関西の奨励会員の間で指されていた金欠将棋

近代将棋1986年3月号、「編集手帳」より。

 関西の奨励会員の間で、図のような将棋が指されているという。金と香がなくて歩も6枚だけ。この金欠将棋は寄せの勉強には役立つらしい。

 初手より▲2二角成△同銀▲5五角は、△8九飛成以下先手が悪いというのもニクイ。本将棋で飛先の歩を単純に突いていくと先手が悪いというのに似ている。

 この金欠将棋を関西で何局か指してきたN君。そのあとで本将棋を指したが、相掛かりで玉が一つ動いても鉄壁の守りのように感じたという。

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寄せの勉強になるとは言え、このような面白そうなものにハマってしまうと泥沼になってしまいそうだ。

いかにも身体に良くなさそうで美味しそうなC級グルメを見た時のような感覚に襲われる。

見なかったことにしておきたい。

林葉直子女流名人(当時)「奨励会旅行に参加して」

近代将棋1986年1月号、林葉直子女流名人(当時)の「奨励会旅行に参加して」より。

「皆さん、このバスには、カラオケも用意してあります。どうですか、皆さんで一曲ずつ歌っていただけませんでしょうか」。

 しーん。シラー。誰一人としてバスガイドさんの方を見る者はいません。持参のウォークマンに聴き入っている者、アイドルタレントの写真集に見入っている者、詰将棋誌をにらみつけている者、窓に額をくっつけ、外の景色を見ている者等々…。皆んな思い思いの格好をしています。

 私たちは午前8時、将棋会館前から、2台のバスに分乗して、出発しました。総勢63名。1号車が有段者、2号車が級位者、概ねそんな分け方だったように思います。

 今日の私はレポーター役。私の大の仲良しで、奨励会の紅一点、中井広恵ちゃんとルンルン気分で2号車へ。私って車に乗ると、すぐ居眠りしてしまう癖があるので、今日は絶対そういうことのないようにしなくっちゃ!!なんといっても大役があるのだから……。

 さて、バスは目的地「静岡県千頭」めざして、快適に進みます。……が、奨励会員の方はというと、冒頭に申し上げたとおり。静かなものです。ガイドさんの必死の呼びかけにも、馬耳東風。

 私は、バス会社も悪いと思います。バスガイドさんがちょっとお年を召しすぎているのです。20歳前後できれいなガイドさんを派遣して下されば、きっと奨励会員たちの目の色も変わったと思いますが。

 見かねた幹事の松浦先生が、音頭をとってやっと車内カラオケスタートです。一変して車内が、若者の集まり!?という雰囲気になりました。歌っていいもんですね。

 バスは金谷というところでストップ。ここからは電車です。電車は、田圃と畑ばかりののどかな田園風景の中を走ります。奨励会員はというと、車窓をながめて旅情をしのぶなんて風雅なひとは一人もいず、あちらの席、こちらの席でトランプゲームの花盛り。

 午後5時千頭駅着。古びた小っぽけな駅を出ると、外は、さびれた店が2、3軒見えるだけで、駅前にはタクシーの一台も駐車していないのです。ここは、一体何で有名なのかな?

 駅から徒歩でぞろぞろと、寅さんが好んで泊まりそうな和風旅館へ直行。旅館に着くと、夕食が6時半ということなので、それまでやろうとトランプゲーム。

 午後6時半、夕食兼宴会。ここでは、カラオケ大会で盛り上がりました。歌のうまさも、将棋でいえば、有段者から六枚落クラスまで様々で皆んなの感心の的になったり、爆笑を巻き起こしたりで、楽しいひとときでした。

 翌日は朝食後、午前11時半まで全員で早指し(10分切れ負け)将棋。これでやっと、彼らがさすらいのトランプギャンブラーではなく、奨励会員であることが証明されました。

 将棋が終わると、すぐさま旅館にさよならして、再び、千頭の駅へ。

 帰途、私たちの電車は、モクモクと白い煙を吐いて、いかにも大儀そうに線路の上をのし歩くといった感じの、SL列車とすれ違ったのです。これは印象的でした。居眠りをしていた者も、トランプをしていた者も、雑誌を読んでいた者も、全員、このSLの勇壮な姿には、見とれているようでした。

 その後は、何事もなく、来たときと同じコースを同じ電車とバスで、無事将棋会館まで帰りついたのです。

 でも、この旅行、一体何だったんでしょうね。カラオケとトランプをしながら会館と旅館を往復しただけという感じ。ちなみに「明解国語辞典(三省堂版)」で調べてみると、「旅」=自宅を離れて一時よそへ行くこと…だって。ああ、それじゃ、私たちもりっぱに「旅」してきたわけですね……。

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羽生善治九段が四段に昇段する少し前のタイミングの奨励会旅行。奨励会時代の羽生世代棋士が参加している旅行。

これだけのことをやるのに、わざわざ静岡県まで行く必要があるのか、近場の神奈川県・鶴巻温泉、あるいは東京・麻布十番温泉でも良いのではないか、と思えてくるが、やはり旅は旅。

遠くまで来たという旅情が思い出として残ることもある。

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奨励会員がたくさん集まった時の独特な雰囲気が見事に描かれている。

身内とは言え、17歳の女性のクールな視点で書かれたこの文章が妙に面白い。

昔から奨励会内で語りつがれてきた嘘のような本当の話

近代将棋1985年1月号、小林広明1級の「記録係の一日」より。

 対局が始まったら、記録係は席を立つ事はできません(トイレだけは別)。私は思うのですが、対局の最中の記録係の態度で、その奨励会員の将棋などの将来性が分かるような気がします。盤面の喰らいつくようにして、その将棋を見ている者もあれば、居眠りをしている者もある。その他にもいろいろとエピソードがあるので、奨励会内で人気のあった順に、紹介してみよう。

ベスト1

 Aはその日、記録をとった。そして秒読みの最中に、(明日は奨励会)という事を思い出した。時計を見ると、もうすぐ終電の時間だ。あせり出したAは、ついに腹を決めた。驚く事にこう言ったんです。

「明日奨励会です、30秒……」

「もうすぐ電車が無くなります、40秒……」

「こう指せば詰みだろう、50秒1,2,3……」

ベスト2

 Bは、実は記録係だった。20分程前に、「失礼します」と言って席を立ったが、なかなか戻って来ない。不審に思ったC先生は、辺りの奨励会員に聞いてみた。

「B君を見なかったかね」

「さきほど帰りましたが……」

 後日、Bに尋ねたところ、

「眠くなったから」

 と言ったそうである。

ベスト3

 生まれて初めて記録係を務めるDは、「今日は元気に行こう」と思った。

 緊張をしているうちに、開始の時間になった。Dは、対局者に向かって、

「始めてください、ヨーイドン」

 と大声で言った。これには対局者もあきれて、言葉も出なかったと言う。

 他にも例はあるが、昔から奨励会内で語りつがれている、嘘のような本当の話をお伝えした。勿論、現在このような事をしたら、即退会である。そして前に述べた奨励会員も、後に退会していったようである。

 やはり私は、将棋に対する素直さというか、ひたむきな心というものが、棋士においても、奨励会員においても大切だと思う。

(以下略)

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ベスト1とベスト2の強烈度が凄い。

ベスト3を大きく引き離している。

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ベスト3の「始めてください、ヨーイドン」。

言った後、誰も反応してくれなかったとしたら、かなり地獄だと思う。

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後年、ベスト1かベスト2に入りそうなことが起きている。この奨励会員はその後退会したという。

「残り何分?」 「一分だよ」

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泉正樹八段も奨励会時代、記録係の時に居眠りをしてしまい、駒音が麻雀の牌を打つ音に聞こえたか、「ポン!」と叫んでしまっている。

ただ、これは不可抗力のようなもので、笑い話になっている。

花村元司九段-加藤一二三九段戦での「ポン!」

 

佐藤康光四段(当時)登場

将棋マガジン1987年9月号、川口篤さん(河口俊彦六段・当時)の「対局日誌」より。

 永作-佐藤(康)戦は、昼間見たとき、永作は眉をつり上げ、肩を怒らせて頑張っていた。そういったところが永作のいいところである。17歳の子供に、ムキになって戦う気には、なかなかなれないものだ。だから、私は永作は軍人将棋のスパイみたいだ、と言ったことがある。大将にとって最強の敵で、佐藤も、いちばんいやな相手と初戦に当たったわけだ。

 局面は寄せ合いになっていて13図。永作は自分が不利と思っていた。

13図からの指し手
▲7四角△4二玉▲6五銀△6六歩▲同銀△4七歩成▲2二歩成△同金▲5二銀△6二飛▲4三銀成△同玉▲5五歩△5八銀(14図)

 佐藤という評判の天才は、どんな将棋を指すのだろう、の興味をお持ちの方は、13図から14図の手順を注意して読んでいただきたい。一見平凡で、なんの苦もなく勝勢になっている。これは強い証拠である。永作もその手応えを感じ取ったから「▲7四角と打ってからはだめだ」と感想戦でもすぐあきらめた。永作といえば、やさしい3手詰めの局面になっても投げずに考えつづけ、その間に相手の頭がおかしくなって、詰めそこない、永作が勝った、というエピソードの持ち主である。その根性の男を、まだまだの段階であきらめさせるのだから、佐藤もたいしたものだ。技もさることながら、対局中は、盤面から目をそらさない、その集中力も凄い。

 指し手にふれると、▲7四角は単に▲6五銀が幾分かよかった。それでも後手は△4二玉と逃げるくらい。実戦は、そこで▲7四角と打った理屈になっている。

「すこしわるいところに、そんな手を指しちゃだめだな。△5八銀で簡単に終わった」

 永作はそういって感想戦をやめようとしたが、佐藤は「最後はちょっと心配していたんですが」と言う。

 田中(寅)と私が、「いや、問題はなかったろう」というが、簡単にうなずかない。ではやってみようと、13図に戻って調べてみると、△4七歩成のとき、▲3五桂と打つ手があった。以下△4四金▲4三歩△3三玉▲5二角成である。その他変化はいろいろあるが、どれも永作がおもしろい。

 私はここでまた感心した。なにかおかしい、というカンが素晴らしい。米長と同じの、特殊な臭覚を持っているのである。いずれ、アッ!と驚く鬼手妙手を見せてくれることだろう。

14図からの指し手
▲5四銀△同角成▲同歩△6九銀打▲8八玉△6七銀不成▲3五桂△4四玉▲5五角△3四玉▲6九金△7八金▲同金△同銀成▲同玉△6七銀(15図) まで、佐藤四段の勝ち。

 最後は見事な詰みで、特にいうところもない。

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佐藤康光九段の将棋が初めて「対局日誌」で取り上げられた回。

これから始まる非常に多くの活躍を思うと、とても感慨深い。

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「いずれ、アッ!と驚く鬼手妙手を見せてくれることだろう」

河口俊彦六段(当時)の予想は、15年後に少し違った形で具現化される。

佐藤康光王将(当時)「我が将棋感覚は可笑しいのか?」

佐藤康光王将(当時)「我が将棋感覚は可笑しいのか?」(その2)

 

米長邦雄四冠(当時)「感想戦はいつもプロがアマチュアに勧めることだけれど、そんなに役に立つとは思えない」

近代将棋1985年3月号、米長邦雄四冠(当時)の「さわやか流将棋相談」より。

Q.感想戦をみっちりやると上達が早いと聞いたのですが、対局後並べ直そうとしても指し手がどうしても憶い出せません。どうしたらよいでしょうか。私は45歳で、道場では3級で指しています。(神奈川県 森山さん)

A.番数を指すこと

 感想戦はいつもプロがアマチュアに勧めることだけれど、そんなに役に立つとは思えない。

 プロの説教、親の説教は、忠実に従えばよいのだろうが、そうもゆかぬものである。

 指し手が並ぶか否かは、頭の良し悪しではなく将棋の強さの問題である。局後、指し手を並べ直すためには、初段以上の棋力が必要かもしれない。あなたは3級ということだから、感想戦をするよりは、その時間にもう一局指した方が、ずっと身になるし楽しいはずである。この楽しいということが大切だ。

 私がゴルフへ行って1ラウンド廻った後、あとハーフ廻るか、それとも練習所へ行くか。この場合、プロは必ず練習所へ行くことを勧めるに違いない。が、冗談ではない、たまにせっかくゴルフ場へ来たのに練習などできようか。もう9ホール廻った方がよいに決まっている。

 あなたは感想戦をせずに、番数を多く楽しんだ方がよろしい。

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これはアマ3級の質問者へ対する回答なので、有段者であれば違う内容になっていたのかもしれない。

もちろん、相手とのコミュニケーションを深めることを重視するなら感想戦は有効な手段だが、たしかに、極端に考えれば、15級同士の両対局者が感想戦をやっても、ここでこうやった方が良かったと指し手の内容を検討しあうのはかなり難しい。

自分自身これまでを振り返ると、感想戦をやるようになったのは三段になってから。

それも、負けた相手に対して「ここでこうやられていたら、こちらが悪かったです」のような、相手が気が済むまでのお付き合い。自分が負けたら「いやー、この手が厳しかったです。いい手でしたね」ですぐに切り上げる。

このような取り組みだから強くなれないのかもしれないが、感想戦なしで三段まで行ったのも事実。

もちろん、感想戦をやった方が強くなるというのは正しいのだろうが、ある段階(例えば、並べ直すことができるようになる段階)までは「感想戦をせずに、番数を多く楽しむ」が正解なのだと思う。

「私がゴルフへ行って1ラウンド廻った後、あとハーフ廻るか、それとも練習所へ行くか。この場合、プロは必ず練習所へ行くことを勧めるに違いない。が、冗談ではない、たまにせっかくゴルフ場へ来たのに練習などできようか。もう9ホール廻った方がよいに決まっている」の説得力がすごい。

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指導対局での様々なアドバイス、あるいは都道府県代表クラス以上のアマ強豪が感想戦を見ていてくれてアドバイスを出す、これは掛け値なしに参考になる。