将棋世界1999年8月号、塚田泰明八段(当時)の第57期名人戦七番勝負第6局〔佐藤康光名人-谷川浩司九段〕観戦記「203手の大熱戦」より。
名人戦第5局が始まる2日前、谷川と2人で食事をした。
その昔は結構よくあったのだが、お互いに結婚してからはとんと御無沙汰で、本当に久し振りだった。
話の中心は、やはりお互いの子供の事になる。直輝君の方が、うちの恵梨花よりも約8ヵ月早く生まれているので、色々と参考になる事を聞かせていただいた。
そして話題は、名人戦第6局で私が副立会いとして行く事へ移っていった。
第6局の対局場である「福一」には、私自身前に一度行った事がある。
それは2年前の名人戦第6局で、羽生名人(当時)を谷川が4勝2敗で破り、十七世名人の資格を得た対局だった。
いわば「福一」は谷川にとってゲンのいい対局場なのだ。本人が言った訳ではないが、「福一で決める」と谷川は思っているように私は感じた。
果たして、谷川は第5局を制し、「王手をかけて」第6局を迎えることになった。
(中略)
この両者は6月1日の王位戦リーグでも顔を合わせている。その時も先後は同じで、谷川が横歩取らせの△8五飛作戦を採用し、勝っている。
その事を踏まえ、本局の戦型が注目されたが、谷川が第4局と同様に四間飛車を選択した。
対して佐藤も、第4局の急戦策は捨て、予定通りなのか少考を重ねながら居飛車穴熊を目指した。そして本譜▲6六銀がなかなかの一手で、以下▲6八角と引いて谷川の動きを封じ、▲8八銀で一応穴熊に入った形となった。
谷川としてはイメージと違う展開になってしまったのだろう。1図は1日目封じ手の局面だが、ここまでの消費時間が4時間27分。佐藤の2時間45分と、大分差がついてしまった。
1日目が終わっての夕食は、関係者のみでさっぱりめに行われる。
私の席は佐藤の隣だったのだが、どうも様子がおかしい。仲居さんの接待に生返事なのだ。
普段礼儀のきっちりしている佐藤には考えられない事だ。よくよく観察してみると、まだ局面のことを思い出しているようなのだ。
普通1日目の夕食の時は、息抜きをしてまた明日、となるのだが、佐藤はまだ戦っている、そう感じた時だった。
(中略)
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佐藤康光名人(当時)の2勝3敗で迎えた第6局。
2日目、先手は金銀4枚の穴熊に組んで、▲2五歩(2図)と攻撃も好調。
この後、後手に好手が続き、やや差が縮まって3図。
塚田八段の観戦記には次のように書かれている。
△1四飛の局面で2日目の夕食休憩となった。名人戦はこのあとが本当の勝負所だ。
再開は午後7時なのだが、佐藤は何とその25分前に対局室へ戻ってきた。夕食は全く手を付けなかったそうだ。
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戦いが進んで5図。ここから先手が勝ちを複数回逃す。
塚田八段の観戦記より。
5図以下の指し手
▲同金△8九金▲同金△同桂成▲同玉△8八歩▲7九玉△7七香▲7八歩△同香成▲同玉△7七銀▲同角△同歩成▲同玉△7六歩▲8八玉△6六歩▲6三銀打△同銀▲同銀不成△6五玉▲6六歩△同玉▲6七歩△5七玉(6図)先手玉が詰む訳ではない。谷川の狙いは自玉の上部を手厚くし、逃走路を作る事だ。
この辺りから、佐藤に小ミスが出始める。▲7八歩では▲7七同角△7八銀▲同玉と進めれば本譜と一歩違ったし、▲8八玉では7八か6八に引けば良かった。
次の△6六歩が怪しげな一手で、実は△7七歩成▲同玉△6五桂以下の詰めろ。
ここでも▲5六金と打てば詰めろ逃れの詰めろで勝ち筋だったが、時間に追われて佐藤は、最後の1分を使って▲6三銀打から敵玉を追っかけ回したため、谷川玉は5七まで逃げこんで事件となった。
6図で遂に双方1分将棋。直感と精神力の戦いだ。流れは完全に谷川へと傾いている。
6図以下の指し手
▲6八銀△同玉▲7八飛△5九玉▲5二竜△5五歩▲5八金△4九玉▲4八金打△3九玉▲7九飛△4九金▲同金△同と(途中1図)▲6八銀が負ければ敗着となった一手。ここは▲6九桂△4八玉▲7八飛と、王手で手順に7七の地点を受けておけば、まだ佐藤に分があった。
△6八同玉に▲7八飛から詰ましに行ったものの、谷川玉に詰みはない。△4九同との局面は、逆に後手必勝になっていた。
佐藤には後悔の念が流れ、谷川はこの将棋で初めて良くなった。そしてそれは勝ちの時であり、と同時に名人奪取の時間になるはずだった。
誰しも佐藤の投了を予想した。しかし佐藤は指した。▲7六飛と。執念の一手だった。
途中2図以下の指し手
△8五桂▲8九桂△7五歩▲7九飛△9六歩▲同歩△7六銀▲7八香△9六香▲7六香 (7図)「きっと自分なら投げる」局面だったのだろう。谷川の指し手が乱れ始める。
△8五桂でも△7五歩のところでも、とにかく△9三角と使っておけば長引いても負けはなかった。1分将棋なら尚更だった。
本譜は寄せに行ったがために7図、後手玉は▲4八銀以下の詰めろがかかり、谷川は先手玉を詰ますよりなくなった。
7図以下の指し手
△7七銀▲同桂△9八香成▲同玉△9一香▲9六歩△同香▲8九玉△8八歩▲7八玉△7七桂成▲同玉△7六歩▲8六玉△8一香▲8四桂△同香▲9五玉△8三桂▲8四玉(投了図)まで、203手で佐藤名人の勝ち△7七銀が敗着。ここは△7七角と打ち、以下▲同飛△9八香成▲同玉△9七歩▲同桂△8八金▲同玉△7七桂成▲同玉△7六歩という順で詰んでいた。
しかし谷川といえども延々時間のない状況で、この詰みを発見するのは至難のワザだ。
それにしても佐藤の精神力は素晴らしい。投了もある局面でも気持ちを切らず本譜の王手ラッシュにも、▲9六歩と▲8四桂の、二度の中合いを用意して見事に勝ち切った。
午後11時54分という、記録的に遅い終局だった。
ずっと良かった将棋をスンナリと勝てなかった佐藤と、勝ちの局面から勝てなかった谷川。大熱戦だった第6局は、両者痛み分け、という感じだ。
そして最終局の結果は―。
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まだ1歳にもなっていない頃の塚田恵梨花女流2級の名前が冒頭に出てくる。
子煩悩な塚田泰明九段らしい出だし。
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途中2図で△9三角としていれば、あるいはそうでなくても7図で△7七角なら、谷川浩司九段が1年で名人に復帰できていたということになる。
しかし、△9三角も△7七角も、▲7六飛が指された以降に逃した手。佐藤康光名人(当時)の▲7六飛が勝負の空気を変えたと言えるだろう。
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今日のもう一つの記事は、▲7六飛についての佐藤康光名人のコメントなど。