「森さんは死ねっ!死ねッ!ていっていたけど負けたら、死んだ!死んだ!とわめいていました」

将棋マガジン1984年4月号、川口篤さん(河口俊彦五段・当時)の「対局日誌」より。

 神谷が婚約したと聞いていたので、たしかめたら「本当です」という。それじゃお祝いをしようと大島と三人で会館を出た。

(中略)

 まず近くの焼肉屋から始まり、そこを出ると、大島が「今度は私が案内します」というので、渋谷のいま流行のカフェバーみたいな所へ行き、そこで話がはずんで、気がついたら電車がない時間になっていた。三人ニヤニヤしながら、しょうがないね、なんていって新宿へ。

 寒い中を二丁目のバーまでたどりついて一息いれていると、筑摩書房の編集者氏と、桐朋音大の教授氏が入ってきた。私達が将棋指しだと知ると教授氏が「演奏家の世界は死屍累々でしてね。一人の小澤征爾を生むために、何千何万の人が犠牲になるんです。将棋界も同じでしょうな」と話しかけてきた。

「そうです。一人の名人を生むためにね」

 酔眼で神谷を見つめていた教授氏は「あんたいくつ?エッ22。うちの学生とは全然ちがうな」

「どうちがうんです」

「落ち着いて、しっかりしてるわ。いい面構えだな。この人は大成するよ」

 神谷はテレているが、まんざらお世辞でもなさそうだ。一流人に褒められては私だっていい気持ちになる。そこまではよかったが、それまで急ピッチでグラスを開けていた大島のろれつがおかしくなったと思った瞬間、どさりと床に崩れ落ちた。

 なよなよしている大島も、意外に腹が出ていて重い。こうなると、教授、編集者、棋士なんていう人種はお手上げである。それでも4人がかりでなんとか持ち上げ、ようやくタクシーに放り込んだ。

 それをしおに解散し、私は近くのホテルに泊まったが、なんのことはない、順位戦を取材するよりよほど疲れてしまった。

 そして今日である。

午前11時30分

 昼休みのちょっと前に会館に着いて、さっそく大広間に行くと、手前の間の北村(昌)-前田戦のとなりが空席になっている。芹沢-関根戦だが、芹沢が来てないのだ。この時間になっても来ないのでは不戦敗だろう。

 となりの北村はおもしろくなさそうな顔。

 第2対局室へ行くと、鈴木(輝)が佐伯と対戦している。

「芹沢さんはまだ来ませんか」

「うん」

「一つ対局の順番がちがったばっかしにえらく損するもんだな。ボクとやった時は、残り5分まで頑張られましたよ。しかも悪い将棋をネ。交通費では理事にいじわるをされるし、まったくいつもひどい目ばかりにあう」

 ミジメ君はそういってなさけない顔をしてみせる。佐伯はわれ関せず。

 そうしているうちに12時となり、不戦敗が確定した。記者室にいると加藤(博)が入って来て星取表を眺め「とうとう全敗はボクだけになったか」

 棋士が用事とか遊びとかで顔を出すのはこの頃からである。

 中原が紙袋をかかえてあらわれ、盤を出して将棋を並べはじめた。2日前の名人戦リーグ、加藤(一)-森(雞)戦である。ざっと見て次は米長-森安戦。いつの間にか若手棋士が数人集まっている。中原は紙袋から菓子パンと牛乳を出して食べはじめた。そして土佐に「すまないけど、もう一度並べてくださいよ」

 並べていると、いろいろ情報を提供する人が出てくる。「この局面で加藤さんは10数分しかないんですよ」とか「森さんは死ねっ!死ねッ!ていっていたけど負けたら、死んだ!死んだ!とわめいていました」など。

 この将棋、森は好局を落としたようである。それにしても、中盤で時間がなくなり、形勢は不利。それからの加藤の粘りはみんなを驚嘆させた。

「加藤さんは、長考した時はなにも読んでないけど、1分になるとものすごく読んでるんだ」そう中原が呟いた。

 私が食事に出そびれたのを知った大島は、「昨日はご迷惑をかけました」といって寿司の折り詰めを差し入れてくれた。そしてみんなにお茶をくばる。パンをほうばっていた中原は私を見て、なんとなしに笑った。こういう所が「自然流」なのである。部屋中が明るくなる。

 余談になるが、これが米長だったら、将棋に辛辣な寸評を二言三言加えて「じゃあ私の碁を見てください」とかいいながら、みんなにうな丼をふるまうところ。彼はここ10数年、そんな風に気を遣いつづけて来たのである。

(以下略)

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”二丁目のバー”は新宿二丁目にあった「あり」。

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順位戦での不戦勝、やはり、戦績が苦しい時は、本音としては嬉しい場合もあると思う。

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「死ねっ!死ねッ!」と言いながら指して、負けたら「死んだ!死んだ!」、いかにも森雞二九段らしい。

中原誠十段・王座(当時)の「加藤さんは、長考した時はなにも読んでないけど、1分になるとものすごく読んでるんだ」も凄い。

数々の戦いを重ねての実感だったのだろう。

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笑顔の中原誠十段・王座がまさしく「自然流」なら、皆にうな丼をふるまう米長邦雄王将(当時)はケレン味溢れる「非自然流」というところか。どちらが良いというのではなく棋風(気風)の違い。

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カフェバー、30年振りに聞くような言葉だから今では死語になっているのだろう。

カフェバーに行くよりも、カフェはカフェ、バーはバー、それぞれ別個に行ったほうが良いに決まっているじゃないか、と思っていた私は一度もカフェバーには行ったことがなかった。

生ハムメロンを、生ハムは生ハム、メロンはメロンとして別個に食べる私だから無理もない。