続かない。
▲8七歩、▲9六歩からは、弾薬が尽きながらも、白兵戦のための武器を敵兵の死体から奪いに行くような壮絶さを感じる。
8図の▲1三銀不成を△同飛ならば▲2四金を用意している。
8図以下の指し手
△4三玉▲2四銀成△1六角▲9五歩△4四玉▲3七香△3六歩▲同香△3五歩▲5六桂△5三玉▲3四成銀(9図)
先手の成銀が、ここからボロボロになったターミネーターが執念深く追いかけてくるような動きをする。
9図の▲3四成銀は只に見えるが、△同角と取ると▲4四金が待っている。
9図以下の指し手
△3二桂▲3五香△5五歩▲4四桂△同桂▲4三金△6三玉▲4四金△7四歩▲2三歩△8八歩▲同銀△5六歩▲4三成銀△8二飛▲5三成銀△7三玉▲5四金(10図)
二枚銀が成銀と金のコンビに変わり、じわじわと後手玉を追いかける。中田宏樹三段(当時)も懸命の受け。
10図以下の指し手
△5七歩成▲同金△6五桂▲5六金△5五歩▲6三成銀△8三玉▲6五金△同歩▲6四桂△7一銀▲7七玉(11図)
△7一銀と受けられ、これ以上攻められないと見て、ここで先手は守備に転換。
相手に攻めさせて持ち駒を増やし、チャンスを待つ。
11図以下の指し手
△5六歩▲8六歩△8四歩▲8七銀△4三銀▲5三成銀△5四銀▲同成銀△7三金▲8八玉(12図)
先手は銀冠に入城。よく見てみると、先手はほぼ飛車・角損。
さすがに、先手がかなり苦しそうに見えてきた。
12図以下の指し手
△6四金▲3七銀△5四金▲2八銀△3八角成▲5五歩△5三金▲7七桂△2八馬▲6五桂△6三金▲6六角△5七銀(13図)
△6四金に▲同成銀は、△同馬と引かれ先手は攻撃の手掛かりを失ってしまうので▲3七銀。
13図の△5七銀で、後手は先手に残されたわずかな楽しみを潰しに来た。
13図以下の指し手
▲8五歩△6六銀成▲同歩△5五馬▲8四歩△同玉▲9六桂△8三玉▲8四歩△7二玉▲8三銀△6二玉▲8二銀不成(14図)
ところが、羽生三段はここからも手を作り、飛車を入手。だが…
14図以下の指し手
△6六馬▲8九玉△8八歩▲同金△同馬▲同玉△7七銀▲同玉△8五桂▲8六玉△7七角▲8五玉△9四金(投了図)まで、202手で中田宏樹三段の勝ち
△6六馬へのうまい合駒がなく、先手玉は即詰み。
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心折れずに諦めず手を作り続けた羽生三段、決定打を与えなかった中田三段、ものすごい精神力だ。