将棋マガジン1984年12月号、川口篤さん(河口俊彦六段・当時)の「対局日誌」より。
「この頃の観戦記はおかしい」
とみんないう。米長と青野が不満をもらしたことは前にもちょっと書いたが、このあいだも勝浦、森安と三人で焼き肉をつついていると、森安が同じことをいった。すると勝浦も、ボクの時もこれこれこうだった、というのだが、どうも話がかみ合わない。それは、みんな自分の将棋が載っているときは読むが、それ以外は読んでないからである。それが「将棋ジャーナル」誌の記事だとか「将棋世界」誌の米長や田中(寅)の文が話題に上ると議論沸騰の有様となる。みんな読んでいるからである。ではなぜみんなが新聞の観戦記を読まないかといえば、それはおもしろくないからに決っている。ここで、どこがおかしいのか、間違いだらけの観戦記の見本を出し、それを論ずるべきなのだろうが、立場上、天につばする結果になるのを恐れて口ごもってしまうのである。
しかし、棋士という立場からすると、観戦記を読む人が少ない、というのは困ったことである。将棋連盟が、新聞社との棋譜掲載契約によって成り立っている以上、将棋欄の不人気は、団体の存続、繁栄に関る大問題であろう。このわかりきったことに対し、棋士は無関心でありすぎた。青野あたりが叱咤激励の文を書くべきではないか。
(以下略)
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現在も同じ状況かどうかはわからない。
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将棋世界やNHK将棋講座に載る観戦記、ネットに掲載される叡王戦の観戦記は別としても、新聞観戦記はその新聞を購読あるいはデジタル版に加入していなければ読むことができない。
その対局の対局者や観戦記者に掲載紙のみ自動的に配達されるわけではない。
日本将棋連盟では棋戦の観戦記については全てスクラップしているので、棋士が観戦記を見る必要がある場合には連盟へ行けば良いのだが、その際に、自分の対局以外の観戦記を読む時間的余裕はなかなかないとも考えられる。
そういうわけで、「みんな自分の将棋が載っているときは読むが、それ以外は読んでないからである」になっていたのだと思う。
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佐藤康光九段が全紙を購読しているのは有名な話。
しかし全紙購読すると、購読料は別としても、自宅の郵便ポストをかなり大きくしておかなくてはならない、捨てる時の量が半端ではない、など、いろいろと大変なことも起きてくるので、やはりなかなかできることではない。
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「将棋ジャーナル」は、全国的な読者数は多くはなかったが、棋士の間ではよく読まれていたという。
かなり思い切ったことが書かれている記事が多かった。
例えば →かなり野蛮な将棋座談会(前編)