将棋世界1999年5月号、内藤國雄九段の「昇級者喜びの声(B級2組→B級1組)より。
順位戦の日は対局場が朝からお通夜のようになる。私はそういう雰囲気があまり好きでないので、順位戦が本場所と言われていた昔からこの棋戦に対するこだわりや闘志は他の人より少なかったように思う。
今期、順位戦に特に力が入りだしたのは5連勝したあたりからである。この幸運をどうしても生かさなければならないと。
「10代20代は天分、30代は努力、40代は体力、50以降は運」と近頃私はよく人に言っているが、実際50代に入ってからは日常全てのことに運を強く感じるようになった。
順位戦の勝ち負けが入れ代わっていても不思議でないと思うようになったことがある。今回それを言うと黒星ばかりになってしまうが、中の数局についてはそれが言える。白星になったのはやはり運である。
祝電のなかに「A級復帰おめでとう」というのがあった。「間違ってました。来期はA級に」と修正文をその後送ってくれたが、忘れずに声援を送ってくれるファンの気持ちは、いつもながら胸にジンとくる。
昨年の秋、ジャイアント馬場が還暦祝いの赤いチャンチャンコを着てリングに上がり、「60になったらやれないと思っていたが、なんだ、やればやれるじゃないか」と語っていた。これは見ていて楽しく、励みにもなった。
その直後、馬場さんは入院をし急逝してしまうのだが、癌にさえやられなければまだまだ活躍されたであろう。
また米国の70代の宇宙飛行士が宇宙から帰還して「歳相応に、なんて考えてはいけない」と語っていたのも強く印象に残った。
まあそういうことを思うのも私が歳をとったせいに違いないだろう。しかし曲がりなりにも私の健康は維持されている。これは多くの酒友にくらべて誠に幸運というよりない。
昨年はまた、諦めかけていた攻め方実戦初型の詰将棋も完成させることができた。将棋の神様にまだ見捨てられていない、という気持ちになってくる。
今年も訪れてくれそうな「幸運」を大切に、それを逃さず、それに花咲かせるように、精一杯頑張りたいと思っている。
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昨日の記事で取り上げた1999年3月の先崎学六段(当時)のB級1組への昇級。
この時、同時にB級1組へ昇級(復帰)したのが59歳の内藤國雄九段だった。
B級1組から降級して1年での復帰。
内藤九段は、翌期はB級1組から再びB級2組へ降級することとなるが、B級2組には2010年3月、70歳まで在籍している。
内藤九段がA級に在籍していたのは52歳までで、加藤一二三九段の62歳、有吉道夫九段の60歳と比べるとA級から離れた年齢は一番若かったが、加藤九段が70歳でC級1組、有吉九段が70歳でC級2組だったことを考えると、内藤九段が60歳を過ぎてからも力を維持していたことがわかる。
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内藤九段は、この翌年、40年来取り組み続けてきた詰将棋「ベンハー」を完成させる。
充実した時期。やはり、勢いが感じられる。勢いと年齢には関係がないと実感できる。
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この時の”米国の70代の宇宙飛行士”を調べてみると、この宇宙飛行士はジョン・ハーシェル・グレン・ジュニア。
ジョン・グレンは1921年生まれで現在95歳。
1962年のマーキュリー6号に搭乗し、アメリカ初の地球周回軌道を飛行した宇宙飛行士となった後、1974年から1999年までアメリカ議会上院議員を務めている。
宇宙へ再び旅立ったのは1998年のこと。スペースシャトルのディスカバリー号で宇宙へ出て9日間滞在した。この時77歳。
ジョン・グレンが語った名言は、
「年取った者も、若い者と同じように夢を持つことができる。それに向かって励め」
とされている。
「歳相応に、なんて考えてはいけない」は、ジョン・グレンがテレビで語った言葉かもしれないし、あるいは内藤九段の頭の中で「年取った者も、若い者と同じように……」を脳内変換した結果の言葉かもしれない。
どちらにしても、「年取った者も、若い者と同じように夢を持つことができる。それに向かって励め」よりは「歳相応に、なんて考えてはいけない」の方が、より名言に感じる。