「中村王将は気を遣うから、それが裏目に出なければ……」

将棋世界1988年5月号、第37期王将戦七番勝負第7局「平常心で臨めた第7局」より。

 5時25分、中村王将が投了を告げた。

 南二冠王の誕生である。

 終局直後の対局室。部屋の片隅に陣取り、2日間、対局を見守っていた大きな生け花が片づけられる。花のあった位置に、カメラマンたちがかわるがわるに立ち、次々とフラッシュをたく。

 その閃光の先には、子供のような屈託のない笑顔を浮かべる南二冠王がいる。そして、その前にはガックリと肩の落ちた中村王将。

「全体的に結構うまく攻めることができました。5局目でリードされた時も、1局1局を考えようと思っていましたのであまり気にはなりませんでした」。

 緊張の為か、終局の興奮の為か、南の声が時折かすれる。

「3ヵ月で二冠。ちょっと信じられませんね」。

 続いて、敗れた中村王将に質問が向けられる。

「残念です。ですけれど、このシリーズは指していて、読み負けているような感じがあったから、仕方ないでしょう」。

 努めてハキハキと、よく聞きとれるように語る姿はなんとも痛々しい。

「5局目で流れを変えたのが、いけなかったかなあ」と、周囲の空気を察して、すかさず自嘲的なジョークを飛ばす。

 続いて再び南へ矛先が向けられる。

「震えはなかったですか?」

「ええ、少し馴れてきました」と南。

「震えるようなかっこうしてないんですけど」と中村がまぜっ返し、再び対局室に笑いが起こる。

「地蔵流というネーミングに抵抗は?」

「嬉しくはないですけど、抵抗ということもありません。でも何となくイマイチな感じですね(笑)」

「自分の棋風を一言で言うと?」

「ありません(笑)」

「では、それがあるまでは地蔵流でいいですか?」

 南はコックリとうなずいた。

 こういう風に、糸を張りめぐらしたような終局後の空気が、少しずつ少しずつ柔いでいく。

 この王将戦が始まる前「中村さんは気を遣うから、それが裏目に出なければ」と塚田王座が心配していたのを思い出す。

 その通り、中村は虎の子を失った直後でさえも、見事な気配りを忘れなかった。その姿は清々しく、どんな大きな花よりも絵よりも、今は対局室の空気を柔げている。中村は堂々と敗れたのだ。

 追いつ追われつの大接戦は終わった。

 花が失われ色あせた部屋、取り囲む大勢の取材陣、時々光るまばゆい閃光。いつもタイトル交代劇はその中にある。

(以下略)

感想戦の時。将棋世界同じ号に掲載の写真。撮影は中野英伴さん。

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「中村さんは気を遣うから、それが裏目に出なければ」

歴史的には、タイトル戦では気を遣うことが裏目に出る場合が多いようだ。

その一方で、気を遣う棋士にはファンが多いという傾向もある。

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「5局目で流れを変えたのが、いけなかったかなあ」

この期の七番勝負は、第4局まで先手が勝つ流れとなっており、第5局は後手番の中村修王将(当時)が勝って、この流れが変わった。

第6局、第7局とも中村王将は先手番で敗れている。

第5局が以下の記事のように、中村王将らしさの出た勝ち方だったので、より一層そのような思いが強くなったのかもしれない。

将棋世界1988年5月号、スポーツニッポンの松村久さんの「第37期王将戦七番勝負を振り返る 真価を発揮した南地蔵流」より。

 南先手の第5局、三たびひねり飛車になったが、中村は2~4筋と徹底的に位を張り、金銀を中央に集めて対抗。しかし、南がうまく指して、控え室では1日目にして「南がいいのではないか」という声が出たほど。ところが、一見苦しそうに見えてからの中村のしのぎが素晴らしかった。綱渡りのような受けでこらえて、最後は玉頭の位を生かして一気に南陣に襲いかかった。いかにも中村らしい勝ち方、流れは完全に中村のものと思った。

 ところが、南がここから2連勝したのである。

(以下略)