タイトル戦対局開始寸前に起こった珍事

近代将棋1984年7月号、能智映さんの「呑んで書く 書いて呑む」より。

 あれは第12期王位戦の大山-中原戦だった。この年の春から夏にかけ三度にわたる飛行機墜落事故があり、「飛行機はいやです!」という関係者を無理やり乗せて福岡に飛んだのでよく覚えている。

 庭が広く、天皇陛下もお泊りになったこともあるという立派な旅館だった。その静寂な離れで対局が行われることになったのだが、その対局開始の寸前、盤に駒を並べ終わったとたんに大珍事が起こった。

 いまは亡い大野源一九段が立会人だった。駒がきれいに並んだところで、静かに後方に声をかけた。

「対局者にお茶を出してください」

 おごそかな空気の中、和服の仲居さんの手でうやうやしくお茶が運ばれて行く。年かさの人が王位の大山へ、若い人が挑戦者の中原へ。大野九段と広津八段は威儀を正して中央にデンと座っている。

 ゆかしく腰をおろした仲居さんの手から対局者の盤側にお茶が置かれた。―その瞬間だった。みんな「うっ」と目を見張った。が、数秒間だれも一声を出そうとはしなかった。

 なんと、見事な茶碗が茶托ごと中原の駒台の上にデンと置かれ、誇らしげに湯けむりを上げているではないか。

 なにも口に出せない5秒ほどは長かった。ついに大山が口をきる。「あのねえ、そこは将棋の駒をのせる台なんですよ」

 にこにこ笑いながら声をかけたので、みんなほっとした表情に戻り、茶碗も用意されていたお盆の上に帰って、ようやく対局開始となった。

 思い返せば大珍事だが、初めて将棋を行う対局場で、まったく将棋を知らない若い仲居さんが担当すれば、こうならないほうがおかしいとも思える。「だって、ちょうど対局者の右手のところに、茶碗をのせるのにふさわしい台が置かれているんだから―」というのが大野さんや広津さんが笑いながら話し合っていたことだが、前代未聞の珍事であることはたしかだ。

(以下略)

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1971年の王位戦第2局でのこと。

たしかに、初めての人が駒台を見れば、10人中7人は駒台にお茶を置いてしまうのではないだろうか。

駒台は4本足なので、茶碗を置く洒落た台にも見えるし、そもそも絶好の場所にお茶を置くことができる。

このような珍事が起きても、若い仲居さんを叱ったりせずに笑いに転じるところが将棋界の良いところ。

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昔のテレビドラマ『スチュワーデス物語』の旅館版があったとして、主人公の若い仲居さんが始めの頃にやってしまう失敗のエピソードとしては、この駒台お茶事件は最適かもしれない。

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この旅館は、多くの皇族・国賓・各界著名人・作家・芸能人等が利用をしている旅館であり、日本庭園の広さは3500坪、岩風呂型式の風呂は男女共に100坪。

今世紀に入ってからでは、2000年と2013年に竜王戦の、2007年に王位戦の対局場となっている。

本当に良い旅館だからこそ、最初にこのような珍事があっても、それ以来、タイトル戦の対局場として使われ続けている。

旅館名を出しても良かったが、「○○旅館で駒台にお茶を出した」と47年前のことがつい最近のように情報が一人歩きする恐れもあるので、今日のブログ記事には旅館名を載せていない。

旅館名も含め、1971年の王位戦第2局のことについては、以下の記事が詳しい。

郷田真隆王位(当時)「車輪が上がる音ですよ」