福崎文吾七段(当時)と百貨店

将棋世界1985年1月号、神吉宏充四段(当時)の「関西若手はどないじゃい 福崎文吾七段の巻」より。

「5、6、7、8、早く指さなー10やでー」奨励会員がパシリと指す。その手がすこぶるいい手で、「ああー!まったや、まったやあ!」「だめですよ、福崎先生」。「もうーしゃあないなー5、6、7」。

 関西将棋会館の道場に行くと、たまに福崎七段(これからは文吾ちゃんと呼ぼう)が、奨励会員を相手に10秒将棋を指している所を見かける。「やったあー、これで5番勝ちね」とかいいながら、ズンチャカズンチャカ音頭を取り、さわいでいる。

 それを見ていた道場のアルバイトの学生は、福崎七段とはつゆ知らずに、「お客さん、もうちょっと静かに将棋を指してください」と注意した。すると文吾ちゃん、「うわあーごめんなさい」とそこはあやまり、アルバイトの学生が、向こうに行くとまた10秒将棋を始めるのであった。


 福崎文吾七段。25歳、血液型O型。とにかく、明るくて楽しくて優しい。何か吉野家の牛丼のキャッチフレーズみたいになってしまったが、本当に彼はいい男だ。

 また、彼を紹介するには、よき伴侶、睦美さんの事なくしては語れない。そこで福崎夫妻のエピソードを探してみた。


 福崎夫妻はいつも仲がいい。文吾ちゃんの無邪気な遊び心を睦美さんが理解している。例えば、こういう事があった。それは夏の暑い日の出来事であった。家には扇風機しか無かったので睦美さん、文吾ちゃんに「あなた、こう蒸し暑いと耐えられないわ。ねえ、デパートでクーラー買って来て下さいよ」とクーラー代を渡した。お金をもらった文吾ちゃん、「うん、そうだね睦美、よく冷えるやつを買って来るよ」と元気よく飛び出していった。が、この時一緒に行っていればと後で悔やむ睦美さんであった……。


 さて、デパートへ行った文吾ちゃんはどうなったか。クーラー売り場へ行きかけると何やらにぎやかなコーナーがあった。”何か楽しい事をやってる”そう思った彼は、クーラーを買いに行ったのを忘れて、その売場に寄ってしまった。


その売場とは、最近流行のパソコンコーナー。もともとゲーム大好き青年の彼は、ついついそのパソコンゲームに夢中になり、係の人の「今ならお買い得ですよ」の声に文吾ちゃん、「いえ、今日はお金を持ってないから」といいかけてサイフを見ると何故かお金がある。「あっ!お金があるから買うぅー」。

 後で睦美さんとケンカになったのはいうまでもない……。


 二人が初めて会ったのは、テレビ対局の時。文吾ちゃんが対局で、睦美さんは記録係だった。二人きりになったのは、北海道の百貨店の将棋まつりで。この時の二人のデート場所が凄い。「睦美さーん、ここへ入ろうよー」で入った場所が百貨店の恐竜展の会場。「うわー恐竜だ、ステゴザウルスだー」と一通り見て帰りに、「睦美さん、恐竜大図鑑買おうかー」。


 二人は外へ出る時も必ず手をつないで行く。また、遠くへ買い物に行く時は、先日買った一台の自転車(モナリザ号と命名)を二人で相乗りする。全く仲睦まじい夫婦だ。ただ、買い物が多いと文吾ちゃんは荷物のかわりに置いていかれるとか……。

(中略)

 彼は奨励会員達のよき兄貴役で、みんなと一緒によく遊ぶ。トランプ、パソコン、シミュレーションゲームと何でも来いだ。例えばシミュレーションゲームをやっている時など「睦美さんは上杉謙信ね、南君は徳川家康ね、僕は織田信長だ!」等と役割を決め一晩中遊ぶ。そして食事は睦美さんの手料理である。スープが出て来て文吾ちゃんは言った。「皆、早よ飲まんと熱いで」……ん?


 ほんとに陽気な人だ。先日も谷川研究会(略して谷研)に来て、将棋は指さずに、彼の愛唱歌”宇宙戦艦ヤマト”を1時間ほど歌いつづけてさっぱりして帰って行った。まあ、こういう風に普段は童心で明るい彼も、一旦、対局となると凄い勝負師になるのだ。


 とにかく、神秘的としか形容しにくい対局態度である。

 ”お願いします”対局が始まって福崎七段の手番、しかし彼は初手から一向に指す気配がない。そう、彼は必ず最初黙祷を数分間するのである。その意味は不明。とにかく”福崎神秘流”は最初から神秘なのである。先日のNHKの対局でも見られた方は多いと思うが。


 福崎将棋の特徴は何といっても穴熊と終盤の切れ味である。

 谷川名人が彼に3勝7敗と大幅に負け越し、”彼と将棋を指すと感覚を破壊される”と嘆き、その終盤感覚に脱帽した。

 今期の十段リーグでも大活躍、米長三冠王に頭ハネをくらったが、その実力から見て来期は優勝候補にあげられよう。

 また昇降級リーグ戦も好調で、こちらも昇段候補であり、彼はここ数年のうちに必ずタイトル戦に登場するだろう。

(中略)


 文吾ちゃんは将棋に対してはすごく真面目で、彼が奨励会時代、四段になるまではと座布団を敷かなかったことは有名。しかし、一旦将棋を離れると童心に帰り、楽しいジョークのわかる好青年になる。

 睦美さんとの二人三脚も息がピッタリ、羨ましい限りだ。

 ファンの皆さん、筆者は声を大にしていいたい。彼こそ本当に愛すべき人物だと。

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福崎文吾九段が、非常に面白くてユニークなキャラクターであることが一般的に知られるようになる、はるか昔の時代の話。

一朝一夕で福崎九段が意表を突くような面白いことを話すようになったわけではないことが、これでよく分かる。

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福崎九段が結婚したのは1983年。奥様の睦美さんは女流初段で、1988年に引退、退会をしている。

「棋士と結婚したのではなく、好きな人がたまたま棋士だったのです」

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「信長の野望」が発売されたのが1983年。クーラーを買わなければならなくなったのが同じ年であったことが、このような展開に結びついたようだ。

ファミコンが大ブレイクするのは1985年頃から。

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恐竜の時代は1.5~2億年続いたと言われている。

人類は誕生してから、人類の最初をアウストラロピテクスとすると300万~400万年。現代人と同じグループとされるクロマニヨン人を最初とすると20万年。

神が天地創造をしたとすると、神の姿は人間に似たものではなかったのではないか、と思えてしまうほどの恐竜の先輩感だ。

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谷川浩司名人(当時)が「感覚を破壊された」という題名で書いた、対福崎七段戦の自戦記 →谷川浩司名人(当時)「感覚を破壊された」