内藤國雄九段が36年前に書いた非常に鋭い意見

将棋世界1981年12月号、「メモ帖」より。

 内藤九段が週1回、新聞にコラムを書き始めたと8月号に報じた。将棋のことや社会問題を鋭く論じている。一部を紹介しよう。「過剰の悩み」というタイトルの稿である。

(前略)肥満体は栄養過剰在庫の状態である。すべて物事は「必要な時に必要なだけのもの」があればいいのであって、それ以上になるとかえってマイナスに作用する。ところが多ければ多いほどよいと信じられているものがある。”情報”がそれ。しかし実は、それこそが最大の問題ではないかと思われてならない。氾濫する情報は、正常な感覚を狂わせかねない。無限に続く情報の波状攻撃に、世間は”一時騒ぎ”と見事な”移り気”というもので対処する方法を身につけた。(後略)

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まさしく現代の姿を言い表したような36年前の文章。

当時はパソコンなど個人はおろか企業でもほとんど入れていなかった時代。個人がネットワークを介して情報のやりとりをするのが一般的になるのは、この20年後のことになる。

芥川賞作家の新井満さんがまだ電通に勤務していた頃のインタビューで、「情報は収集するものではなく削ぎ落とすもの」と語っていたのを読んで、当時の私は大いに衝撃を受けたものだが、それが1988年頃のことなので、内藤國雄九段はその8年ほど前に同様の趣旨のことを書いていたことになる。

当時としては誰も書いていないような、非常に斬新で革命的な意見だと思う。

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羽生善治三冠も自著の『簡単に、単純に考える』で、「山ほどある情報から自分に必要な情報を得るには、「選ぶ」より「いかに捨てるか」の方が、重要なことだと思います」と語っている。

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現代はSNS全盛の時代。

Twitterの場合で言えば、有益な情報、必要な情報を速く入手できるという利点もあるが、出所を確認していないデマ情報が流れてくることも多い。

あるいは100ある事実のうちの、自分に都合の良いところだけ(主張したいところだけ)の10くらいを抽出して、それに意見が加わって流れてくる場合もあり、情報の受け手がしっかりしていないといけない時代になっている。

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100ある事実のうちの、自分に都合の良いところだけ(主張したいところだけ)の10くらいを抽出して、それに意見(思惑)が加わって流れてくる、は現代のマスコミにも顕著な傾向だ。

三浦弘行九段が冤罪に見舞われた事件での多くのマスコミ報道もそうだったが、そのような姿勢がマスコミへの信頼感の低下を加速させている。

マスコミが大好きだった私が言うのだから、本当に良くない状況だと思う。