失恋後の神谷広志四段(当時)

近代将棋1983年1月号、金井厚さんの第6期若獅子戦〔堀口弘治四段-神谷広志四段〕観戦記「失恋後の神谷」より。

「順位戦の前の晩は眠れない。悶々として、四時間ぐらい眼が冴えている。若獅子戦ですか?ゆうべはぐっすり眠りました」

 神谷がいった。寛厚の長者、N記者は怒らない。

「きょう来なかったらどうなるの。不戦敗になるの。やってみようかと思ったんですけど……」

 性極めて温柔にして、順良な、N記者はけっして怒らない。

「近将なんてたかだか?万部でしょ。若獅子戦なんて勝ったってしょうがない」

 N記者が、むむ、といった。

「え、本当に○万部も出てるんですか」

「今晩の夕食はありません」

 N記者が静かにいった。

「えっ、あ、いや、これは優勝を狙ってるんです。必死で戦いました」

 局後の会話だ。

 淳良な好青年、神谷広志、二十一歳。対するは、「何年後も、何十年後もつき合いたい」という友人のひとり、堀口弘治。同じく二十一歳。両者は誕生日もひとつきとちがわない。

 一回戦の第四局である。

昭和57年10月29日 東京・将棋会館
(持ち時間、各2時間)
▲四段 堀口弘治
△四段 神谷広志

▲7六歩△8四歩▲6八銀△3四歩▲7七銀△4二銀▲5六歩△5四歩▲4八銀△5二飛(1図)

矢倉撲滅運動

「いつもいつも二十五手目まで同じというような将棋は見ているひとに失礼ですよ。情けない。申し訳ない。気持ちがわるくなる。ひとの指した手でしょ」

 神谷は”矢倉撲滅運動”の推進者。

「どこかに棋譜が載る場合は変った将棋を心掛けている」

 ショーマンだ。

「そういってるけど、結構(矢倉も)やってるという噂もある。居飛車党で矢倉知らないと駄目なんです。先手を持ったとき矢倉をやらないというひとは多いけど、後手番のとき無理やり避けると変な将棋になっちゃう。神谷はあんまりひとの将棋を見ないんじゃないかな、野性児で」

 と語るのは青野照市七段。神谷の兄弟子である。

「大駒落ち、香落ちをずいぶん教えた。平手は一、二局しか指していない。静岡の広津先生の自宅教室で、奨励会に入る前から一級ぐらいまでですね。型にはまった将棋は好きじゃないみたい。ふしぎな将棋」

「兄弟子には平均的に教えていただきました。理論的なことは青野さんに、実戦的なことは鈴木さん(輝彦六段)に。菊地さん(常夫五段)からは”軽さ”を会得しました。米長将棋が好きでよく並べます。あとは大橋宗英(一七五ハ-一八〇九年)。厚く厚く指すところがこのうえなく好きです。宗英は宗歩より強いと思う。宗歩はいまの将棋界にきても名人になれないと思うが、宗英はなっちゃう。柳雪も強いですけどね」

 勉強しているのはまちがいない。宗英は九世名人。明治、大正時代までロングセラーを続けた『将棋歩式』の作者だ。

 本局は神谷名付けて曰く「陽動振り飛車」。

1図以下の指し手
▲5七銀△7二銀▲6六歩△6四歩▲7五歩△5三銀▲5八金右△8三銀▲7六銀△7二飛▲6七金(2図)

温厚篤実な師匠

「ぼくは特別影響を受けたというようなひとはいません。しいていうなら奨励会仲間でしょうか。同期に中村五段がいます。振り飛車はほとんどやりません。居飛車党です」

 と堀口。かれは東京調布市の生れだが、現在は府中市在住。両親は幼いとき離婚し、母一人子ひとりで育った。将棋は小学生のころ覚え、家の近くの府中支部で腕を研き、五十一年、中学三年の夏、アマ名人戦の東京都下代表となったが予選で敗退。

「こういう子がいるんですけど、プロとしてどうでしょうか、っていわれてね、府中支部の御林支部長に。ぼくは弟子を持ったこともないし、将棋クラブを経営しているわけでもないので、勉強もむずかしい。師匠としての責任を果たせそうにもないからっていったんですが、御林さんとも古いつき合いなもんですからね………まあ、(奨励会の試験を)受かったら考えましょうということで……」

 と語るのは加藤博二八段。謹厚な人格者として知られ、篤実な人柄は棋界一の評判もある。現在の師匠だ。

「かれの指したのを見たこともないし、四段になって日も浅いしね、詳しくは知らないんだけど、ほかのひとの印象を聞くと、終盤に自信を持っているらしい。反面、序盤があまり得意じゃないみたい」

 ともいう。

 神谷は浜松市出身。両親と姉の四人家族。四段になってから上京し、現在は東京狛江市在住。

(中略)

2図以下の指し手
△7四歩▲同歩△同銀▲7五歩△同銀▲同銀△同飛▲8二銀△7三桂▲9一銀成△7六歩▲6八金上△6五桂(3図)

これが俺の将棋だ

 堀口は月一回、小野修一四段の自宅で開かれる研究会に参加。主なメンバーはほかに大島映二四段、室岡克彦四段、中村修五段といったところ。そのうちの一人、大島は、「どちらかというと王様固める将棋が好きみたいですね、堀口君は」という。主催者の小野四段に、そのへんのところを突っ込んで訊いてみた。

「終盤が強いのは確かです。力が強いっていうのか、いい面と悪い面があるんですが、ゴリゴリしてるんですね。誤解招くといけないんですけど、アマチュアっぽい強さ、手(狙い)自体が直線的なんですね。王様固めてバーンといっちゃう」

「要するに、ただ囲って負けたくない。神谷みたく”これが俺の将棋だ”っていうところはないですね」

 と語るのは、前述の青野七段。研究会は昔も今も花ざかりで、森雞二八段や田丸昇七段も主催している。「小田急線研究会」などというのもある。きっと関西にもたくさんあるにちがいない。

 さて、局面。神谷は積極的に撃って出た。▲8二銀は二枚落ちの下手みたいな指し方だが、「一歩損してこのまま収まったら終わり」(両者)だから打つ一手。

(中略)

3図以下の指し手
▲4六銀△7七銀▲同桂△同歩成▲同金上△同桂成▲同角△同飛成▲同金△3九角▲9八飛△6六角上▲同金△同角成(4図)

百万円賭けますか

 最近(といっても数ヶ月前)神谷が失恋したのは有名な話。その後日談。

「君はね、自分で相手を見つけるのは無理なんだから、将棋を一生懸命やってだね、勝てばそのうちまわりのひとがいい人みつけてくれるから…」

 青野先生が真剣(?!)に論した。

「そんな軟弱なことはいたしません」

 神谷は言った。

「そんなに私がもてないっていうんなら、一年以内に結婚して女房を連れて来ますから、青野さん、百万円賭けますか」

 諸事賢明な兄弟子が、このときばかりは一瞬迷ったとか。かなり心が揺れ動いたにちがいない。若手で一番もてるのは飯野健二五段だという話だ。地方へ出かけた折、ある歌手に間違えられ、いくらちがうといっても聞きいれてもらえず、サインをして帰ってきたという逸話の持ち主。あの真部一男七段でさえ、いつだったか寿司屋で、「飯野君と飲みにいくとおもしろくないんだよな。向こうばっかり持ててね」コップ酒をぐいぐい煽っていたのを思い出す。二人とも妻帯者だ。独身だからもてるとはかぎらない。神谷君、天の配剤だよ。(かくいう筆者も独身。青野七段が将棋を一生懸命やっている理由も明白となった)

4図以下の指し手
▲9二飛△5二金右▲6九香△5六馬▲4五桂△9二馬▲同成銀△7七桂▲7三角△4二玉▲2二角

(中略)

答えを見るのはいや

 堀口にもおもしろいエピソードがある。

「ひとつの詰将棋を五年半も考えてたっていう噂だよ」

 ニュース・ソースは有野芳人四段。本人に確かめてみると、

「本当です。五年半どころか十年ぐらい考えてたように思います。もちろん四六時中ってわけではありませんが。最初に見たのが小学校六年のときですから……ええ、解けなくて、答えを見るのがいやだったんですね。十一手詰なんですが、盲点にはいっちゃったんですね。『詰将棋パラダイス』(一九七二年四月号)に載っていた作品です。結構むずかしいと思いますよ」

 という話だ。下図がその詰将棋。

(中略)

6図以下の指し手
▲5八玉△5五桂▲6六銀△6四角▲5五銀左△同歩▲6四香△6五金▲5四桂△3三玉▲5五馬△同金▲同銀△7六銀(投了図)  
 まで、88手で神谷四段の勝ち

二十二歳の別れ

 神谷は△6五金と打ってようやく、「勝ちだな」と思った。この場面では、堀口も負けを覚悟していたにちがいない。△7六銀を見て、即座に投了。

「変わった将棋が指せて満足です。今日のような誰も指したことのない将棋を指しているときがいちばん気分爽快」

 と神谷。失恋後のかれは実力を発揮し、本局に勝って、今年度十八勝九敗。そのなかには加藤名人を破った金星も含まれている。

 その晩かれは将棋会館近くのレストランで祝杯をあげ、田丸七段の案内でそこからさほど遠くない会員制のバーを回り、新宿に赴いた。もちろんN記者も一緒。

 三軒目のスナックで、かれは、「歌はダメ、歌はダメ、歌の下手なのは脇謙二(四段)と一緒。うまいのは西川慶二(四段)」と叫びながら、それでもマイクを拒否しなかった。そして朗々と歌いあげたのが、「二十二歳の別れ」。

 青ちゃん、いまからでも遅くはない、賭けは受けるべきだよ。

* * * * *

N記者は昨年亡くなられた中野隆義さん。

若獅子戦は近代将棋が主催していた若手棋士の棋戦。

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「順位戦の前の晩は眠れない。悶々として、四時間ぐらい眼が冴えている。若獅子戦ですか?ゆうべはぐっすり眠りました」

順位戦は大事だから前の晩は眠れなくなるけれども、若獅子戦は全然気にならない、という意味。

抜き身の日本刀のような神谷広志四段(当時)。

当時は順位戦とそれ以外の棋戦という概念が強く、順位戦の在籍クラスに他の棋戦の対局料も連動していた。

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神谷四段の矢倉撲滅運動。

「いつもいつも25手目まで同じというような将棋は見ている人に失礼ですよ。情けない。申し訳ない。気持ちがわるくなる。人の指した手でしょ」は神谷四段の心意気。

矢倉に向かう3手目▲7七銀は悪手だとして、▲7七銀をとがめる順を研究していたりもした。

本局は、まさにそのような展開。

3図から4図に至る手順も荒々しくて、ファンが喜びそうな流れだ。

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「そんなに私がもてないっていうんなら、一年以内に結婚して女房を連れて来ますから、青野さん、百万円賭けますか」

1年以内かどうかは調査ができていないが、神谷八段はこれから2年後には結婚をしている。

有言実行の中でも結婚は最も難しいことの一つだが、これを成し遂げるのだからすごい。

青野照市八段(当時)の結婚

 

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