将棋マガジン1985年2月号、青野照市八段(当時)の「プロの大局観 アマの大局観」より。
最後は札幌で行われた、小中学生選手権の決勝戦の棋譜です。屋敷伸之君は中学1年、後藤義広君は中学2年で、共に四段です。
このクラスになると、大局観もなかなかしっかりしており、高度な意味での大局観の解説になるには、やむを得ないところです。
9図は、後手が△5四歩と突いた局面です。お互いに玉は堅いが、どこから手を作るかが難しい局面です。
9図以下の指し手
▲2四歩△同歩▲3七桂△3三桂▲2四飛△同飛▲同角△2一飛(10図)▲2四歩の突き捨ては、この局面ですぐ決戦という手ですが、動きとしてはもう一つつまらない感じです。
後手陣をよく見ると、後手の構えは最善最良の形であり、もう一手指させた方が、崩れて攻めやすいと言えます。
そこでプロの感覚では、9図から単に▲3七桂と跳ね、△3三桂に▲2七飛(参考5図)と浮いて、待機したいところです。
この▲2七飛は単なる待機でなく、次に▲6八角と上がってからの、▲4五桂△同桂▲4六歩の攻めを見せています。▲6八角はこのときの、△3七桂成から△2六角を未然に防いでいます。
こうしておいて、後手が△8三銀のように浮き駒ができたり、△5三角で3三の桂にヒモがなくなったときに、▲2四歩と行くのです。
「動けば斬るぞ」というのが、上級者における戦いの考え方と言えます。
本譜は飛交換後、△2一飛は手筋の自陣飛車ですが、ここは平凡に▲2七飛で、先手が困ったはずです。以下▲2一飛なら△3七飛成ですし、▲2三飛には、△2五桂▲同桂△2二歩の用意があります。
(中略)
11図以下の指し手
▲6五歩△5三桂▲6四歩△4五桂▲6三歩成△同金▲6四歩△6二金引▲6六桂△8三玉▲7五歩△4九飛(12図)▲6五歩は先手の勝負手です。ここは▲8八玉と、形を直したいところですが、ここから秒読みでは、余裕のある手を指すのは難しいでしょう。
しかし▲6五歩に、△5三桂は7三の桂とダブっていて、いかにも効率の悪い駒です。
▲6四歩で▲4一竜と入り、△6五桂左▲6八銀△6九馬▲1一竜とされたら、△8五歩には▲7九銀の受けがあり、▲8四香の反撃も残っていて、後手は戦力不足で攻めきれないところでした。
ここはプロなら当然△4四歩と打ち、▲同竜△6五桂▲6八銀△6九馬として、次に桂を持って△8五歩の筋を狙いたいところ。駒は最大限に生かし、ダブッた駒は打ちたくないのです。
本譜は竜を捨てて▲6四歩と、勝負に行きましたが、これは勢いとはいえ、無茶でしょう。12図の△4九飛が好手で、先手はシビれました。
次に△7七馬があるのですが、これを受ける▲8八金は、△4七飛成があって先手いけません。ただしこの将棋は、先手の頑張りが奏して、先手の勝ちとなりました。
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青野照市八段(当時)が読者から送られた棋譜を題材に、「プロならばこう指す」というプロの大局観を解説する講座。
青野八段の解説のしかたから見て、この棋譜は屋敷伸之少年の対局相手だった後藤義広さんが送ったものと考えられる。
後藤義広さんは現在も北海道のアマチュア将棋界で活躍をされており、奨励会に入会した直後の屋敷伸之九段と徹夜で将棋を指したこともあったようだ。
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「ただしこの将棋は、先手の頑張りが奏して、先手の勝ちとなりました」と衝撃的なことが最後にあっさりと書かれている。
12図からどのようにして先手の屋敷伸之少年が勝ったのだろう。
12図から△7七馬とされたら目も当てられない。受けるとしても私の棋力では▲7九銀打くらいしか思いつかない。しかし、▲7九銀打と銀を手放したら、先手に何の楽しみもなくなってしまう。
ものすごい腕力なのか、まさしく忍者なのか、神秘性に包まれた屋敷伸之少年だ。