福崎文吾四段(当時)に起きたハプニング

将棋世界1980年5月号、テレビ東京の島田良夫さんの「第13回早指し選手権戦 米長王位の優勝まで」より。

 第13回早指し選手権戦は、米長邦雄王位が三度目の優勝を遂げて幕を閉じた。そこで、この棋戦の経過を簡単に振り返りたい。

 陽春4月、前期のベスト4、タイトル保持者、名人挑戦者リーグの上位棋士等シード選手と、予選勝ち抜き棋士を合わせた53名の棋士によるトーナメント表が出来上がると、今期はどのような顔ぶれで、またどんな組み合わせが見られるだろうかと、まず興味をそそられる。

 今回の初出場組は7人。安恵照剛、田丸昇の両六段、谷川浩司五段、有野芳人、土佐浩司、小野修一、福崎文吾の各四段。この中、谷川、有野、土佐の3人が初白星を得る事が出来ず、敢えなく敗退した。テレビ将棋の場合は、日頃の対局場と全く雰囲気が違い、余分な緊張を強いられる。天井のライトはまぶしく、周囲には見馴れない人間がウロウロしているし、カメラのレンズが自分をにらんでいる。どうしても初出場の時はアガってしまったと、これはあるベテラン棋士の述懐である。尤も、現代っ子は平気なのかもしれない。小野、福崎の両君は、四段に昇ったばかりで初参加というのに、何の苦もなく初戦の壁を打ち破った。

 福崎四段については、ちょっとしたハプニングがあった。2回戦の対安恵六段戦で、時間になっても福崎四段が現れない。もしや交通事故でも……とスタッフが八方手を尽くして探し回った挙句、ロビーの片隅にポツンと座っている彼を発見した。話を聞いてみると、かなり早い時間に到着したために、玄関番のガードマンが、対局者である棋士の先生とは思わず、見学者と間違えて、時間が早いので入構を拒んだという。「オレは対局者ダ」と言えば話は通じた筈だが、そこは弱冠19歳の少年のこと、素直に時間が来る迄待っていたという訳だ。もし彼が、この応待に立腹して帰ってしまったら、あわや第二の”陣屋事件”に発展していたかもしれず、彼の温厚な人柄に救われた。職務に忠実の余りとは言え、対局者を見学者と間違えるなど言語道断、ここで改めて本紙上を借りて、福崎四段にお詫びを申し上げておきたい。

 しかし、この1年間の彼の活躍は目覚ましく、本誌4月号にも注目の棋士として巻頭グラビアを飾っている。もはや多少でも将棋を知っている人なら、彼の顔を見誤ることはあるまい。本稿が読者の目にとまる頃は、既に福崎五段が誕生しているかもしれない。本当に将来が楽しみな棋士の一人であり、その大成を期待したい。

(以下略)

——–

とても純情な福崎文吾四段(当時)。

今ならスタッフから福崎四段に携帯電話をかけて一安心となるところだが、この頃は携帯電話がなかった時代。

——–

知っている人がお見合いをした時のこと。

2度目もお会いしましょう、ということになり、その男性は待ち合わせ場所を渋谷の東急文化会館側(現在のヒカリエ側)の渋谷駅の出口ということで間に入った人に連絡をした。

当日、相手の女性がなかなか現れない。

その男性は45分ほど待ったが、諦めて家に帰った。

家に帰って間もなく、間に入った人から、「ごめんなさいね。あんなに気の強い方だとは思わなかった」と彼に電話があった。

相手の女性も30分ほど待っていたが、その場所は東急プラザ側の渋谷駅の出口。相手の女性は怒って断りの連絡を入れてきたという。

その男性も積極的に乗り気な話でもなかったので、特にショックもなく、間に入った人にお詫びをして電話を終わった。

これは昭和の出来事だが、もし携帯電話のある時代なら、状況は変わっていただろう。

しかし、一度、待ち合わせ場所に現れなかっただけで相手の女性が断ってくるのだから、元々うまくいく話ではなかったとも考えられる。

携帯電話があったなら、その辺のところが表面には出ず、あと何回も会う手続きが繰り返されたかもしれない。

そう考えると、携帯電話がない時代でかえって良かったと言えるだろう。

それにしても、待ち合わせ場所が東急文化会館側渋谷駅の出口というのは、あまりにも中途半端な場所だと思う。