将棋マガジン1985年1月号、「東西オンライン対局」より。
東京と大阪をパソコンで結び将棋の対局をしようという試みが実現した。
企画はNEC日本電気グループ。今、ライバル同士の谷川名人(大阪)と田中八段(東京)のパソコン対局を一目見ようと集まったお客さんは、東京(日比谷)が約百人。大阪(梅田)も百人と大入り満員。
対局者の指し手をオペレータの方がインプットすると、大きな画面に映っている盤上の駒が動く、という仕組み。
対局は田中八段の先手で始まり、谷川名人は四間飛車。
「谷川さんには大きな賞金のかかった対局はすべて持っていかれていますから、家の購入資金 計画が狂っちゃいましたよ」と田中八段。また谷川名人は「夫婦で(司会は田中八段の奥様のひろみさん)のろけないでください」と、場内を笑いにさそう一幕も。しかし、将棋の内容は迫熱した闘いになり、最後 はきわどく田中八段が寄せ切って勝利。東京会場からは盛大な拍手が湧き上がった。
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インターネットが誕生するずっと前の時代。
東京-大阪間は専用線かVAN(value-added network)と呼ばれていた付加価値通信網が使われていたと考えられる。
現在のようなユーザインターフェースは不可能だったので、PC側で相当な作り込みがあったのだろう。
当時としては非常に高い技術が駆使されていたことになる。
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田中寅彦九段の奥様のひろみさんは、この頃、テレビ東京の早指し選手権の詰将棋コーナーと次の一手コーナーのアシスタントを担当していた。
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日比谷に日比谷シティができたのが1981年、ここに日本電気のC&Cプラザがあった。
C&CはComputers and Communicationsの略。
E&Eは東芝でエネルギーとエレクトロニクスの略。
B&Bは漫才コンビだった。