棋界の隠れた記録

将棋世界1995年6月号、将棋普及指導員の大泉紘一さんのエッセイ「将棋の話あれこれ」より。

 私はコンピュータ会社に勤める将棋マニアの一人で、棋歴は47年、本誌は40年来の読者です。昨年秋には加藤一二三、蛸島彰子両先生の推薦により、将棋普及指導員の任につかせていただきました。

 私は将棋界のいろいろな話題や記録に興味を持っています。本誌購読40年で気がついた、プロ棋界のかくれた記録をいくつか集めてみました。

①幻の順位戦三代対戦

 現行の制度では、順位戦の師弟戦はA級とB1以外で組まれません。以前は大山康晴十五世名人-有吉道夫九段戦が定番でしたが、今期は大内延介九段-富岡英作七段戦だけでした。

 全クラス総当り制だった昭和31年に、師弟三代が揃ったことがあります。B2の村上真一八段、南口繁一八段、加藤一二三六段です。ところが開始直前に村上八段が逝去して、幻の三代対戦となってしまいました。以後このケースは出現していません。

②少ない三代現役と四代健在

 師弟の三代現役は、現在ありません。つい最近までは大山十五世名人-有吉九段-坪内利幸七段・有森浩三六段、佐瀬勇次名誉九段-米長邦雄九段-中川大輔六段・先崎学六段・伊藤能四段と、佐瀬-田丸昇八段-櫛田陽一五段の3系等がありました。今後の出現は、棋士系統図を見る限り当分難しそうです。

 引退棋士三代健在は、加藤治郎名誉九段-原田泰夫九段-佐藤庄平八段の系統です。現役引退を合わせた四代健在は、加藤-原田-桜井昇七段-中田宏樹六段です。

③不運な順位戦降級

 同クラス三代師弟の①項には余話があります。その前々期のB1で村上八段と南口八段が降級しましたが、村上八段の成績は6勝7敗でした。その年は同星が6人もいる大接戦で、村上八段は順位差で涙を呑みました。これは順位戦降級者の最高勝率です。

 これに準ずる不運は、昭和30年のA級の大野源一八段と60年の森安秀光八段で、それぞれ順位が3位、2位の上位ながら4勝6敗で降級しました。

 この逆の幸運な例は、10対局で7勝3敗、12対局で8勝4敗、13対局で8勝5敗で、それぞれ昇級しました。

④A級11名の明暗

 A級の定員は10人ですが、前期に休場者が出ると11人となり、微妙な波紋が生じます。まず降級者が2名から3名に増えます。また偶数対戦のために5勝5敗の指し分けが生じます。指し分けは順位にかかわらず規定で降級しません。

 ③項の大野八段と森安八段の降級は、偶数対戦の暗の例です。その反対の明の例が、昭和47年に一時に多くあらわれました。その年は最終局時点で4勝5敗が4人いましたが、4人とも勝って5勝5敗の指し分けにこぎつけました。結果的には、1人でも負けたら降級でした。

⑤カムバックに拍手

 A級からの降級者が運悪くB2に落ちる例が多々ありますが、B2からA級までの二段階カムバックを見事に果たしたのが原田八段です。原田八段は昭和32年にB1へ、39年にB2へ降級しましたが、42年にB1へ、45年にA級へ昇級して返り咲きしました。今期は、この記録をめざして桐山清澄九段がよく健闘しました。

 かつての順位戦制度は、C2から一期で陥落しました。大方の棋士は陥落と同時に引退しましたが、奨励会の三段リーグ(当時は予備クラスと称した)に残ってC2復帰に望みをかける棋士もいました。そして、その三段リーグの激戦を勝ち抜いてC2カムバックを遂げたのが、星田啓三六段、北村文男四段、橋本三治五段です。平野広吉五段もあと一歩のところでした。当時、C2からの陥落者がかなりの実力を維持されていたことがうかがえます。

⑥両者無勝負の怪と波紋

 以前の順位戦の記録を見ると、持将棋は1局分にカウントされ無勝負でした。ところが、昭和30年のA級順位戦で別の理由による無勝負が生じました。灘蓮照八段-高島一岐代八段の対局において、対局者が対局途中の局面を崩して別の将棋を並べるという、今日では考えられないことがありました。ハプニングはこのあとにおきました。元の局面に戻した時に、▲6九金を誤って▲7八金と置いてしまいました。対局は続行され、その後に棋譜の間違いが判明しました。理事会は”理事会預かり”という裁定を下し、結果的にその対局は無勝負となりました。ちなみに両対局者のその年のA級の成績は、10局中で灘八段が5勝4敗、高島八段が4勝5敗でした。なお、③項の大野八段が4勝6敗で降級したのがこの年で、無勝負が星勘定に微妙に作用したかもしれません。

 以上、いろいろと書き連ねましたが、これらは裏話ではなく、何らかの形で活字になったものから引用しました。順位戦の年表示は年度で統一しました。棋士の段位は当時の段位を一部使いました。

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大泉紘一さんはこの当時、富士通勤務で将棋部部長。後にLPSAの顧問などを務められている。

このような切り口での記録は、なかなか気が付かないもの。

長年に渡って将棋誌を読んでいなければ、まとめることはできないことばかり。本当にすごいと思う。

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あらためて調べてみると、今は、三代現役と四代健在のケースはなく、最大が三代健在で、以下の系図。

  • 関根茂九段-飯野健二七段-金井恒太五段
  • 大内延介九段-塚田泰明九段-藤森哲也四段
  • 大内延介九段-鈴木大介八段-梶浦宏孝四段
  • 佐伯昌優九段-中村修九段-阿部光瑠六段・上村亘四段
  • 賀集正三七段-西川慶二七段-西川和宏五段
  • 内藤國雄九段-神吉宏充七段-渡辺正和五段
  • 若松政和七段-井上慶太九段-稲葉陽七段・菅井竜也七段・船江恒平五段
  • 森安正幸七段-畠山鎮七段-斎藤慎太郎六段

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原田泰夫九段がB級2組からA級に復帰したのが48歳の時。当時は、石川達三さんのベストセラー小説のタイトルにかけて、『四十八歳の抵抗』と呼ばれた。

原田九段がA級に復帰するきっかけの一つとなったのは、居飛車党から振り飛車党に転向したことだった。