村山聖五段(当時)「この一局だけは勝ちたかった」

近代将棋1989年12月号、木屋太二さんの第12回若獅子戦決勝〔村山聖五段-羽生善治六段〕観戦記「羽生のホラー将棋」より。

近代将棋同じ号、感想戦の模様。

「のこり1分です。30秒……」

 村山の手番になると秒読みが開始される。記録係の豊川孝弘三段の凛とした声。

「9」で村山▲6二桂成。詰めろだ。羽生はノータイムで△3一玉(A図)の早逃げ。

 羽生と村山。東西の若手ライバルの激突となった若獅子戦決勝は予想通り、手に汗にぎる大熱戦となった。

 A図は終盤のハイライト場面。

 「勝った」と村山は思った。序盤から、ずっとリードを続け、終盤も一手勝ちの形勢を保っている。

 ここでどう寄せるか。候補手は▲3三金と▲5二成桂。

 村山の第一感は▲3三金。そう指せば以下△4一銀▲6一飛(B図)の進行で先手の勝ち……。

 そう読んだ時、「8」の声が掛かった。「9」で▲5二成桂。村山の手が銀を取るほうを選んでいた。

「これでも詰めろのような気がした。ひどかった……」

 局後に村山がうめくようにいった。

 ▲5二成桂は詰めろではなかった。

「銀を取れ……」

 悪魔のささやきに村山はのってしまった。ダミアン羽生のホラー将棋。

(中略)

 対局室の歩月の間に行くと、村山が独りポツネンと座っていた。モジャモジャ頭に無精ヒゲ。風呂もきらいでツメを切らない。(対局用に右手だけは切ってある)およそスマートとはいえない男だが、こと将棋に関しては天才。関西若手のNO.1であり、関東の羽生と争うのは彼をおいてほかにないといわれている。その羽生-村山戦が実現したのだから最高だ。しかも決勝戦。役者も舞台もこれ以上ないというくらい揃っている。

村山「羽生さんとはダブルで当たっている。若獅子戦のあとC1順位戦で。向こうは違うんでしょうけど」

 羽生は村山との順位戦の間に、新人王戦と竜王戦がついている。読者の皆さんは棋界ニュース等ですでにご存知のことと思うが、新人王戦は日浦に負け(羽生の連勝は15でストップ)、竜王戦は森下に勝ち挑戦者になった。この号が出る頃は、島対羽生の七番勝負も第3局まで消化しているはずだ。

―羽生さんとはいつ以来?

村山「今年の1月、前記のC1順位戦で指してからだから8ヵ月ぶり。思い出したくないんですよ」

 どうやらまずい話題だったようだ。羽生-村山戦は過去たった1局で羽生勝ちの記録が残っている。村山としては連チャンで借りを返したいと思っているようだった。

 羽生が現れ、早速振り駒。とが4枚。先手は村山と決まった。

 速いテンポで矢倉戦へと進む。先手の村山は飛先不突から▲6六歩。対して羽生は△5五歩。流行の展開である。

(中略)

 羽生のほうは見るからにさっぱりとした髪型だ。ピンピンと毛が立って油もつけていない。村山のビートルズとは対照的で、どちらもかまわないといえばかまわない。

「のちほどNHKの衛星放送の方が取材にきますのでよろしく」

 本誌のK記者が両対局者に伝える。

羽生「この間の竜王戦(対森下戦第1局)の時もきましたけど」

 今の将棋界でもっともトレンディな棋士が羽生だから、マスコミがほっておかないというわけだ。後日、衛星放送を見たら、竜王戦も若獅子戦もちゃんと映っていた。

 村山は「知らん将棋、エエかげんや」といった。

 エエかげんでも村山は強い。関西の口のわるい連中は村山将棋を評してハッタリというが、本質は滅法強いのだ。奥が深い。だから勝つ。

(中略)

 村山▲4五桂。好手(2図)。

羽生「ジッと桂を跳ねられる手を軽視。ここではつらいか……」

2図以下の指し手
△9五歩▲同歩△9八歩▲同香△9七歩▲同香△9六歩▲同香△8六歩▲同歩△同飛▲6五歩△同金▲3三歩△同桂▲5三桂成△同銀▲9七角(3図)

”三歩持ったら継ぎ歩と端攻め”と格言にある。羽生は△9五歩と端を攻めた。△8六歩▲同歩△同飛で香が助からない。羽生してやったり……と思わせたが村山▲6五歩が用意の反撃。以下▲5三桂成から▲9七角。飛銀両取りが見事に決まって村山優勢だ。

羽生「端攻めは全然利いてなかった。▲9七角があるんじゃドツボの攻めでした。うっかりです」

 △9五歩では△8六歩▲同歩△8五歩の継ぎ歩が正解と羽生。このあと▲同歩△8六歩▲7七角△8五飛▲8八歩△8二飛と手を渡してどうなるかだが、

「どうなってもこのほうが断然いい」

 と羽生。

 本譜、△5三同銀で△9六飛は、▲6三成桂△9八飛成▲6六歩で先手よし。

3図以下の指し手
△9六飛▲5三角成△5二銀▲9七馬△同飛成▲同桂△3一角(4図)

 羽生の見落としで形勢は村山に傾いた。が、対局中の羽生はもちろん、おくびにも不利のそぶりを見せない。それどころか駒音高く勝負手を連発するのだ。

 村山▲9七馬に△同飛成。以下▲同桂に△3一角が羽生らしいくいつき。わるいながらもこれで勝負形になっている。村山も優勢とは思いつつも、さすがは羽生、強いやっちゃと緊張したに違いない。一歩まちがえば例の羽生流逆転術にはまる場面だ。

4図以下の指し手
▲3四歩△9七角成▲8八銀△4二馬▲3三歩成△同金▲5四桂△5三馬▲6六歩△8七歩▲同銀△8六歩▲同銀△3六桂▲3四歩△3二金▲1八飛△2六桂▲5八飛△5七歩▲同飛△5六歩▲同金△同金▲同飛△8六馬▲6二桂成△3一玉(5図)

「どうやられてもだめですよ」

 4図の局面を振り返って羽生がいった。だが、対局中の羽生は、ここから実にしぶとい手を指すのだ。自陣に馬を引きつけ、一転△8七歩と攻めにまわる。その緩急、しなやかさは余人の追随を許さない。

(中略)

 羽生が△8六馬と銀を取った時、村山▲6二桂成。これが詰めろで先手勝ちの局面だ。

 そこで羽生△3一玉の早逃げ。これが冒頭に掲げたA図。

5図以下の指し手
▲5二成桂△6七歩▲同銀△9七角▲8八歩△7七香▲4一飛△2二玉▲7七金△同馬▲3三銀△1三玉▲1一飛成△1二金▲同竜△同玉▲1一金△同玉▲1三香△1二飛(途中図)▲同香成△同玉▲2二金△同金▲同銀成△同玉▲3三金△1三玉▲2三金△同玉▲2五香△2四香  
 まで、148手で羽生六段の勝ち。

 魅入られたように村山▲5二成桂。▲3三金は見えていたのに……

 その手を指されたらおそらく羽生は負けていただろう。村山も終盤にかけては関西一の怪力の持ち主だ。その村山をして間違えさせる。この羽生の悪魔力は何なのだ。

 村山▲1一金はハッとさせる手。さすがの羽生もこの手は読めていなかったようだが、秒読み開始とともに打った△1二飛(途中図)が最善手で詰みを逃れた。

「どうして金を打たなかったんやろ…」

 投了後、悪夢の局面を振り返る村山。

 若獅子戦V2。羽生のVロードはこの棋戦から始まり通算優勝回数は「6」に伸びた。

「ゲンのいい棋戦です」

 羽生がにこやかにインタビューに応じ万雷の拍手を浴びている時、村山は部屋の隅で独り眼を閉じていた。

「この一局だけは勝ちたかった」

 競り負けた村山のことばが悲しい。

 羽生は若獅子戦の余勢をかって順位戦でも村山の泣きを見せるのだ。強い。羽生は、まごうことなき勝負の天才だ。

近代将棋同じ号。

表彰の模様。師匠でもある二上達也会長(当時)から。中央は、近代将棋社長だった永井英明さん。

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羽生マジックとも違う。念力とも違う。相手が間違ってしまうオーラが羽生善治六段(当時)から出ていたと考えるのが自然かもしれない。

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「▲9七角があるんじゃドツボの攻めでした」

ドツボの攻めという表現が、現在の羽生九段らしくなくて面白い。

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王将座布団もすごい。

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羽生六段は坊主頭にしてから日が経ち、髪が伸び始めた頃。

村山聖五段(当時)は、髪とヒゲが伸びている頃ということもあるが、写真を通してみても、凄い迫力が感じられる。

一転して、(一番上の写真の)和やかな感想戦。

つくづく、良い光景だなあと思う。

羽生善治四冠「彼は本物の将棋指しだった」