将棋関連書籍amazonベストセラーTOP30(2017年10月28日)

amazonでの将棋関連書籍ベストセラーTOP30。

 

 

第30期竜王戦第2局対局場「大船渡市民文化会館」

渡辺明竜王に羽生善治棋聖が挑戦する竜王戦、第2局は岩手県大船渡市の「大船渡市民文化会館」で行われる。→中継

大船渡市民文化会館」は2009年11月にオープンした複合公共施設で、2009年の日本建築大賞を受賞している。

大船渡市の景勝地として有名な「穴通磯(海水の浸食によって岩に3つの巨穴が空いている)」をモチーフとしてデザインされており、一見すると、ロジャー・ムーア時代の007シリーズに出てくるような近未来的な要塞にも思える。

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2011年3月11日に発生した東日本太平洋沖地震では大船渡市にも甚大な被害が出た。大船渡市民文化会館は津波の被害は免れたものの、照明の故障や郷土資料の水濡れなどが生じた。震災後は270人が寝泊まりする避難所として使用された。

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大船渡市民文化会館のレストランは休業中なので、食事は、前夜祭が行われる「大船渡プラザホテル」から届けられるものと予想される。

〔大船渡プラザホテルの昼食向きメニュー〕

大船渡プラザホテルの昼食向きメニューは次の通り。2週間位続けて通いたくなるようなメニュー。

○レストラン「サーカス」

天ぷらうどん・そば 780円
啄木弁当 1,100円
豚ロース生姜焼き定食 950円
海老フライと豚ロース生姜焼き定食 1,300円
海老フライ定食 1,500円
お刺身御膳 1,600円
天重 950円
海鮮重 1,600円
まるごと鮑の三陸丼 2,160円
秋刀魚の蒲焼丼 950円
秋刀魚と季節野菜の天丼 950円
三陸牡蠣の照り焼き丼 1,000円
秋刀魚の塩焼き定食 1,200円
三陸牡蠣フライ定食 1,200円
秋鮭はら子重 1,300円
麻婆豆腐定食 950円
青椒肉絲定食 1,000円
黒酢酢豚定食 1,000円
エビのチリソース炒め定食 1,000円
イベリコ豚ベジョータのソテー 1,500円
イベリコ豚ベジョータのカツレツ 1,500円
クラブハウスサンドイッチ 750円
デミグラスハンバーグとカレーピラフ 850円
黒毛和牛切り出しにくと野菜の鉄板焼き 1,000円
スパゲッティナポリタン 750円
スパゲッティミートソース 750円
スパゲッティポモドーロ 750円
スパゲッティボンゴレ 800円
渡り蟹のトマトクリームソース 900円
蟹肉ピラフ 800円
ビーフカレー 800円
シーフードカレー 900円
ふわふわ卵のオムライス 900円

〔昼食予想〕

三陸なので海鮮系昼食であることは確実と思われるが、羽生棋聖の二日目だけ大穴狙い。

渡辺明竜王
一日目 秋刀魚の塩焼き定食
二日目 お刺身御膳

羽生善治棋聖
一日目 海鮮重
二日目 イベリコ豚ベジョータのソテー

 

 

本当のように見えて、よく考えてみると嘘としか思えなくなる話

将棋マガジン1984年2月号、川口篤さん(河口俊彦五段)の「対局日誌」より。

 昼休みは、12時10分から1時まで。なぜ12時からでなく、10分すぎからなのかは判らない。連盟流のへ理屈があるのだろう。以前は思い思いに外へ出て食事をしたが、今期から、外出まかりならぬ、というお達しがあって、地下の食堂で出前を取るようになった。

 戦っている相手といっしょの食事は気づまりなものである。しかし、黙りこくっているのも変なので、なにか当たりさわりのない話題を選んでおしゃべりする。例えばお嫁さん探しの苦心談などが適当だ。

 この日も、例によって青野や前田、桐谷のうわさ話になった。

「青野君がいってたけど『みんな相手がいないのではなく、いるんだけど、先に発表して、なんだあんな女か、といわれるのを恐れて牽制しあっている』が本当なんだって」

 そんなことを私がいうと、一同「なに云ってんだろうね」とニコニコするのである。

「ところでね、作家の石川淳は、バアーやクラブで女を口説く時、文士と身分がバレていないと見るや、将棋指し、と名のって撃って出る、のだって。そうすると、どういうわけかモテる、という話を聞きましたよ」

「本当かい」と米長が大声をあげた。

「そんなこととは知らないもんだから、コピーライターだとか、作曲家だとか、整形外科医だとか、いろいろ苦心していたんだ。なんだ正直にいえばよかったのか」

 となりで、福本記者が「意外だけど、そういうことはあり得ますね」と感心した。

 将棋指しというのは、金にならない商売だから、そんなこともなければつり合いが取れないが、しかし待てよ、将棋指しと名のって、なおモテなければ、絶望ということなのかな。

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「作家の石川淳は、バアーやクラブで女を口説く時、文士と身分がバレていないと見るや、将棋指し、と名のって撃って出る、のだって。そうすると、どういうわけかモテる、という話を聞きましたよ」

この話、はじめは興味深い話だと思って取り上げることにしたのだが、文字を打ち込んでいるうちに、この話の信憑性・有効性に大いに疑問を抱くに至った。

理由は次の通り。

  • 作家の石川淳氏は1899年の生まれで1987年に亡くなっている。”将棋指し”と名乗ってモテた時代がいつなのかはわからないが、仮にこの「対局日誌」が書かれた1980年代初頭の頃だとしたら80歳を超える年齢。女性を口説くという次元を超越した域に達しているわけで、仮にモテたとしても、それは将棋指し云々とは遠い理由からではないか。
  • 本気で口説けるのが50歳代までだったとしても1950年代以前のこと(石川淳氏は54歳の時に20歳年下の女性と再婚している)。1980年代にそのような昔の事例が参考になるのかどうか。
  • 銀座や六本木のクラブの女性の方が上手で、石川淳氏が作家であることを知ったうえで、話を合わしてくれていた可能性も高い。

他にも細かな理由はあるが、決定打は次のこと。

27年前の悲劇

1983年頃の、当時の若手棋士の悲哀。現場からの声である。

自分が棋士であることを明かすと、女性にかえって敬遠されたという時代だった。

このような状況が変わったのは、羽生善治七冠誕生前後の1995年頃から。

 

 

「升田新手の被害者第一号にはB級1組の七段あたりがよく選ばれていた」

将棋世界1986年7月号、東公平さんの「ご縁の深い名棋士 神機妙算 升田幸三先生」より。

 人は、時代的にしか生きられない。

 もう少し早く生まれていたら、私は将棋の世界に入っていたかどうか分からないが、観戦記者になって升田幸三先生の全盛時代の対局を見ることができたかも知れない。私の言う全盛時代とは、六段から、戦争を挟んで七段、八段、そして王将戦で名人二人を半香に指し込んだあたりまでである。

 名人、王将、九段という当時の全タイトルを独占したころの升田先生は、我が事成れりの心境であり、体力的にも頂上から下り坂を踏む円熟期にさしかかっておられたのではあるまいかと思うのである。

 六段には昭和13年に20歳でなっておられる。このころのエピソードで、升田青年は対局場に着くとすぐに事務室に入り、星取り表に、丸に勝の字を彫った赤いスタンプをぺたんと押し、ニヤッと笑ってすたすたと階段を踏んだと伝えられている。負の字の青いスタンプは升田六段には無用だった。そういう光景も見たかった。

(中略)

 観戦記者として初めて升田先生の対局を受け持ったのは、例によって記憶がない。A級順位戦であったことは確かだ。

 お察しのように私は升田ファンの一人であって、どうしても升田主演、相手棋士助演という形で観戦記が歩き出してしまう。しいて公平に書こうと心掛けると、ひどく出来の悪い文になるような気がしていやだった。

「お前さんの観戦記は升田べったりだな。気を付けた方がいいぞ」と電話で忠告を受けたこともあった。朝日の人で「素粒子」を書いておられた齋藤信也氏である。この人は升田嫌いであったらしいが、私のような駆け出しには、いろいろと勉強になるご忠告をいただいたものである。余談だが斎藤氏は皇太子殿下が初めて船で渡欧された折の随行記者で、船内将棋大会の決勝戦で皇太子と相まみえ、どちらの優勝だったか失念したが、その棋譜は週刊朝日に出たし、斎藤氏の著書にも載っているはずである。どうして私は物忘れがひどいのだろう。

 金子金五郎九段は升田びいきである。ある年大山名人の忌避に会って、名人戦の観戦記を一回下りたことがあった。

 それは気持ちの上からは納得できる話だけれども、一面、升田将棋の性格をよく表した話でもある。升田という漁師が、構想という名の投網を投げ込む。大山という大魚が網を食い破るべく抵抗する。この例えは一度書いたことがあるのだが、的を外していない自身がある。もっと下位の棋士になると、食い破る歯がないためバタバタ暴れるだけで「ラクーに」網にかかってしまう。升田新手の被害者第一号にはB級1組の七段あたりがよく選ばれていた。

 第一手から大きな構想を組み立てて指すのが升田先生の将棋であって、途中で妨害されて好まぬ方向に向かった時、気落ちのポカが出たのではないだろうか。

(中略)

「記録係は時計の番人だ」と注意を与える。棋譜は後でも書けるが、タイムのつけ落としや誤記は、まず対局者が迷惑するし局後に訂正するわけにいかないから。

 そう教える升田先生自身は、めちゃな記録係だったらしい。初段、二段あたりですでに四段以上の棋力があった。対局者が、かったるい手ばかり指す。寄せがあるのに逃す。升田少年は助言したいのを必死にこらえながら棋譜をつけるが、早く終わらせたいので10分なら20分、30分の長考は50分というふうに水増しをする。「どうもあの記録係は怪しい」と気付かれてついにお払い箱になった。

(中略)

 野球の名監督、名コーチは人真似が上手だと聞く。音楽の場合でも天才と呼ばれる歌い手は他人の声色や物真似がうまい。升田先生の物真似は、ほとんど知られていないと思うが絶品である。解説を聞きにお宅へよく参上したが、難しい局面で「大山ならこう指す、加藤(一)ならこう指すな。荒巻さん(引退八段)なら、こんな手つきして、こう指すんだな、フッフッフ」といった調子で顔つきから手つきまで、その人になり切った珍芸を見せてくださる。極めつけは木村十四世名人のタバコの吸い方編であろう。対戦の最中に、じっくり観察しておられたようだ。

 ある時の解説で「ここで普通はどう指すんでしょうか」と訊ねた。すると即座に「普通の手というのはどういう手ですか。わたしには分からん」と言われてハッとした。

 そうなのだ。升田将棋に「普通」はない。一つの最善手が存在し、それ以外の手は全部悪手か緩手。先生の人生観を垣間見る心持がして、以後は絶対に普通という言葉を使わないことにしている。

(以下略)

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「お察しのように私は升田ファンの一人であって、どうしても升田主演、相手棋士助演という形で観戦記が歩き出してしまう。しいて公平に書こうと心掛けると、ひどく出来の悪い文になるような気がしていやだった」

私は東公平さんの、『升田式石田流の時代』『名人は幻を見た』『升田幸三物語 』の三冊は、出版されるなり購入している。

升田将棋、升田幸三という人を、東公平さんの文章を通して読みたかったからだ。

それほど、升田幸三実力制第四代名人を語るには東公平さんを措いて他にはいない、という印象だった。

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升田主演、相手棋士助演という形での東さんの観戦記は素晴らしいものばかりだった。

観戦記には様々な形があって良いと思う。

 

 

米長邦雄八段(当時)「血液型を調べてもらったら、なんとAB型といわれた。昨日までB型だった」

近代将棋1974年7月号、米長邦雄八段(当時)の「さわやか随筆」より。

 いい陽気になったものだ。

 5月というのは、一年中で一番良い月だと思う。

 息詰まる年度末の順位戦を終え、解放されるのも手伝っているのかもしれない。

 最近は調子絶好。伊東へ10日ほど行ってから、2キロほど増えた。

 対局がないというのは楽なものだ。

 平穏無事な数日を送っていると、天下泰平には、それにふさわしい出来事というものがあるようだ。

 ある朝のこと。9時に電話で起こされる。

 重大な用件か、偉い人からの電話だな、と思った。

 これは芹沢先輩から教わったのだが、我が家では、「天皇陛下だぞ」と、言って寝ることがある。

 これは、天皇陛下以外の電話は取り次ぐなという意味である。

 しかるに、電話で起こされた。

 出てみると、「M警察署ですが―」と来た。一瞬ハッとする。

 夢というのは、1、2秒で、ほとんどの筋書きが出来上がるほど、早いものだそうだが、ここ半年の行動を、サァーッと思い浮かべたのには、後で気がついて驚いた。

 話を聞いてみると、北海道から出て来た少年を保護しているという。

 家元も連絡がつかず、東京に身元引受人もいないとのこと。

 ただ、米長先生だけは、良く知っているということですが………という切り出し方である。

 先方は知っていても、私の方は全然知らないという例はたくさんある。

 迷惑な話とは思ったが、将棋ファンの中にはいろんな人がいるものだ。人の好さも手伝って、行くことにした。

 一人で行こうかと思ったが、意外にさばきが難しくなるかもしれないと思った。

 こういう局面には、うってつけの男がいるのを思い出した。

 さっそく芹沢さんに電話をして、一緒に行ってもらった。

 警察署の中で、本人に会ってみると、寝てないせいなのか、ちょっと変わってる感じがした。目がすわっている。

 将棋はどのくらい指すのか聞いてみたが、他の話し同様、釈然としない。

 本誌は毎月読んでいるとのことだ。

 プロ棋士になりたいという訳でもないらしい。どうも真意がつかめないのである。

 身柄を引き受ける訳にもゆかず、本人には家へ帰ってもらうよう説得して、署を出た。

 後日、連盟で人に聞いたら、いろんな棋士の所へ、大勢来ているようだった。

 将棋が盛んになってきた証拠かもしれない。テレビタレントになりたいとか、歌手になりたいと言って家出してくるのと同じだ。

 こっちには迷惑だが、一年に何人かは、そうなくてはならぬ、と妙な説を打ち出したりし始める。

 警察署を出たものの、朝一番の電話がこれでは、一日仕事にならない。

 この日は厄日としてもらったが、芹沢さんは忙しかったようで、ひとつ借りができた。

 夜、中野で、南川さんに会う。アマ強豪数人に囲まれ、われわれ二人、酒を飲んでいるうちに愉快になった。

 南川アマ名人の功績通り、遅ればせながら六段の免状が出ることになったのを聞く。

 凶変じて吉となる。

 6月9日が、その祝いの会だそうだ。

 当日は中野道場へ行くのを約束して帰宅。

 翌日、鷺宮駅まで、ブラブラ散歩していると、赤十字の大型車が駐車している。

 看護婦さんが何人かいて、呼びかけをしていた。

 どうやら献血運動らしい。

 私は一度も協力をしたことがなかったのだが、どういう訳か、足がそっちの方へ行ってしまった。

 血圧やら、肝臓障害やら、簡単に調べて、血を取られることになった。

 一人だけと思うが、いやに威張っている医師がいた。

 一応こちらは協力者である。

 将棋の先生がファンに接するような態度がとれないものかと思った。

 血液型を調べてもらったら、なんとAB型といわれた。私がB型のところへ○印をつけたので、一枚書き直さなくてはならないのが件の先生の機嫌を損ねたものらしい。

「昨日までB型だったのですがネ」

 私はB型と思っていただけに信じられない気がした。

 採血の際、もう一度、今度は優しい看護婦さんに調べてもらったが、やはりAB型だった。

 200CC抜き取られた。

 それでいてフラッとする訳でもなく、タイトル戦の疲れがドッと出た順位戦終了の頃の憔悴しきった体のことを考えると、夢のような気がする。

 バッジを一ついただいた。

 確かにB型と思っていたのだが、別に大差あるまい。妙な気分で家に帰った。

 西村君が結婚した。

 5月17日のことである。

 前日、一年一度の棋士総会があり、それが翌17日の午前3時51分まで続いたのだから驚く。

 結婚式に列席の棋士の大半は、ほとんど寝ていないはずだ。私が司会を務めさせてもらった。

 西村君だけは、先の見える男で、総会には出席していない。

 加藤治郎会長の祝辞に「今夜は西村君が徹夜の番です」とある。今ごろハワイで、どうしているやら。先ずはおめでとう。

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1990年代までだったと思うが、将棋世界、将棋マガジン、近代将棋の新年号には棋士の住所が掲載されていた。

今から考えると信じられないような時代だったわけだが、そのことと家出人が頼ってくることに相関性があるのかどうかは分からない。

どちらにしても、この時のケースは自宅に直接訪ねてくるパターンではなく、警察署が最初から間に入っていたことが、不幸中の幸いだったと言えるだろう。

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警察白書によると、1974年の家出少年少女の発見保護件数は46,822件。

2015年は16,035件。

少年少女に分類される年齢層の人口の減少はあるものの、減ってることは確かだろう。

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血液型について、米長邦雄永世棋聖は、将棋世界1983年11月号で次のように書いている。

 将棋J誌11月号に棋士の血液型の話が載っていた。なかなかおもしろいエピソードも語られていたが、私の血液型に関しては間違っている。

 文中ではB型となっていたが、これは20代の話。22歳の時に盲腸の手術をした折は確かにB型であった。しかるに30になって献血運動に協力した処、あなたはAB型ですと言われ、何度確かめてもその通りである。

 小生愚考するに、Aクラスに昇級したから血液型も変わったのだろうか。いずれかの時にはB型に戻るのかもしれない。

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自分が思っていた血液型と実は違う血液型だった、という例は、棋士では、米長邦雄永世棋聖のほかに林葉直子さんがいる。

林葉さんは自分の血液型がA型だと思っていたのが、検査をしたらB型だったと知る。

親友の中井広恵女流名人・女流王位(当時)は、将棋世界1992年8月号で林葉さんについて次のように書いている。

 それに最近の彼女はメチャ明るくなった。男の人が苦手だった筈が、今では自分から積極的に話しかけている。本人は

 ―A型だと思ってたら、B型だったので、性格も変わったのョ!―

と言っているが、充実した生活を送っているからだろう。

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米長邦雄永世棋聖も、本当の血液型を知って、何らか性格が変わった部分があるのではないかと思う。

外から見ていると「さわやか」に「泥沼」の要素がどんどん加わっていったように感じられる。

かと言って、AB型は泥沼成分が強いかというと、AB型の棋士は、羽生善治棋聖、勝浦修九段、森下卓九段、木村一基九段、稲葉陽八段、芹沢博文九段、村山聖九段、などで、泥沼とは正反対の雰囲気。

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西村一義七段(当時)の結婚式の模様は次の記事に詳しい。

棋士版「結婚披露宴スピーチの急所」(昭和編)