将棋世界1995年12月号、池崎和記さんの「昨日の夢、明日の夢」(羽生善治竜王・名人)より。
夢を追求した「△6二銀」
羽生将棋とは何か。
よく耳にするのは「攻守ともに読みが正確」「中終盤が強い」といった評である。プロ棋士たちがそう言っている。
「欠点がない」と言う人もいるけれど、さすがにこれはオーバーだろう。六冠王といえども神様ではないのだから、欠点がないということはあり得ない。で、あえて突っ込んでみた。
―羽生将棋に欠点はありませんか。
ありますよ。もし私はハブ・ヨシハルを攻略しようと思ったら、やる作戦はありますよ。言いませんけどね(笑)。
―自分でわかってるんですね。
ええ、わかってますよ。
―わかってるなら消せるでしょう。
いや……。例えば、いまトップで争っている人たちというのは、欠点を裏返すと、それがその人の一番の長所なんですよ。だから、それを消そうとすると、また別の欠点が出てくると思うんです。
―何となくわかるような気がします。
完ペキな将棋を指さない限り、欠点がない、ということはないんですよ。
―技術的な欠点だったら努力で多少は消せるでしょう。そうすると羽生さんの欠点は、きっと別のことだな。
そうですね(苦笑い)。
―それがわかった人が、羽生さんを倒す人だ。序盤を重視するようになったのはいつごろからですか。
やはり、上位の人とたくさん当たるようになってからです。C級1組の五段になったころからですね。
―しかし、それだけ序盤に神経を使っても、この間の王座戦は、結果は別にして序盤の内容は良くなかったですよね。森下さんとの名人戦でも羽生さんの序盤作戦は必ずしも成功していない。この矛盾をどう説明しますか。
それは、前に比べれば少しはマシになってるということじゃないですか。
―前はもっとひどかったと?
そうですよ(笑)。
―序盤って難しいんですね。
難しいんですよ。いつも作戦勝ちしている人はいないですよ。
―「2手目△6二銀」のことを聞きます。実は大阪のある棋士に「将棋世界で羽生さんにインタビューする」って言ったら、「2手目△6二銀のメリットを聞いてきて」と頼まれましてね(笑)。
メリットは……最初始めたときは(昨年5月、谷川浩司との竜王戦1組)、飛車先不突で駒組みができれば、(先手に2筋で)一歩交換されてもメリットがあるんじゃないかと思ったんです。それで何局かやってみた結論は「やっぱり△8四歩と突かないと飛車は活用できない」ということです(笑)。
―ハハハ。そうすると、あんまり良くはない。
良くはないですね。ただ何局かやって、△6二銀をどうやったらとがめられるか、というのがわかりましたし、また△6二銀(戦法)をどう指すかというのもわかったから、それはそれで良かったと思ってますけど。
―「対局する言葉」(柳瀬尚紀との対談集)の中で、羽生さんは△6二銀みたいな手を指すと「いかに自分が将棋が弱いかわかる」と言ってますね。
最初に指したときは相当ヘボなんですよ、指し方が。△6二銀がいい手かどうかわからないうえに、そのあとの指し方もひどいんです。あとの指し方もちゃんとやれば、互角とは言わないですけど、また違った展開になります。やはり何局かやってみないとわかんないんですよ。いつもいつも確信を持って指せるという将棋ばかりではないですから。リスクはもちろん背負うけど、やること自体にはまったく抵抗はないんです。
―狙いは後手の飛車先不突ですか。
飛車先の歩を突かないで矢倉に組めれば……というのは、後手番の夢みたいなものなんです。△6二銀も一応、理屈的には組める可能性があるわけですから。
―△6二銀が初めて指されたときは、”挑発”の意味に受け取った棋士が多かったですね。酷評ばかりで……。
挑発の意図は全然ないですよ。私も一応、事前に研究はしたんですけどね。かなり準備してやったんです。
―研究段階では「何とかいける」という感触があったんですか。
いや、わかんないという……。これは実戦でやってみないとわかんないと。
―2手目△3二金とは意味が違う。
そうですね。△3二金は(先手に)振り飛車にしろと言ってるから、振り飛車にされたときの対策が立てられればそれでいいんです。△6二銀とは全然違うんですよ。△3二金は……具体的にどうとがめるか、まだ私にもわかんないです。
―△3二金も最初は悪手みたいに言われたけど、最近はそうでもないですね。
かなり指されてますね。
―だから僕は△6二銀も、ひょっとしたらそうなるかなと期待してたんですが、「いい」という声はまだ聞きません。
いろいろ指してみた結果、△6二銀はどうも、あんまりいい手ではないような気がします。他のアイデアが浮かべば別ですけど、いまのところあんまり、やる気はしませんね。
(つづく)
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羽生流後手番2手目△6二銀が初めて指されたのが1994年のこと。
このインタビューで初めて2手目△6二銀の狙いが明かされた。
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更にその1年前には、中村修七段(当時)が非常に興味深い連載を行っている。
→中村修七段(当時)「後手番二手目の可能性(1)・・・△9四歩編・△2四歩編」
→中村修七段(当時)「後手番二手目の可能性(2)・・・△4四歩編」
→中村修七段(当時)「後手番二手目の可能性(3)・・・△3二飛編・△4二飛編・△5二飛編」
→中村修七段(当時)「後手番二手目の可能性(4)・・・△7四歩編」
後手番の悩みから発した後手番二手目の可能性の追求。
「先手番一手目の可能性」という連載が始まる時代が来るのか来ないのか、それは誰にもわからない。