将棋マガジン1987年8月号、屋敷伸之初段(当時)の奨励会自戦記「夜空」より。
入会してから1年半、初段になってからは2ヵ月半になります。
初段になってからの成績は、●○○○○●●●です。4連勝して調子がいいなあと思っていたら、見事に3連敗をくらってしまいました。自分の精神面の甘さと、技術的な弱さに、腹が立ち情けなくなりました。
しかし、悔やんでばかりいてもしょうがありませんので、これらの敗戦をムダにしないように、前に向かって挑戦していきたいと思います。
1987年5月21日(木)
持ち時間90分 香落
▲初段 屋敷伸之
△三段 先崎学△3四歩▲7六歩△4四歩▲2六歩△3二銀▲2五歩△3三角▲1六歩△4三銀▲1五歩△1二飛▲4八銀△6二玉▲6八玉△7二玉▲7八玉△8二玉▲5八金右△7二銀▲4六歩△5二金左▲4五歩(1図)
5月21日 朝
朝、藤沢から小田急線の急行に乗り新宿に来ました。着くまでの時間、ぼくは電車の中で本を片手に持って孤独のひとときを過ごしていました。
電車の中はいつもよりすいているような気がしました。
1図以下の指し手
△5四銀▲4四歩△4二飛▲2四歩△同歩▲1四歩△同歩▲同香△9四歩▲9六歩△4四角▲同角△同飛▲2四飛△3三桂▲2三飛成△4五飛(2図)5月21日 第1局目
第1局目は2級に昇ったばかりのYさんとの対戦である。少し意表をつかれたが、ごく当たり前に勝ちたいと思った。
しかし、結果は負けだった。一方的につぶされてしまった。感想戦でも、びしびし言われ、返す言葉がなかった。
自分の不甲斐なさに腹は立ったが気を取りなおし、事務所に「将棋マガジン」をもらいに行く。
その時に、この自戦記をマガジンの方に頼まれた。
断る理由もないし、さりとて自戦記を書いたこともなかったので、返事に困っていたら、「後で来てくださいね、よろしくお願いします」と訳のわからないうちに決まってしまった。
当然、いつの将棋を書けとは言われてなかった。
2図以下の指し手
▲3三竜△5五角▲3四竜△9九角成▲8八銀△9八馬▲7七角△4六飛(3図)5月21日 第2局目
第2局目は、先崎三段との対戦でした。いきなり三段と当たって、また意表をつかれました。これで三段の人とは4回目の対戦になります。
結果は順当負けでした。全くの完敗で悲しかったです。
しかし、局後の感想戦でいろいろな手を教えてもらって、勉強になりました。
その後に、また事務所に行きました。
「やあ、来てくれたね」とマガジンの方に言われて、原稿用紙をもらって説明を聞いていましたが、最後の一言にがくぜんとしました。
「5月の将棋を書いてください」と言われました。
5月は第1例会休み、第2例会2連敗で、しかもその両方とも内容が悪かったので頭をなぐりつけられた気分でした。
けれども辛うじて「ハイ」と返事しましたが、その後は呆然とその場に立ち尽くしていたような気がしました。
3図以下の指し手
▲9九銀△同馬▲同角△7六飛▲6八玉△9六飛▲9七歩△2六飛▲1七桂△6四歩▲3一竜△2八飛成▲3三角成△3六歩▲7四歩(4図)5月21日 夕方
原稿用紙をかばんに詰める。窓から外を見る。
「ああ、今日の奨励会は終わったんだなぁ」
そこにはただ空しさだけが私の心に残った。
そして友達と今日のことを話し合いながらジュースを飲みに行った。
4図以下の指し手
△同歩▲7三歩△同桂▲7五歩△4七歩▲5九銀△8五桂▲7四歩△7六歩▲8六角△6三金▲6六馬△6五銀▲同馬△同歩▲7三銀△同銀▲同歩成△同金▲6一竜△7七銀▲同角△同歩成▲同桂△同桂成▲同玉△7六歩▲同玉△6四桂▲6五玉△4三角▲5四桂△7四銀▲6六玉△6五歩▲7七玉△7五香▲6八玉△7七角▲7九玉△6一角▲7八金打△9九角成▲8九桂△7七歩(投了図)まで、107手で先崎三段の勝ち4図の▲7四歩のところで、▲6六桂ならいろいろあるが難しかったと思います。
また▲8六角では▲7九玉の勝負手のほうが難しかったようです。
▲8六角の後に手順に△6三金と上がられてからはだめなようでした。どうやら▲8六角が敗着のようです。
5月21日 帰路
千駄ヶ谷の将棋会館から7人ぐらいで出て、JR千駄ヶ谷駅に向かった。
人それぞれ思い思いにしゃべりながら歩いていく。
あっというまに駅に着いた。駅のホームではふざけあっていた。
電車がだんだん近づいて来る。電車に乗り込んで新宿に行く。
そして、帰りの小田急線に乗るときは一人になる。
「むなしい」。やはり一人になってしまうと空しさだけが残ってしまう。
藤沢に着くまでの時間、ぼくは本を手に持って孤独のひとときを過ごしていました。
いつの間にやら藤沢に着いた。そして、帰りのバスに乗り込んだ。これもいつの間にか着いてしまった。そして、急いでバスを降りた。そして、家に向かって急いで歩いていた。
空しさだけが残る一人の帰り道を、ぼくは飽きずに歩いていた。
そして、夜空を見上げながら思っていた。
「もっと強くなりたい」と。
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屋敷伸之九段が15歳の時の自戦記。
この淡々とした不思議な心地よさが、屋敷流の文章の持ち味で、後年に書かれる自戦記、エッセイでも、その個性が大いに発揮されている。棋譜解説の占める割合が少ないのも特徴だ。
→屋敷伸之五段(当時)が「笑っていいとも!」を見ているうちに思いついた一手
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「局後の感想戦でいろいろな手を教えてもらって、勉強になりました」
先崎学三段(当時)との感想戦。
両者がプロになってからの屋敷-先崎戦の感想戦では、全く景色の違うこともあったようだ。
→先崎学四段(当時)「みんなウソつき。タヌキかキツネという感じですね」