「しつけなど何もしていません。もし浩司のことをそうおっしゃっていただけるなら将棋界に入って皆様に教えていただいたのでしょう」

近代将棋1983年6月号、毎日新聞の井口昭夫編集委員の第41期名人戦〔加藤一二三名人-谷川浩司八段〕第1局「静かなる挑戦者」より。

 昼食で思い出したが、谷川八段はエビとカニがきらい。それで2日目昼食のメニュー「芝海老のカレー」は八段だけやめて「ピラフ」にかえた。ところがうっかりしていたのだが、このピラフにはエビがいっぱい入っていた。八段はそのエビを横へのけながらご飯の部分を食べていた。途中で、観戦記の井上光晴氏が気づき「ほかのものを注文したら」と助け舟を出したが「もう結構です」と断った。誠に申し訳ないことをした。

 余談になるが、加藤名人は周知のように敬けんなカトリック信者である。対局中でも朝は近くの教会へお祈りにいく。谷川八段はお父さんが浄土真宗本願寺派の住職をしている。兄の俊昭氏は東大を出て勤めているが大学時代は将棋部主将、アマ界屈指の強豪で、昨年アマ王将、今年はグランドチャピオンになった。アマ・ナンバーワンと言っていいだろう。兄弟二人が寺のあとをつがず、お父さんの心境はどうか。しかし、人生の道で最高をきわめつつあることに満足なのではなかろうか。

 谷川八段は礼儀正しく、家庭でのしつけがよほど良かったのだろうと、お母さんにたずねたら「しつけなど何もしていません。もし浩司のことをそうおっしゃっていただけるなら将棋界に入って皆様に教えていただいたのでしょう」との話だった。そういうお母さんだから素直な子が育つと思った。

(以下略)

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この頃のタイトル戦の昼食は、対局者がメニューの中から選ぶのではなく、対局者も関係者もあらかじめ決まった同じものを食べていたことがわかる。

この時の対局場は、今はなき赤坂プリンスホテル。

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そういえば、海老カレーは一度も食べたことがない。

カレーに関しては、ポーク・マトン・カツが優先度A、ビーフが優先度B、チキンが優先度C、それ以外は番外、という思い込みなので、これからも縁がなさそうだ。

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「しつけなど何もしていません。もし浩司のことをそうおっしゃっていただけるなら将棋界に入って皆様に教えていただいたのでしょう」

谷川浩司九段のお母様の言葉が本当に感動的だ。