対局後の「終電で帰るのに悪手なし」

近代将棋1983年3月号、金井厚さんの第6回若獅子戦2回戦〔島朗四段-大野八一雄四段〕観戦記「強くなった島四段」より。

 大野は、碁、麻雀、酒のうち、一つは捨てろと師匠からいわれたそうだ。修行のさまたげになってはいけないという親心である。そこで好きな麻雀をやめた。「やめた」と宣言した以上は絶対やらない、と誓った。それを、彼は長い間守りつづけてきた。が、誓いを破るハメに陥ってしまったのだ。

 最近の話である。対局が済んだあと、大野は、N理事、S理事、I四段らとともに外に出た。すでに夜の12時近い。3人は雀荘に繰り出すハラだ。

「待ってなさいよ。車で送ってやるから」

 同じ方向に帰るN理事にそういわれて、大野は素直に従った。

 麻雀は4人でやるとは限らない。棋士は3人でやる場合が少なくない。4人いても、3人でやるらしい。俗に3マー。これが性に合っているらしい。このときもそうだった。大野は最後までメンバーには加わらなかった。「車で送ってやる」の一言にひきずられて終わるまで待っていたのである。

 だが、一向にお開きにはならない。とうとう夜が明けた。陽が昇る。昼の12時だ。まだ終わらない。実に12時間。大野はずっとそばで見続けていた。

 そこへ現れたのがM八段とT六段。

「ちょうどいいのがいた」

 どちらが先に口にしたかはしらないけれど、とうとう大野はつかまった。先輩の言には逆らえない。彼は素直な性格である。そこで3マーが始まった。そうこうするうちに片一方は終了し、N理事はさっさと帰宅。

(それはないよ!)

 大野は心の中で叫んだが、後の祭り。

 結局麻雀も一人負け。自腹を切ってタクシーで帰っても、そのほうが安上がりだったというお話。

(以下略)

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N理事は野本虎次六段(当時)、S理事は佐藤義則六段(当時)と断言できる。

M八段は森雞二八段(当時)、T六段は滝誠一郎六段(当時)である可能性が99%だと思う。

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これは「終電で帰るのに悪手なし」のケースであるが、そうではない「終電で帰るのが悪手」になることもある。

酔って御茶ノ水から中央線の終電に乗り、立ったまま眠ってしまい、気がついたら高尾ということがあった。

酔って新宿から終電に近い電車に乗り、座って寝てしまい、気がついたら豊田ということもあった。

どちらも電車に乗らずにタクシーで帰っていれば、もっともっと安く済んだ。

そういうわけなので、一般的には「終電で帰るのに悪手なし」とは言い切れないのがこの世の中。