三浦弘行七段(当時)「その犬が死んだ後、出来れば昇級してその報告をしたいと思いました」

将棋世界2000年5月号、三浦弘行七段(当時)の昇級者喜びの声(B級2組→B級1組)「気を引き締めて」より。

 今期の順位戦は、初のB2参加で、初手合の人もいて、自分がこのクラスでどの位通用するか分からず不安だった。

 滑り出し2連勝と好スタートを切ったものの、3回戦の、対阿部戦にいい所なく敗れ、順位の悪さも考え合わせると、昇級を半ば諦めざるを得ない状況だった。しかし、今考えて見ると、プレッシャーがかからず、結果的に良かったのかもしれない。4回戦以降も苦しい戦いが続いたが、昇れなくて元々と思えた事で、精神的に気楽に指せたのが大きかった。強敵を相手に何とか白星を積み重ねていき、9回戦を終えた時点で自力昇級の目が出た。流石にここまでくると、明らかに違うプレッシャーが掛かったが、残すはたった一局で、しかもわずか3週間後の短い期間では、逆にプレッシャーに押し潰されている暇もなく、この点でも幸運だったと思う。最終局は体調的に万全ではなかったものの、自分らしい将棋が指せた。

 これで来期は鬼の住み家と言われるB級1組で戦うことになる。局数も増えるし、今までの順位戦の中で一番厳しい戦いになるに違いない。しかし、最近生活がややたるみがちになっている私にとっては、逆に私生活を改めるのにいい機会だと思いたい。

 図は有吉九段との順位戦初戦、要所に角を打ち、次に▲4五歩と突き出す手が厳しいので、うまく戦機を捉えたと思った。

 しかしここから容易に土俵を割らない有吉九段の指し手に苦しみ、双方百手近く指し続けた結末は持将棋だった。そして指し直しの将棋が終了したのは午前3時だった。初戦からこうなので、今期は楽な将棋は一局もないと覚悟を決めたものだった。

 一期で抜けることが出来たのは、本当に幸運としかいいようがない。

 最後に応援して下さった方々には誌上をお借りしてお礼申し上げます。

 有難うございました。

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昨日の記事の藤井猛竜王(当時)と同時にB級1組に昇級した三浦弘行七段(当時)。

昇級を決めても、「局数も増えるし、今までの順位戦の中で一番厳しい戦いになるに違いない。しかし、最近生活がややたるみがちになっている私にとっては、逆に私生活を改めるのにいい機会だと思いたい」と考えるところが、三浦弘行九段らしいストイックさだ。

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実は、この年度の順位戦が始まる直前に、三浦弘行六段(当時)が可愛がっていた愛犬が亡くなっている。

B級1組への昇級を決めた後、三浦弘行七段はインタビューで、次のように語っている。

その犬が死んだ後、出来れば昇級してその報告をしたいと思いました。今期あまり気合の入っていなかった私にはっぱをかけてくれたような気がします。

三浦弘行六段(当時)の純真

愛犬が亡くなった直後の順位戦第1局、持将棋になってからの深夜3時までかかった対局は本当に厳しかったことだろう。

B級1組への昇級を決めた1年半後(=A級へ昇級を決めた半年後)、三浦家では知人宅から子犬をもらうことになり、それが現在の愛犬の「チー」となる。

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2013年の朝日新聞の記事によると、三浦弘行九段が物心がついた頃から家には犬がいて、初代がコロ、2代目がチビ、3代目がミー、4代目がチー。

3代目のミーよりも2代目のチビが長生きしたということなので、1999年度の順位戦が始まる前に亡くなったのはチビということになる。

4代目チーは、チビの「チ」、ミーの「ー」を取って名付けられた。

後に升田幸三賞に選ばれた「ミレニアム囲い」も、犬と散歩しながら構想を練ったという。

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三浦九段はこの取材で、「犬は大好きです。私はまだ独身ですが、人間の女性より好きかもしれない……というのは冗談ですけど」という、いかにも三浦九段らしい冗談を言っている。

この記事を取材したのが、朝日新聞の佐藤圭司記者。

佐藤圭司さんは昨年、将棋ペンクラブ大賞観戦記部門大賞を受賞しており、9月に行われた贈呈式の時に、三浦九段も佐藤圭司さんのお祝いに駆け付けている。