近代将棋1983年11月号、東和男五段(当時)の「駒と青春」より。
課題局面を調べるためや、互いに将棋を指して実戦経験を抱負にするために「研究会」というものがあります。
将棋を研究する。これは関東の特許のような感じで、実際、以前のこちらにはほとんど無かったのですが、最近ではよく見られるようになりました。(もっとも、昔、大先輩に聞いた話では、いくら関西棋士が力将棋を好むとて全然研究しない訳はなく、共同で行わないだけで自分なりには相当やっているものと教えられましたが)
いくつかのグループがありますが、奨励会員が多く参加している研究会をあげますと、
- 谷川名人を中心とし、以下、南六段、脇五段、西川、井上、神吉各四段、本間、野田、浦野各三段、森本、長沼、藤原各二段、で構成されている。「谷川将棋研究会」通称:タニケン。
- 小林七段、南六段、児玉五段、浦野、伊藤、野田各三段、神崎、森本、長沼各二段、平藤初段、野間、伊具両1級、雲宮2級、加藤3級で構成されている。「小林将棋研究会」通称:コバケン(?)
- 森四段、南六段、浦野三段、神崎、森本、長沼各二段、谷川、平藤両初段、野間1級、これに私と見学に来るだけの伊藤三段を加えての構成の「森将棋研究会」通称:モリケン
- 有森四段、福崎七段、南六段、浦野、伊藤両三段、森本、長沼両二段、谷川、平藤両初段で構成されている「本町将棋研究会」
それぞれの会によって若干形式が違いますが、全てが実戦を主体にしています。
指して、自身のカン、将棋に対する眼を開こうというものですが、昔のように内弟子制度があり、毎日でも一門で将棋を指せるような土壌が無いために必然的にそういった場を作る研究会が発足している、と言えなくもありません。指すことが一番最高の勉強なのですから。
(以下略)
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本町将棋研究会だけ通称がなかったのだろう。
ホンケンと無理やり通称にするのも、たしかに強引かもしれない。
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この頃の森将棋研究会、ちょうど奨励会に入る前の村山聖少年が森信雄四段(当時)と一緒に住んでいた時代。
師弟の二人で一緒に更科食堂によく通っていた時代だ。
「村山聖」という名前が将棋世界や近代将棋に初めて載るのはこの数ヵ月後のこと。
とても感慨深い気持ちになってくる。