近代将棋1983年11月号、武者野勝巳四段(当時)の「将棋ルール質問コーナー」より。
将棋のルールについてのご質問に、日本将棋連盟ルールブック作成委員長の武者野勝巳四段(総務担当理事)がお答えします。初心の方にも分かり易いようにしますとのことですので、ルールについて少しでも疑問点があればどしどし当コーナーあてにおハガキをお出し下さい。(編集部)
持将棋”トライ”勝利案
本誌9月号の「棋界パトロール」で、小林氏が持将棋規定について書いていました。その影響か、持将棋に関するご質問やご意見をのせた手紙がたくさん届いています。読者の皆様のご協力に大変感謝します。限られた紙面にてその全てをご紹介することができないのは残念ですが、今月は、非常にユニークな二つの持将棋規定案についてふれてみたいと思います。
まずは、大阪市東住吉区にお住いの村中さん(学生)からの提案です。その要点は次の通りです。
『相手陣内の3段目に入れば駒が成れるように、相手陣内の3段目に王将が入ったら先に入った方の勝ちとする』
また、もう一つは、京都府舞鶴市の長井さんからのもので、
『最初に敵玉が配置された位置(自分が先手番ならば5一、後手番ならば5九の地点)に先に自玉を進めた者を勝ちとする。ただし、その場合、その地点には敵駒の効きがあってはならない』というものです。
ラグビーというスポーツをご存知でしょうか、簡単に言うとボールを持った者が敵陣にある一定のラインを超えるとトライとなって点数が入るというゲームです。
ここに紹介したお二人の提案はまさに、この”トライ”の精神です。
(中略)
大変面白い発想ですね。
さて、それでは、二つの案についてお答えしましょう。実のところ、村中さんの「三段目トライ案」はこれまで棋士の間でも何度か話題となっていたのです。では何故今まで表に出てこなかったのかということになります。その経過といいますか、その時の棋士の意見なり考えを示すことが答えになると思われます。
将棋の勝負の根本は”王を詰める”ことにあります。持将棋が駒数判定なのは、入玉した王様がと金などに囲まれて詰まなくなってしまうから仕方なく設けたのです。その精神はあくまで玉の詰みが出発点なのです。プロの実戦にても三段目まで来た王様の詰まされる率がおそらく半分の5割以上であることを考えると、どうも三段目に来たから勝ちというのは少しおかしいのではないかということでありました。それに戦術的見地から考えると穴熊が大損となり、入玉が好きな棋士の勝率が上がることになってしまうでしょうということもあります。
以上の通り、村中さんの提案は非常に面白いのですが、ルールとして定着するには少し無理があると思われます。
さて、今度は長井さんの「5九・5一トライ案」です。この案は、三段目に入れば……というのでさえユニークなのに、それを5九と5一の地点のみにしたのですから、ウルトラユニークな案と言うべきもので、さすがにプロの中でもこれを思いついた人はいませんでした。
これは私見ですが、5一・5九まで行けるほどなら詰まされるということもないと推定されますので、三段目トライ案の弱点であった、実際の勝負の行く方を変えてしまうという不都合も自然に解消されそうです。5一・5九まで入られれば穴熊側も納得でしょうし、道中の大変さを考えれば序中盤からトライ一本に命をかけようという人も出てこないでしょう。
また、長井さん自身が手紙の中に書いてあるように『このルールによれば、入玉模様になった時の迫力は格段に増すものと思われます。相入玉になっても一駒争いではなく一手争いの終盤戦となるでしょうから』というプラス面があります。私は今、プラス面といいましたが、将棋のゲーム性を高める可能性が大であることは間違いなく、その意味でも長井さんの案はなかなか素晴しいと思います。
しかし、残念なことに、これはあくまでも私見でありまして、現在私が手がけているルールブック作成は、従来の規定の不備をなくし合理的かつ明解な条文に整備するというのが目的なのです。ですから、本来のルールは大筋で守らねばならず、長井さんの案を近日中に検討してみるというわけにはいかないのです。それでも、あえて誌上にお出まし願ったのは、この「5一・5九トライ案」を闇から闇へとほうむってしまうのが惜しかったからです。
100年後の将棋界にて、もしかしたら「5一・5九トライ案」は採用の運びとなっているかも知れませんよ。
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今から35年前に持将棋トライルールのアイデアが出ていたわけで、この京都府舞鶴市の長井さんが日本で初めて考えた(発表した)、と言っても良いのだろう。
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「100年後の将棋界にて、もしかしたら『5一・5九トライ案』は採用の運びとなっているかも知れませんよ」
100年後ではなく約30年後に「持将棋5一・5九トライ案」は将棋ウォーズ、将棋クエストなどで採用されている。(将棋ウォーズのトライルールは2014年9月30日までで、その後は「入玉将棋の宣言法」が自動で行われている)
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『相手陣内の3段目に入れば駒が成れるように、相手陣内の3段目に王将が入ったら先に入った方の勝ちとする』
これはかなり大胆に思えるが、棋士の間でも何度か話題になっていたというのだから、現場の感覚ではそれほど大胆でもないのかもしれない。
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敵陣三段目まで入った玉が詰まされる率が感覚的に5割以上というのは意外な高さだ。
逆に言うと、敵陣三段目に入っても安心してはいけないということになるのだろう。