将棋世界1981年2月号、瀧野川女子学園教師・田林正好さんの「女子高校に将棋部が出来るまで」より。
瀧野川女子学園の囲碁将棋部は創設昭和51年4月、部員34名、活動時間は毎週月曜日午後2時半から4時まで地道ですが熱心な活動を続けています。
女子高校に囲碁将棋部というのは、非常に珍しいのですが、創設のいきさつは、あるひとりの生徒の思い出につながっています。
私共の学校では、毎年新学期の始まる4月、生徒会は新設クラブの希望を募っていますが、今から10年程前、たまたま新設希望クラブに、「将棋部」というのがありました。希望者は1名のみ、クラブ設置の規準は、希望者10名以上が原則ですから、当然成立しなかったのですが、「大勢の中には、こういう生徒もいるんだなあ」というのが、その時の私の感想でした。当時私は、女子校に「囲碁部」や「将棋部」なんてとても無理と頭からそう思っていましたから、そういう希望があったと聞いて、なんとなく場違いな感じさえ持ったものです。しかし翌年の4月、やはり新設希望クラブに、「将棋部」があることを知った時、私は、「もしかしたらこの学校でも囲碁や将棋のクラブが可能かな……」という期待と希望をもったのでした。
「将棋部希望という生徒はいったい誰なのかな?」探しあててみたい気持ちがありましたが、日常の多忙さの中にまぎれたまま、いつか日が過ぎてしまいました。そうした翌年のある日、私はある発見をしました。卒業式も間近い2月、校庭に人影も消え、冷たい風が吹く日でした。高三の担当をしていた私は、クラブ指導や学級事務で2、3の教師が残るだけの職員室で、卒業試験の答案を採点していました。そしてその答案用紙のすみに卒業のはなむけとして、その生徒の印象やら、激励やら、忠告などを、ひとこと書き加えていた時でした。「佐瀬」という名前が、目にとまりました。将棋に趣味を持たない人には、別に気にとめることではないかも知れませんが、「佐瀬八段」といえば、将棋界では誰知らぬ者のない名前です。私はまさか、その生徒が「佐瀬八段」の娘さんであるなどとは思いもよりませんでした。しかし、その時は、「佐瀬」という名前が妙に気になったのです。
採点を終えた私は、改めてそのクラスの家庭調書を調べてみました。父母の欄には「佐瀬勇次」職業欄には「棋士」とありました。まさしく、佐瀬八段のお嬢さんだったのです。きっと4月の「将棋部」希望は、この生徒に違いないだろうと思いました。2年連続の将棋部希望が「私に期待と希望をもたせてくれた」という意味で、この発見は非常に印象深いできごとだったのです。卒業式の当日、物静かで、小柄な生徒が私に卒業の挨拶に来てくれました。ああ、残念ながら彼女の在学中は、「将棋部」創設はありませんでしたが、このお嬢さんの、新設希望クラブ「将棋部」の一票こそ、「囲碁将棋部」創設の基因になったのです。(そのお嬢さんは、現在、沼四段の奥様)
そんなことがあった数年後の昭和51年4月本校のクラブ史上初めて「囲碁将棋部」が誕生しました。但し、生徒は駒の動かし方も知らず、碁石も桝目の中に入れる、という状態です。
しかし翌年から、毎年20名をこえる入部があり、定期的な活動を続けることが出来ました。折角できたクラブも一度低迷が続くと、つぶれてしまうこともあり、そのことを危惧した私は、良き指導者を、と考えていました。そこで54年4月、佐瀬八段にお願いしましたところ、私の意を心よく受けて下さり、池田和子さんを紹介して下さいました。以来「意義将棋部」も、実質的には「将棋部」として活動しています。
池田さんの親身な、かつ熱心なご指導で、55年8月、第16回全国高校将棋選手権にも参加させていただき、将棋に対する関心も着実に高まってまいりました。
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沼春雄七段の奥様の高校生時代、年に一度のことだったとはいえ、とても健気な雰囲気が伝わってくる。
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私は高校時代(男子校)、天文研究会に入っていた。部員数2人。
よくよく考えてみれば、天文なので本来は夜に活動すべき部なのだろうが、そのような夜の観測は年に一度(天体写真を撮る程度)だけだったので、学園祭の時以外はほとんど何もやっていないというのが実態だった。
天文研究会に入って良かったことは、
- 自分が天文学に向いていないと早い段階でわかったこと(天文学者になりたいと思っていた)
- 写真の現像を自分でやっているうちに、現像液・停止液・定着液などのおかげで指の皮膚が溶け出したのか、指紋がなくなってしまった。この方法ならテレビドラマに出てくる犯罪者はいちいち手袋をしなくても良いのではないかと、新しい発見をしたつもりになれたこと。
- 指紋がなくなっても、1ヵ月もすれば新しい(あるいは元々の)指紋ができるのを知ったこと。
- 学園祭には多くの女子高生が来るものだとばかり思っていたのだが、実際には近所の小学生や中学生がほとんどで、世の中はそのような甘いものではないと実感できたこと。
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瀧野川女子学園のホームページを見ると、現在は囲碁将棋部はなくなっているようだ。
将棋部に限らず、部を存続させるのは非常に難しいことであり、きっかけがないと復活は難しいだろうが、また昭和51年の頃のようなことが起きれば素晴らしいことだと思う。