激辛感想戦

近代将棋1991年3月号、鈴木宏彦さんの第14回若獅子戦1回戦第2局〔小倉久史四段-丸山忠久四段〕「小倉の荒技、丸山包囲網を破る」より。

 将棋連盟の手合係のところに棋士の個人成績表がある。平成二年度の棋士の成績を◯と●を付けて表にしたものだ。

 ぱらぱらっとそのファイルをめくる。A級、B級1組、B級2組、なぜか上位の方は全体に黒っぽくて、C級1組、C級2組、下位の方に行けば行くほど白っぽい表が増えて来る。

 昨年の年末時点で勝率七割を超えている棋士が九人いた。B級2組以上の棋士でその中に入ったのは、小林八段ただ一人。他の八人の棋士の勝ち越しの合計が、なんと百五十八。これでは他の棋士のところまで勝ち星が回らないのも無理はない。

 羽生のあとは、佐藤康光と森内と村山が出てきた。すごいすごいと驚いていたら、屋敷が出てきて、さらに郷田と丸山が出てきた。

 引き絞った弓から、矢がビュンと音をたてて飛び出すときのような勢いで新人達は勝ち進む。二十六勝七敗。勝率七割八分八厘。今期、この対局までの丸山四段の成績。今期一緒に四段になった郷田と二人で、ずっと勝率一位を争っている。

 奨励会三段の時、新しくできた特別推薦制度によって丸山は早稲田大学に進学した。もちろん現在も早大在籍中だが、本人の話では、ほとんど大学には行っていないらしい。大学生の勉強をせずに何をしているのかといえば、もちろん将棋の研究である。なにしろ白星軍団の中からさらに白星を稼ぐのが、丸山たち新人に与えられた使命なのだ。遊んでいる暇はない?

(中略)

 遊んでいる暇はないはずの若手棋士たちだが、何時は結構遊んでいるという説もある。

 将棋年鑑に紹介されている小倉四段の健康法。「よく遊ぶこと」。

 麻雀、スキー、ゴルフ、ついでにデート?小倉は将棋連盟レクリエーションクラブの名幹事なのだ。みんなの都合をうまくまとめて、自分がプレーするときは接待役に徹していると聞く。どこの職場にもこういうタイプの人間がいるが、一匹狼ぞろいの将棋連盟では貴重な存在である。

(中略)

「打たれ強く、秒読みにまた強い」というのが丸山将棋の評判だ。体形はやや小柄だが目つきや動作など、いかにも俊敏な印象を受ける。系列としては森下、佐藤康タイプではなく、明らかに羽生、屋敷の路線。

(中略)

 本譜、▲6一角以下の順もかなりの乱暴である。

photo (16) 

〔1図以下の指し手〕

△8二飛▲4三角成△同銀▲5三金△5二金▲4三金△同金▲4四銀打△同金▲同銀(2図)

photo_2 (11) 

「小倉君の将棋?粗いでしょう。その代わりパンチ力はある」

 これは森下六段の観察。丸山が羽生・屋敷路線なら、小倉は森けい二・櫛田路線という感じ。

(中略)

「アマチュアの将棋だったら、先手が楽勝だけどなあ」

 記者室でこの将棋を並べながら独り言をいっていたら、対局で上京していた村山聖五段がのぞいてきた。

「そうですかあ?駒損ですよ」とその村山五段。

 駒損といっても、たかが角金交換だ。玉の固さはそれこそぶっ大差。しかしこの前期若獅子チャンピオンは「そうはいかん」とおっしゃる。

 実際、この局面は「一目、先手の攻めが無理」というのがプロの感覚らしい。局面が進むにつれて、なんとなく僕も分かってきた。先手の攻めは飛車、金、銀の三枚だけ。自玉が攻められる心配こそ当分ないが、その前に攻めが切れてしまいそうなのだ。

(中略)

(この後、丸山四段が優勢に進めるが、疑問手が複数出て、小倉四段が勝つ)

小倉「結構大変だと思っていたんだけどなあ」

森下「どこが大変なんですか。大差ですよ。大差」

 森下六段が加わった感想戦。この辺り小倉四段はぼろぼろにされていた。小倉が五、六手攻める。森下が五、六手受ける。何度やっても、そのたびに「はい。おしまい」という感じ。もともと強かった森下六段だが、最近、手の見え方が一段と強くなったみたいだ。丸山は静かにニコニコしながらその感想を聞いていた。

(以下略)

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小倉久史四段(当時)の荒技は、アマチュアに好まれる流れ。

たしかに、振り飛車党なら2図の局面は先手を持ってみたくなる。

しかし、プロの見かたは違う。

このような激辛な感想戦も、ファンには大いにウケけると思う。