将棋世界2004年8月号、内藤國雄九段の「気になっていたこと」より。
「軍隊慰問のときは汽車の移動時間が長くて参ってしまうんだが、木村さんは何時間でも目をつむってじいっとしていた。偉いと思ったねえ」加藤治郎長老はこう語った。木村義雄十四世名人には数々のエピソードがある。芹沢さんが好んだのは次の話。
「タイトル戦の打ち上げの席で、誰かの面白い話に皆が笑っていたんだよ。すると名人が『君が笑う必要はない』と記録係の青年に言ったんだ」。どういうことかな、とちょっと、考えさせられるが、いかにも木村名人らしいと芹沢さんは喜ぶのである。因みに芹沢さんは木村名人を最高に尊敬していた。
木村名人らしいといえば、私が感心してしまう極めつきのエピソード。玉を逃げ間違えトン死を食ったとき、相手の八段を叱りつけたという話がある。1図、ノータイムで指した▲4八玉が悪手。▲4七玉で詰まないことは分かっていながら悪魔に魅入られたのか(観戦記)。△2八飛と打たれて投了の後、激昂した。
「萩原君!君は詰まないのを知りながら(僥倖をたのんで)王手をかけてきたんだなっ」その時の木村さん(最強の八段で第1期名人になる直前。自他ともに日本一をゆるし観戦記には将棋の神様と書かれていた)の姿は、歌舞伎の立役者が両手を広げて目を剥いて「無念残念」と見栄を切っている姿とダブって私には見える。人気、自信、気迫、どの点からみても非の打ち所のない第一人者が勝利目前に足をすべらせたのである。
「我が名局は敗局の中にある」こう述べた名人(なんと自信に満ちた言葉であることか)。この敗局は両対局者気迫の充溢した名局といえる。
(以下略)
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軍隊慰問は満州で行われたので、汽車での移動と言っても、景色の変わらないような荒野を何時間も走り続けるものだった。
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奨励会員に対する「君が笑う必要はない」がどういう意味なのか。
考えられるものとしては次の通り
- 笑う資格があるのは四段になってから→これは厳しすぎる
- それほど面白い話ではないのだから、君のような若い人たちは無理に笑う必要はない→これは気を遣いすぎる
- 高段者の笑える失敗談だったとして、どのように可笑しくても、先輩棋士をそのように笑ってはいけない
いずれにしてもわからない。
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「君は詰まないのを知りながら(僥倖をたのんで)王手をかけてきたんだなっ」
どんなに不合理な言葉であっても、木村義雄十四世名人が言えば名言になる。
例えば「形作りをしようと思っていたんです。あと数手指したら投了しようと思っていました。それなのに▲4八玉と指されてしまって…」と言いたくてもそれを圧するような迫力があったのだろう。