将棋マガジン1987年3月号、コラム「棋士達の話」より。
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山好きな棋士もいる。米長九段の六段時代の話、八ヶ岳の頂上で「こんなに上天気なのに服を着ているのは勿体無い。体全体を焼こうといって何とパンツまで脱いでしまった。フォーカスに取材された下地は当時からあったわけである。
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悪天候をついて登った青野八段と佐藤義則七段。夕方頃動けなくなった青野八段「佐藤さん僕を置いて先に行ってください」「何を言うんだ青野君、君がいなくて将棋界の将来はどうなる」とドラマチックな会話。無理に歩いたら5分で山小屋到着。
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冬山に登った青野八段。完全装備ながらオーバーシューズとアイゼンがうまくつけられず苦戦。夏なら30分ぐらいの距離を4時間かけて山小屋へ。「冬山って大変ですね」と言ったところ、小屋の親父さん、ジーッと見ていたが「その靴左右逆だよ」
将棋マガジン1987年4月号、コラム「棋士達の話」より。
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雪山に登り、道のわからなくなった田辺六段と関屋六段。途方にくれたが、そこは勝負師。「僕の記憶ではこの下に道があるはず」といった田辺六段、いきなりガケを飛び降りた。結果は勝負手が成功したが、失敗していたらどうなっていたのだろう。
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若手の小林宏四段、谷川岳一ノ倉沢に登った時吹雪で動けず、丸4日間山小屋にカン詰。ようやく嵐も収まった時動いて東京へ午前3時着。そのまま奨励会へ出席した。さすがに幹事の滝六段も心配して「今日は休みなさい」ウーム根性。
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奨励会はよくハイキングに行く。その際はしかるべき服装を、と伝達するが、ほとんど守られない。登山の重装備は可愛いが、中には背広にネクタイで皮靴とかサンダルもいる。林葉女流王将はスカートのまま。後から歩く者が困ったという。
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軽い山登りで、背広で来る人、何もそこまでという本格登山用の重装備で来る人、サンダルの超軽装で来る人、スカートで来る人、これらが全て揃っているところが、いかにも昔の奨励会らしいところ。
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と言いながらも、私もハイキング程度の山登りに何を着ていけばいいのかすぐに思いつかないし、そもそも山登りをしたくないし、途方に暮れてしまうことだろう。
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高校生の頃、親戚の家で『山と渓谷』という雑誌があることを初めて知った。
このようなマニアックな世界の雑誌が世の中にあることにビックリしたのだが、『将棋世界』『近代将棋』『ゴング』『丸』に対してはそれほどマニアックとは思っていなかったわけだから、当時の私の感性も、かなり凄かったことになる。