将棋マガジン1987年6月号、川口篤さん(河口俊彦六段・当時)の「対局日誌」より。
噂の天才、佐藤康光三段が四段になった。二段から四段になるまでの星は、21勝1敗だという。そのライバルの森内三段は、あと2勝で四段とか。これもまちがいなく上がるだろう。すこし前に四段になっている新人たちの成績は、村山12勝1敗を筆頭に、神崎、長沼など、白星ばかり。さながら、鰯の群に入った、イルカのごとき暴食ぶりである。
明らかに時代はかわりつつある。新人が強いのはいつの世でも同じだが、最近は同じ勝ちっぷりでも内容がちがう。将棋を本格的に勉強しはじめて、せいぜい数年の少年が、タイトル保持者をコロコロ負かすなんて信じられない。そんなに早く強くなるはずがないのである。しかし、現実は、みなさんご存知の通りである。
(以下略)
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佐藤康光九段の二段から四段になるまでの星が21勝1敗と書かれているが、細かくは、二段時代に15勝12敗後に8連勝で三段に昇段、三段時代に13勝1敗で四段に昇段という流れ。
1986年9月下旬から1987年3月25日までの約半年間で21勝1敗という勢いだから凄い。
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3月25日に四段昇段ということは、3ヵ月後から始まる翌期の順位戦に出場できるということで、絶妙のタイミング。
三段リーグのなかった時代、四段昇段が4月に入ってからだったら、順位戦出場は1年3ヵ月後からとなっていた。
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森内俊之九段の四段昇段は1987年5月13日。佐藤康光九段の1ヵ月半後の四段昇段だったが、順位戦出場は1年遅れとなっている。
この辺の二人の機微についてのエピソードがある。