将棋世界1989年2月号、青島たつひこさん(鈴木宏彦さん)の「駒ゴマスクランブル」より。
偶然というか、ひょんなことから、というか、島竜王、羽生五段の二人とラジオの座談会番組に出ることになった。
”将棋界の若手はなぜこんなに強いのか”というのが、座談会のテーマである。
こっちはもちろん刺身のつまである。しかし、刺身のつまでも竜王と天才羽生の二人と座談会をやるとなると、これはかなり高級な刺身のつまである。スーパーマーケットに売っているパックの刺身のつまではない。赤坂の一流料亭に出るような刺身のつまである。
一流の刺身のつまになれるのは嬉しかったので、直ちに出演を引き受けたのだが、引き受けてしまってから急に不安になってきた。テレビの将棋番組の聞き手なら1、2度やったことがあるが、それとはかなり様子が違いそうである。
出演の3人と司会の方の4人で1時間近い時間をしゃべりっぱなしで行くという。自分でも最近かなりずうずうしくなってきたと思うが、それでも人前で話すなんてのは苦手中の苦手である。当然ながら、ラジオ番組なんて出たことはない。それに長年の飲み過ぎがたたったのか、最近、自分が何をいいたいのか分からぬままにとりあえずしゃべってしまうようなこともある。
収録の3、4日前、将棋連盟へ行くと羽生五段に会う。
「オッ、羽生さん。あのラジオ、ラジオ・・・」
「あっ、そうでしたね。どうぞよろしく」(羽生、冷静に)
「大丈夫ですかね。あのラジオ、ラジオ…」
「僕もラジオ出たことないけど、きっと大丈夫ですよ」(羽生、冷静に)
羽生五段は18歳。当方は30ン歳妻子持ちなのだが、羽生先生の落ち着きぶりを見ていると大船に乗ったような気持ちになってくるから不思議だ。(というか、情けないというか…)
収録は12月の日曜日の午前中に行われた。島竜王も羽生五段もまるで落ち着いていて、おかげでこっちもかなりリラックスできた。自分のしゃべったことはほとんど覚えていないが、2人の言葉はところどころ印象に残っている。
中で一番感心したのは「大山先生や中原先生と対局する時でも、緊張したことは全くありません」という、羽生五段の言葉。なるほど、それならラジオ出演など、どうということもないだろう。
羽生五段の場合は精神が強いとか、心臓が強いとかいうのではなく、もはや根本的な人間の質が我々とは違うという感じである。
収録のあと、青山へ出て3人で食事をした。島竜王はこの辺りの店を実によく知っている。
「今回祝賀会をやらないと一生やれないよって人に言われたんですが、僕はやらないつもりです。その代わり、就位式には史上空前の数の女性を呼びますから、是非来てください」
フランスパンをかじりながら、島。竜王就位式は1月25日に行われるが、それまでには急いでダイエットをしなくては。
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第1期竜王戦、島朗竜王が誕生した直後の頃のこと。
ニッポン放送は有楽町なので食事に行くとしたら銀座、アール・エフ・ラジオ日本は麻布台なので食事に行くとしたら六本木・麻布系が自然な流れであり、出演したラジオ局は、青山に近いTBS(赤坂)か文化放送(当時は四谷)だったものと思われる。
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正統派の刺身のつまはウドだと今まで思い込んできたが、調べてみると大根が主流であるらしい。
刺身のつまは、なま物系に興味がない(食べることはできるが能動的に注文したいとは思わない)私にとっては、非常に遠い存在。
もちろん、食べたことはない。
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つまのような添え物系で思い出すのはパセリ。
昔は洋食系のメニューには添えられることが多かったが、最近ではあまり見かけなくなった。
残されることが多い代表的な添え物だったので、なくなってきたのは良い意味で非常に合理的な流れだと思う。
2013年のパセリの東京市場での出荷量は1993年に比べて65%減っているという。
不況の時期に、残されることの多い付け合せとしてのパセリは皿の上から消え、景気が多少戻っても復活することがなかったということなのだろう。
とはいえ、ポタージュ系のスープには、小さく刻まれているパセリが入っているほうが趣があることも事実であり、私としても盆栽のようなパセリは勘弁してほしいが、刻まれたパセリは今後も支持していきたいと思っている。
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添え物ではないけれども、最近見かけることが少なくなったような気がするのが、カツ丼の上に乗っているグリンピース。
カツ丼のグリンピースは、酢豚のパイナップルほどではないにしても、賛否両論が渦巻いているようだ。
個人的にはグリンピースが乗っていても乗っていなくてもどちらでも構わないのだが、グリンピースが乗っているカツ丼というと、刑事ドラマで取調室に出前されてくるカツ丼を思い浮かべてしまうというのも事実だ。