自戦記「”姥捨て山”にはまだ行きたくない」

将棋マガジン1985年12月号、関根紀代子女流三段(当時)の第8期女流王将戦A級リーグ〔対 山田久美女流初段〕自戦記「”姥捨て山”にはまだ行きたくない」より。

 山田さんと私は、今まで5局闘って1勝4敗と無残な星です。

 年齢の差は、山田さんが私の約三分の一ぐらいですが、同じ群馬県出身のせいか、とても可愛く思っています。

 山田さんはたしか18歳。私にも16歳になる女の子がいますが、山田さんと二つしか違わないせいか、対局している時でも母性本能を発揮して、どうにもしまらなくなったり、又その逆に闘志が湧きすぎて気持ちがスリップ状態になってしまい悩んでいました。

 そんな或る日、その事を知人に話してみたところ、いとも簡明に「関根さんもその人と同じ年になったつもりで、可愛い声を出せば同等に闘えるわよ」と、教えてくれました。

 今回、早速実行に移そうと決意して、この対局に臨みました。

 対局10分前”番茶も出花”18歳になったつもりで、心浮き浮き「お早ようございます」

 盤の前に座っていた彼女、私のあまりに可愛いい?声に、けげんそうな顔つきで、しばし注目。

 しかし、すぐに盤に向かい、精神統一に心掛けているようでした。

 対局が始まり間もなく手洗いに立った私、何気なく鏡をのぞいた途端四六のガマよろしく、タラリタラリ、シワ32、ああ無情、しばらくは茫然自失の態、気を取り直して対局室に戻り(おばんです、とはいわない?)将棋に熱中した次第です。

(以下略)

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とても面白い自戦記。

事前の周到な対策と準備の効果があったのか、この一局は関根紀代子女流三段(当時)が勝っている。

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関根紀代子女流三段(当時)はこの時まだ44歳。

自戦記のタイトルにわざわざ”姥捨て山”という言葉が使われているのは、この2年前に姥捨て山が物語の主軸となっている映画『楢山節考』がカンヌ国際映画祭にてパルム・ドールを受賞し、当時は姥捨て山がかなり一般的な用語となっていたためと考えられる。

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四六のガマとは、前足が4本指、後足が6本指のニホンヒキガエル(ガマ)のことで、ガマの油売りがこの口上を使っていた。

シワ32は、4×8=32の地口。

栗よりうまい十三里(九里四里うまい十三里、9+4=13)と同系列。

豊川孝弘七段の、「味良し道夫」「間に合わじ仁茂」「角筋を社団法人」「この手は渋い、渋谷の将棋指し」なども地口の王道だ。

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「関根さんもその人と同じ年になったつもりで、可愛い声を出せば同等に闘えるわよ」

このような発想をできる人が指南書的な本を書けば、かなり売れるのではないだろうか。