将棋世界1987年1月号、「新春ビッグ対談 中原、米長 大いに語る」より。
司会 将棋ファンが注目している、ということについてなんですが、どうなんでしょう、将棋とか囲碁は、スポーツ、例えば野球のように一億総評論家的な部分がありませんよね。将棋ファンの層で一番多いと思われる級位者はもちろん、上級者にしてもプロの将棋は解らないと言えなくありませんか?
米長 私もね、将棋以外いろんなことを見たりやったりしてきましたが、一番難しかったのは女性だね(笑)。それと、株の本を出したでしょ、あれは大分売れてね、1ヵ月で9万部かな。将棋の方は2年かかって2万部くらい(笑)、それはともかく、株の評論はできそうな気がするんですよ、碁は、誰かにちょっときけば何とかね。能は難しいね、能だけはできそうにないね。歌舞伎とか芝居も難しいね。音楽は全然ダメ。中原先生なら詳しいだろうけれど。
中原 そんなことはありませんよ。
米長 そんな中にあって将棋とは何かといったら、能に匹敵するぐらい難しいものだと思うんですよ。一番評論しにくいものなんじゃないかと思うんですよ。能より上かな。専門家だってわからないんだから。中原先生の将棋を解説しろったって誰にもできるってもんじゃないでしょう。
中原 手の解説とか、悪手好手のたぐいならばできるでしょうけれどもね。評論になると、僕の将棋云々ではなく、難しいでしょうね。
米長 何故とかどうしてを説明するのが難しいわけで、そうなると二通りの方法が出てくるわけですよ。できるだけかんで含んで解説するか、あるいは将棋というものは難しいものなんだ、と。どうにもならないんだということで押し通してしまうかどちらかでしょうね。後者を採るならその結果ついてこれないファンが出来るわけで、それはそれで仕方ないような気もしますね。プロとアマの差が大きい程プロの収入が少なくなるんですよ。それはスポーツでもなんでもそうだけど、差が少ないほどよくわかるし、逆に多い方がわかる人が少ないんだから。ゴルフが人気で中島や青木はすごいけれど、将棋はちがうからね。プロとアマの差は。
中原 それはいえるかもしれませんね。
米長 将棋にはそういった欠点というか弱点はあるけれども、押し通しちゃえばいいと思いますよ。媚びる、とかいうのは好きじゃないな。観戦記なんかでもできるだけ易しく書いて欲しいんですけれど将棋は難しいものなんだ、ということはどうにもならない事実ですね。
中原 将棋担当の人達なんかは、永年、将棋を見てますけれども、見方はかなりのものになっていいと思いますけれど、こと将棋の話になると踏み込めない部分があるみたいですね。
米長 そうですね。観戦記を何十年書いてる人でも将棋になるとやっぱりぐっと入ってこれないものね。おもしろいもので。
中原 野球なんかだとね、監督ぐらいできるんじゃないか(笑)なんて思ったりもして。
司会 将棋ファンが一千万人とも二千万人とも言われることに関してはどうでしょう。実際はそんなには、という声もありますが。
米長 将棋を知ってるとか指すとかいうんではなく、将棋というのは難しいもんだとか素晴らしいもんだとか、思っている人は増えていると思いますよ。
司会 先生がいろいろな所で活躍していることが大きいですか。
米長 そんなことはないですけれどね。私はできるだけ将棋を知らない人に接するようにはしてますけれども。
(以下略)
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「中原先生の将棋を解説しろったって誰にもできるってもんじゃないでしょう」
どこまで解説するかにもよるが、過不足なく厳密な正しい解説・評論をしようとしたら、本人以外にはできない領域であることは間違いないようだ。
木村義雄十四世名人が、既に発表された新聞や雑誌の観戦記などによって木村将棋を集成する「木村名人実戦集」発行の打診を受けた時、次のように答えており、全巻、木村十四世名人による書き下ろし自戦記になったという事例もあるほど。
→木村義雄十四世名人「御趣旨は誠に有難いが・・・だが、木村の将棋が他人にわかりますかい」
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「できるだけかんで含んで解説するか、あるいは将棋というものは難しいものなんだ、と。どうにもならないんだということで押し通してしまうかどちらかでしょうね。後者を採るならその結果ついてこれないファンが出来るわけで、それはそれで仕方ないような気もしますね」
昨日の記事「矢倉を好きになれるかなれないかのリトマス試験紙のような自戦記」の米長邦雄八段(当時)の自戦記で触れられているような領域まで解説しようとすると、棋書2冊分くらいの解説が必要なのかもしれない。
「観戦記なんかでもできるだけ易しく書いて欲しいんですけれど将棋は難しいものなんだ、ということはどうにもならない事実ですね」
どこまで掘り下げて書くか、どこまでが読者から求められているのか、というバランスの問題になってくると思う。
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「プロとアマの差が大きい程プロの収入が少なくなるんですよ。それはスポーツでもなんでもそうだけど、差が少ないほどよくわかるし、逆に多い方がわかる人が少ないんだから」
これは正しいことなのかどうなのかはわからない。
ちなみに、プロとアマの差が大きいと言われる相撲の力士の収入の体系は次の通り。十両と幕下の間が大きな境目のようだ。