近代将棋1984年5月号、脇謙二六段(当時)の第7回若獅子戦自戦記(対井上慶太四段)「プロの厳しさを教えた一局」より。
発端
その日会館に勉強に来ていた私は、記者室で観戦記者の田辺忠幸さんに会ったので「今日は何ですか」と尋ねると「若獅子戦の有森四段対井上四段戦の観戦です」と答えられた。
私はその勝者と2回戦で当たることになっていたので、早速見学に行ったが、形勢不明でどちらが勝つのかわからない将棋だった。
記者室で棋譜を並べていると井上勝ちの知らせが入ったので、観戦の田辺さんに少しサービスしようと思い「2回戦ではプロの厳しさを教えてやる」と井上四段に伝えて下さいと言い残して帰った。
波紋
しかし、この事が本誌1月号に掲載されると思わぬ波紋を呼んだ。
まず井上四段の兄弟子の谷川名人から賀状で、今度当たっている十段戦ではプロの厳しさを教えてやると宣言され、宣言通りにふっ飛ばされてしまった。
また同じ神戸組の淡路八段や西川四段から「脇君は今度井上君にプロの厳しさを教えるそうやな、楽しみにしてるわ」などと言われプレッシャーをかけられてしまった。
おまけに対局当日の朝に自戦記を依頼されてしまい、これはいよいよ負けられない将棋になったなと思った。
井上四段について
彼の本局までの成績は25勝13敗で昇降級リーグは5勝3敗とまずまずの好成績である。
特に1月以降は11勝2敗と素晴らしい充実ぶりで、大器の片鱗を表して来たと言えよう。
棋風は居飛車の本格派でじっくりした指し方を好む。得意戦法は相矢倉で攻守ともに安定している。
やや力戦に弱い面もあったが、最近急速に力をつけてきているので心配ないだろう。
また性格は将棋同様温厚かつ真面目で皆に好かれている。しかし、その童顔からは想像もつかないようなオジンクサイ話し方が数少ない欠点の一つか。
谷研終了後、谷川名人や神吉四段らに飲みに誘われ、「ワシ帰りますわ」と言いながらも強引に連れて行かれ、「あの先生らと飲むと長いんでかないまへんわ」といつもぼやいている。
(以下略)
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「プロの厳しさを教えてやる」
井上慶太四段(当時)を可愛がっている兄弟子の谷川浩司名人(当時)からの年賀状にこう書かれていたら、恐怖以外の何物でもない。
神戸組の棋士の「脇君は今度井上君にプロの厳しさを教えるそうやな、楽しみにしてるわ」も、いかにも、という感じで怖い雰囲気が大いに伝わってくる。
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この一局は、宣言通り脇謙二六段(当時)が勝つ。
そして、脇六段は、この年の若獅子戦で優勝を果たす。
サービス精神とはいえ、「プロの厳しさを教えてやる」という言葉が出てくるほどの勢いが、優勝の原動力になったとも考えられる。
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「性格は将棋同様温厚かつ真面目で皆に好かれている。しかし、その童顔からは想像もつかないようなオジンクサイ話し方が数少ない欠点の一つか」
この頃、「関西のアイドル」と呼ばれていた井上慶太九段。
井上九段の愛嬌のある関西弁がとても魅力的だが、なるほど、専門的にはオジンクサイ関西弁ということになるのだろうか。
下の写真はほぼ同じ頃の将棋世界1984年5月号に掲載された井上四段の写真。撮影は炬口勝弘さん。