近代将棋1984年6月号、片山良三さんの「駒と青春」より。
現代は時間との戦いです。というナレーションから始まる、テレビのクイズ番組があります。
問題自体はさほど難しくないものばかりなのですが、60秒の間に矢継ぎ早に12問も出題されるところが実はミソで、あわてふためく解答者は普段の半分の実力も出せずに敗退するという運命をたどるのです。
持ち時間の短い奨励会の将棋では、終盤戦ともなると、これはもうほとんど例外なく”時間との戦い”も並行して行われることになります。
後で冷静になってみると、「どうしてこんなバカな手を指しちゃったんだろう」と思えるような手が交錯するのが、この秒読み将棋の特徴。プロの卵と言えども、やることはクイズ番組の解答者とたいして変わりません。とんでもない読み抜けをやらかすなんてことは日常茶飯、時には思考回路と運動回路がかみ合わなくなって、指すつもりがない手を指が勝手に動いてやっちゃったなんて事も起きるのです。
(中略)
もう一局、郷田真隆4級と豊川孝弘3級の一局もご覧いただきます。
郷田君は2期連続勝率第1位を取ったイキのいい若手。級より上の力を持っていることは間違いのないところ。豊川君も、その前の期でやはり勝率第1位だった人。近況ちょっとくすぶっているようですが、力は十分あります。好取組です。
早繰り銀から激しく攻め合って、手数はまだ進んでいませんが、1図ではもう終盤戦に突入しています。
寄せは挟撃、とばかり一本△8六歩と突いたのは手筋。▲同歩なら△8七歩がいい味です。いい気持ちで指していた豊川君に、意表の一手が襲います。
1図以下の指し手
▲5三と△3七と▲同桂△6九金▲8八玉△7九角▲9八玉△9六歩(2図)間髪を入れずに▲5三とと寄った手に、郷田君の勝負勘の良さが表れています。△8七歩成なら▲同金で、取れば▲4二銀までの詰みという仕掛けです。
「まったく読んでなかった」という豊川君ですが、秒読みの中でうまく気をとり直して、△3七とから△6九金、△7九角と迫ったのはおそらく最善の手段でしょう。秒読みとは思えない、落ち着いた正確な指しぶりです。
2図以下の指し手
▲4二銀△同飛▲同と△同玉▲7九金△9七歩成▲同桂△7九金▲4九飛(3図)▲9六同歩と取ると、△9七歩▲同桂△8七歩成▲同金△8九銀以下の詰み。絶体絶命かと思われましたが、▲4二銀とここで打つ手があり、▲7九金に▲4九飛と王手金取りに打ってしのぐ手がありました。まだ大変そうです。
3図以下の指し手
△4七角成▲7九飛△3七馬(4図)58秒まで秒を読まれて△4七角成としたのが、指した本人も読んでいなかった(!?)という絶妙手でした。
最初は平凡に歩を打って受けるつもりだったそうですが、後の変化を読んでいるうちに「50秒」を読まれ、そのうちわけがわからなくなって角を成った、と本人は言っています。その手が勝因になろうとは……秒読みのさなかのファインプレーと言っていいでしょう。
▲4七同飛は△4六歩▲同飛△4五歩▲同飛△4四歩で自陣が受からず、やむなく▲7九飛と金を取る一手となりましたが、取れるはずの角に逆に△3七馬と桂を取られるハメになっては形勢に差がつきました。△4七角成には郷田君も意表を突かれたようです。
4図以下の指し手
▲6八飛△8七歩成▲同玉△8六歩▲同銀△9六銀▲7八玉△6七歩▲同飛△6四歩▲4三歩△同金▲4四歩△同金▲4五歩△8七金▲同飛△6六桂▲8八玉△8七銀成▲同玉△9六銀▲7七玉△8七飛▲6八玉△4七馬▲6七銀△8八飛成(投了図)△3七馬が、▲6四角の筋を消しているのが豊川君の自慢で、4図となってはもう負けられません。
▲6八飛に、△6七歩から△6四歩としたのは、いかにも奨励会らしいフルえた寄せ方。もっと早い手が多分あるでしょうが、安全確実にまさる手はないのです。いくら良い手を指したって、負かされたのでは笑われるだけですから。
秒読み将棋では、読みになかった手を指された瞬間がポイントで、本局では郷田君が▲5三とと指したところがそれになります。冷静に対処した豊川君は、ペースをを乱されることなく勝ち切ったのは立派の一言です。妙手△4七角成も、気持ちの中に余裕があったからこその産物でしょう。奨励会を勝ち抜くためには、秒読みに強くなることが絶対に必要なわけがおわかりでしょう。
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豊川孝弘3級(17歳)と郷田真隆4級(13歳)の戦い。
まさに、躍動する、若さ溢れる将棋。
桜が咲く季節にピッタリな感じがする。
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「58秒まで秒を読まれて△4七角成としたのが、指した本人も読んでいなかった(!?)という絶妙手でした」
極限状態に追い込まれて指した手が絶妙手ということは、日頃の鍛錬の成果が盤上に現れたということなのだと思う。
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秒読みに強くなる方法があるものなのだろうか。
結局は将棋に強くなる方法とほとんど同じ意味になるので、難しいという結論になるのかもしれない。