加藤一二三九段「この子が一二三君か」

将棋世界1982年1月号、能智映さんの「棋士の楽しみ」より。

 将棋界で「一二三」といえば加藤だが、もう一人、同名がいる。関西の若手のホープ小林健二六段の長男が一二三君だ。「ぼくの棋士番号が123番。女房の映子のお茶の番号も123番、それに尊敬する加藤先生にあやかって一二三とつけたんです」と小林、若すぎて坊やみたいに見えるので、子供が赤ん坊を抱いているように見えるが、よく連れ歩く。

 近鉄将棋まつりのときもだっこしてきた。ちょうど加藤が早指し将棋に出演する日だった。こども好きな加藤が寄ってきて、「この子が一二三君か」と抱き上げ、ほおずりしたという。やさしい加藤らしいエピソードだ。

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1982年当時の加藤一二三九段の謹厳なイメージから考えると光景を想像するのが難しいエピソードであるが、現在の加藤一二三九段を見ていれば、大いにありうると納得できるエピソード。

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棋士番号123番、お茶の番号123番。

このような番号で、私が生まれて初めて意識したのは、中学1年の時に通いはじめた耳鼻科の医院の診察券番号444番。

病院で4の数字が並ぶのは不吉にも思えたが、覚えやすいし滅多にないことなので、かえって嬉しくなった記憶がある。

次に覚えているのが、大学受験の時の受験番号614番。高校入試の時にも受験番号はあったのだろうが、第一志望の高校を落ちてしまったことなどもあって全く覚えていないし、大学も落ちたところの受験番号は全く覚えていない。

どうして614番を覚えているかというと、大学の創立記念日の一つが6月14日で、この日は休みになっていたため。(旧制時代の創立記念日と新制大学になってからの創立記念日の2つがあった)

大学に入ってからの学籍番号、会社に入ってからの社員番号も覚えているが、それより後になって付けられた番号はほとんど覚えていない。

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棋士番号1番は金易二郎名誉九段

棋士番号100番は森雞二九段

棋士番号111番は 真部一男九段

棋士番号200番は豊川孝弘七段

棋士番号222番は木村一基八段

棋士番号300番は青嶋未来五段

棋士番号123番の小林健二九段も含め、この辺が覚えやすい棋士番号。

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2,26,92,131,175,183が永世名人の棋士番号。

数学的法則性があれば面白いと思うのだが、きっと何もないと思う。