将棋世界2001年6月号、加藤一二三九段の連載自戦記「棒銀一筋」より。
私は3月24日、新幹線の「のぞみ」に乗って小倉に向かっていた。ところが、3時27分頃地震のために「のぞみ」が三原駅の近くで停車した。少し時間がたったところで、同じ号車に乗っていた神吉六段が私を見つけてくれた。神吉六段が持参していた文明の利器で私は自宅などに連絡することが出来た。8時前に三原駅で乗客は降ろされ、私達二人は努力してタクシーを確保して、翌朝仕事のある北九州市に向かった。たまたま神吉六段と私は同じ列車の同じ号車に乗っていて、非常時に的確な判断の出来る彼のおかげで、私は大変助けられた。
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将棋世界同じ号、神吉宏充六段(当時)の「今月の眼 関西」より。
一つ前の席で大きな空咳が聞こえた。ん?聞き覚えがあるぞ…。ハッとしてその席を見やると、その人は立ち上がって前の車両に歩いていった。たしかタバコも手洗いも換気出来ないんで使用出来ませんってアナウンスがあったのに…。何しにどこ行くんやろ???
3月24日、広島・三原を越えた辺りで急に新幹線が止まった。窓の外を見ると電源を供給するケーブルが激しく揺れている。そこに「只今、近くで地震が発生しました。震度は6弱、目視巡回しておりますので、今しばらくお待ち下さい」とのアナウンスが…。もちろんこんなこと初めてで、私はすぐにも復旧するもんやろと思っていた。
そこへ一つ前の席でサッと立ち上がったのが、何を隠そう加藤一二三九段。一緒の乗っていたのに、全く気が付かなかった。加藤先生は大きな空咳を一つくれて席を立ち、前の車両に行かれてから数分後、大きな袋を持って帰ってこられた。一体何をしてたか…。それは次のアナウンスで明らかになった。
「地震の影響を調べておりましたが、あちこちで分断されている模様です。復旧のメドはたっておりません。このままお待ち下さい」
そこでハタと気が付いた。このまま何時間も車両の中に取り残されたら、食料がなくて困るやないか!売店で食べ物確保せな!と慌てて席を立ったが、すでにあとの祭り。前の車両の売店には人だかりが出来ていて、品物もほとんど残っていない…。パニック時の人間心理が皆を売店に走らせたのだ。
トボトボと席に戻る途中、加藤先生に
「ああ神吉さん、大変なことになりましたネ。ふぉっふぉっふぉ」
「いやあ先生、今日中に北九州に着けるんですかねえ。徹夜で復旧作業して、その間、食事も取れないかもしれないんでしょ?先生どないしはるんですか」
「ふんふん、それはですねえ。ワタクシは止まった段階で、何かあったと判断してですネ、即座に売店で食料を仕入れてきまして…。さっきも鰻弁当食べて、ここには人形焼もありますし、持久戦になっても大丈夫!」
加藤九段の直感精読。こんなところにも活きていたのか!で、この後、列車は立ち往生。小倉まで何と、タクシーで向かったのであります。新幹線に乗ってから実に11時間かけて到着。フラフラだったが、ずっと加藤先生とご一緒で、考えようによっては一生に一度味わえるかどうかの出来事、楽しい旅だったかも。
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この時に起きた地震は、平成13年芸予地震 。
広島県、愛媛県、山口県の被害が特に大きかった。
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三原市は広島市よりも東側にあり、北九州へ行くまでには、広島県の西半分、山口県、関門トンネルを通り抜けなければならない。
広島県・三原駅から福岡県・小倉駅までのタクシー推定料金を調べてみると、¥70,390 ~ ¥85,690 で所要時間は 約230分 。
15:27に三原駅近辺で停車ということは、神吉宏充六段(当時)が新大阪駅から乗車したとして、乗車時刻は14:00頃。
その11時間後に北九州に到着なので、到着時刻は午前1時頃だったと考えられる。
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このような長距離をタクシーに乗車して仕事に間に合うように現地入りする責任感があまりにも素晴らしい。
似たようなケースとしては、佐藤康光九段が1990年代、青森での仕事に予定の飛行機に乗り遅れ、勢い秋田行に乗り込んで、タクシーで秋田から青森(約4時間)まで行った事例がある。
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「加藤九段の直感精読。こんなところにも活きていたのか!」は本当にそう感じる。