大山康晴十五世名人に指名されて谷川浩司八段(当時)が歌った唄

近代将棋1982年11月号、小池重明読売日本一(当時)の連載随筆「将棋と酒」より。

読売大会

 読売の大会で一回戦は大汗をかいた、中盤までは私の指しやすい局面だったが、終盤受けていればよいものを、詰まないのを承知で詰めにいったのである。どうしてかと聞かれても自分でもわからない、受けているとやられそうな気がしたから……、己の弱さのせいだろう………、当然のように相手玉は詰まない、きわどい筋はあるが一枚足りない、心の中は後悔でいっぱいである。一回戦でお帰りとは情ない。わざわざ近所のホテルに泊まって体調を整えたのにと、半分泣きべそである。

 残り時間は双方とも4分位、切れ負けルールといっても十分読み切れる局面だ。飛車で王手、桂合い以外は詰み、相手の持駒は角金銀桂香、少考の後桂馬を手に持った。万事休すである。ところがなかなか手を下さない。そして桂馬を駒台にもどしたのだ。次に手にした駒が香、私心の中で打て、打てと念力をかける。ところが香もまた駒台に。ああやっぱりバレチャッタか、次に持った駒が銀、次が角、もう早くしてくれーと叫けびたくなるような時間が過ぎてゆく。将棋とゆうのは本当に心臓によくない。角を手放した時私の勝ちが決まった。九分九厘死んでいたのが再び息をふきかえしたのだ。このツキが最後まで残っていたようで、出場五回目、全国大会三度目の正直で初優勝、嬉しいの一言、読売での投下資本、5回分の会費7,500円、ホテル代6,500円、計14,000円、収入53年2位40万円、56年5位5万円、57年優勝90万円、計140万円、差し引き1,386,000円の黒字、しかしどこへいっちゃったのかなあー、このお金は?

アマ戦あれこれ

 九月四日、支部名人の櫛田陽一君、秋田代表の野藤鳳優さんと大阪へ向かう。車中将棋盤を取り出しパチパチ、となりの人が面白そうな顔をしてみている。私は瞑想にふけっているというより前夜の酔眠不足を取りもどそうとしている感じ、ゲンをかついで缶ビールとカツ弁当、二人は幕の内かと思いきや、やはりカツ弁、これでは御利益もあまり期待できない。あっというまに大阪、夜将棋を指すのにチェス、クロックがほしいという、こういう時年寄りは損である。使い得だと思っているふしがある?会館に行き一階でその旨つげると皆前夜祭の会場へ行っているから駄目だとのこと、それでもしつっこく三階の事務所にいくと三人ばかり職員の人がいた。訳をはなしていると、奥から牛乳びんの底をめがねにはめこんだ人が、失礼大山会長が出ていらっしゃいました。さすが会長、話しがよくわかる。

(中略)

 前夜祭、選手の中で半数以上が見知った顔である。私も若手じゃなくなったということか、大阪の沖元二さん、いつみても血色のよい元気な人である。アマチュア界で十数年第一線で頑張っているということは大変なことであると思う。見習わなければいけないところが沢山あると感じた。さて宴たけなわ谷川八段が大山会長に指名され、北酒場を歌ういい声だ、スタイルもよい、うらやましい。そして会長が王将を、私も何か指名されそうな雰囲気である。トイレに避難、呼んでいる声が聞こえる、しめしめ助かった。薄暗い酒場で歌うならともかく、こんなに明るい場所で歌うなんて気の小さい私に出来る訳がない。板谷八段が指名されマイクを持つが歌うような感じでない。おかしいと思っていると急に、歌は小池君がやりますときた、やはり助からない日であった。一日目、緊張の日である。ここで我々アマチュアにとって朗報があった。大山会長が正式にアマ名人を三期取ったら七段の免状を出すと発表したのである。昨年あたりから聞いたことはあったが噂の域を出なかった。これで正式に決定したわけで本当に良いことだと思う。

(以下略)

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冒頭の、読売大会の全文は、もっとも望まれる面白い自戦記の姿だと思う。

アマチュアだからこそ書ける、アマチュアならではの珠玉の自戦記。

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「飛車で王手、桂合い以外は詰み、相手の持駒は角金銀桂香(中略)将棋とゆうのは本当に心臓によくない」

これは、長手数の詰みを読める高段者だからこその悩み。多くのアマチュアはこのような場面で心臓に影響は出ないだろう。

霊能力のある人がいろいろな霊を見てしまうのに対し、霊能力のない人が全く霊を見ることができないのと同じ関係。

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タイトル戦の前夜祭でも棋士や関係者がカラオケで歌っていた時代。

アマ名人戦の前夜祭でカラオケの時間があっても不思議ではない。

大山康晴十五世名人が谷川浩司八段(当時)に「あなたも何か歌いなさいよ」と言ったのだろう。

断るわけには絶対にいかない。そもそも大山会長も歌うわけだし。

『北酒場』は細川たかしさんの大ヒット曲。

年配の男性ばかりの会場だからわざわざ演歌にしたのかなと最初は思ったのだが、調べてみると『北酒場』はこの半年前の1982年3月21日に発売されたばかりで、年末にはレコード大賞を受賞しているほどのヒットの真っ最中の頃。

谷川浩司八段が普通に歌いたい唄を歌っていただけなのだと理解できた。