「升田、内藤 棋界を斬る」

将棋世界1988年1月号、「新春対談 升田、内藤 棋界を斬る」より。

升田門下になる?

―本日はどうもお忙しい中、ありがとうございます。お酒など飲みながら、ざっくばらんにお話をいただければ。

内藤 先生は今は焼酎ばかりですが、昔はビールからはじまって調子が出てくると日本酒でしたね。

升田 今は焼酎だけだね。ビールは冷たいとお腹によくない。量も、飲んでる時間も大分少なくなったね。

内藤 先生は2、3年前にも企画物で出ておられますね。

本誌 『名棋士を訪ねて』というコーナーでお宅にお邪魔してインタビューをさせていただきました。今日は福本さんに進行役をお願いしております。

福本 どうぞ宜しくお願いします。それでこの対談が始まる前にいろいろと升田先生から聞いていたんですけれど、昔、藤内先生から升田先生に「うちの内藤を預かってくれないか」という話があったんですってね。

内藤 そう、いつ頃だったかなぁ、私が酒を飲み過ぎるのを師匠が心配してくれましてね。もっとも初めは酒は師匠が勧めたんですが。

福本 ほおー。

内藤 本当は四段になってから、というのを待ちかねて3日後に東京で四段になる決戦を控えていた日に師匠と飲んだのが最初でした。酒席で『勝って帰れよ』と何回も言われて、今、思えば、王将の唄の三番の歌詞”明日は東京に出ていくからは何が何でも勝たねばならぬ”の心境でガブガブ呑みました。無事、四段になってから酒量がどんどん増えましてね。師匠がそれを心配してくれたんです。『自分と呑むのはいいけれど他の人とも呑みすぎる』というわけでお願いしようということになったんです。一番怖い先生に預ければ安心だろうということで。

福本 升田先生が断った理由というのがね、「藤内さん、内藤はやがて名人になる器だ、あなたは大変な存在を手放そうとしている」というんだね。

内藤 (笑)。私が初めて先生にお目にかかったのは、奨励会に入るちょっと前、アマチュアの初段ぐらいで14歳の時だったかな。ワイシャツ姿で藤内先生の所へ見えられて、藤内先生があまりペコペコするので升田八段か、と気がつきました。今から33、4年前のことですよ。雲の上の人でしたね。

升田 そんなことがあったかね。

福本 その升田先生に才能を認められた訳だ。

内藤 当時、私が6級で奨励会へ入る時に同い年の加藤一二三さんが三段。私みたいなのは他にもいっぱいいたから才能なんてのはね。ただ師匠は八段まで行く、と言ってくれましたけれども。奨励会の時に升田先生の将棋は一局だけ記録を採らさせていただきまして。有馬での王将戦で先生が2連勝された後の3局目だったですが、2日目の昼休みの直後に一手も指さず投了されて、いかにも升田先生らしいな、という事がありましたね。それで帰りに神戸新聞で講演をされて「二度香を引いてもしょうがない」というくだりが印象的でしたね。

升田 どうも覚えとらんなぁ(笑)。

福本 藤内先生が升田先生に内藤さんを預けるという話は初めて聞くエピソードでしたね。

内藤 桐山君はもっと後なんでしょ。

升田 あれば(昭和)32年頃かな、弟子入りしたのは。まだ小さくて1年もおらんかったけれども。あなたよりも随分と若かった。桐山は若いからねぇ。

内藤 私なんか記録を採ってくれた人はいつまでもそのイメージが残ってしまいます。

福本 桐チャンもすっかり貫禄がついてきて。少々頭の方は薄くなったけれど。

升田 桐山君も随分と頑張っているようだね。

内藤 そうですね。

『升田将棋』こそ本当の”将棋”!

福本 内藤さん達の年代にとっては升田将棋というのはひとつの憧れでしたか。

内藤 そうです。思い切って誉めさせていただくと、升田将棋こそ”将棋”という感じですね。腰掛け銀、矢倉、振り飛車、それぞれ代表的な棋譜を残しておられる。私は対振り飛車の”▲3八飛打”という自陣飛車の将棋が素晴らしいと思うのですが。升田先生の若い頃に穴熊が流行っていたら、これを相手にどういう指し方をされるのか見てみたかったですね。昼休みに将棋を指している光景が少なくなったというのも、多少、穴熊が関係していると思うんですよ。

福本 升田先生は穴熊についてどう思われますか。

升田 あれが流行りだしたのは時間が短くなってからだね。時間が長ければそんなことはない。テレビの将棋ならそれもいいだろうけれど、長いやつだと必ず不利になる。ただ穴熊の一番の欠点は、将棋がおもしろうない。おもしろうない将棋を選ぶんじゃ普及する必要がない。どっちも入玉してと金を回りにつけてから指したらええ(笑)。

福本 時間が長いとだめですか。

升田 そうね。これはひとつの理屈ですよ。

内藤 それと、将棋も相撲や野球のようにファンが直接対局を見にくるゲームなら穴熊は減りますけれどもね。今どき人気を無視するゲームは珍しいですよ。ところが勝負師は勝たんといかんという面もあって、これが難しい。アマプロ戦なんかでもプロが穴熊に囲っているのを見るとどうもね。

升田 アマチュアの人が穴熊をするのは別にかまわん。責任がないんだから。アマや弱いプロにあれしちゃいかん、これしちゃいかん言うのは可哀想だよ、将棋を知らんのだから(笑)。

福本 厳しいですね。

プロがアマとの対戦を逃げるようでは…

内藤 最近はプロの稽古先が少なくなりましたね。うちの師匠なんか稽古名人とか言われて、負かすんだけれども相手を誉めるんですよ。力が強いとか早見えがするとか、それでどうにも誉めようがない人をどう誉めるんかな、と見ていると、「あんたの将棋は銀の出足がいい」(笑)と。勉強になりますよ。今の若い人は黙ってコンピュータかなんかとやっている調子でね。升田先生は盤上ではキツかったようですが、口ではうまく誉め上げたほうじゃないですか。

升田 いやぁ私は誉め言葉が苦手でね、稽古がだんだん減る(笑)。社交クラブとか行くでしょ、社長連中が集まる。私の時はひとりくらいしか待っていない。私は誉めないばかりかいらんこと言うから。例えば緩い手指すでしょ、「そりゃなんや、2階から目薬や」とか言って。つく訳ないんだよね。師匠なんか上手でしたよ。「含みのある手ですね」(笑)とかね。ただ、それ以上は言わない。無茶苦茶くるようなのも、「厳しい手ですね」。それから駒落ちの時は定跡通りきたらわざと負けるんですね。昔の人は。ところが私は力で負かしてしまう。師匠からおこられましたよ、「定跡通りきた時は負けなきゃいかん」と。若かったですから、木見先生と何ですかいうて「両桂(四枚落ち)です」いうと、それじゃ金銀(六枚落ち)でこい、てなもんです。これじゃお客は逃げてしまう(笑)。

福本 先生らしいエピソードですね。ところで先生は常々プロは定跡を作るものだと、そしてアマチュアは定跡を習うものだと。確かにその通りなんですが、今はアマチュアがものすごくレベルアップしてきたでしょう、それで定跡を通っていくようなプロが少なくなってきているように思えるんですが。プロとアマの差が縮まっているのか、それともプロがちょっと衰退しているのか、どうなんでしょう。

内藤 私はプロの底辺は強くなって、トップは強くなっていないと思いますね。確かに今の四、五段は強いのがいっぱい出てきて、特にこの間も中平邦彦さんが「なんで羽生君にコロコロ上は負けるんだろう」と話してましたが、もうすでに一番強い時期にさしかかっているかもしれない。これから結婚とか生活とか考えたらそうは勝てなくなるかもしれない。上に昇れば皆、チョボチョボという可能性もありますよ。

福本 昔は将棋のプロはアマを歯牙にもかけないというものがあったでしょう。

升田 そりゃそうです。アマチュアというのはお客さんですからね。七段にもなった人がアマとの対戦を逃げたりしちゃいかん。九段といっても実力は三段ぐらいしかないんだから、アマチュアが銭でも賭けるいうたら相手をするのがおらんようになる。今日は忙しいとかね(笑)。

内藤 アマチュアのレベルが上がったんでしょうね。

升田 アマチュアの将棋を新聞に掲載したのが大きいですね。それが影響大でしょう。

福本 将棋界が社会的な取り上げ方をされたり、棋士志望の子供が増えたのも大きい事じゃないですか。

升田 そうですね。私なぞは親が将棋を指しちゃいかん、あれは陪堂(乞食)だからと、母親がえらくおこりました。今は母親が子供を連れて弟子入りさせにくるよるらしい。

内藤 学校の先生とか、町とかをあげてね。私の頃にも少しありましたよ、遠慮して指すゆう雰囲気がね。親父が勝負事嫌いで、兄なんかよく将棋盤隠されてましたよ。私は四男坊であまり期待されてませんでしたからそんな事もあまりなかったですが。だから谷川以下の若い人達は幸せですね。

福本 確かにそうですね。そういう意味では今の若い人達はどんどん強くなるでしょう。

升田 勉強さえすればね。

負けたやつには何もやるな!

内藤 この頃のタイトル戦は、こちらの情熱が冷めたんかもしれませんが、二へん並べる気がしない。一ぺんで充分。

升田 (笑)。

内藤 どうかすると一ペンも並べたくないのがある。やはり升田-大山の将棋は、味わせてもらいました。今はタイトル戦が多いからかもしれないけど、興奮するような顔合わせがない。

福本 自分に得るものがないということですか。

内藤 戦い方もそうだけれど人生観が違うということもあるでしょう。橋本宇太郎さんにあってその事を話したら、「そうですね」と一言だけでしたけれど、碁の方も似たようなもんですとも話してましたね。

福本 なるほどね。

内藤 先生は雑誌などでたまには棋譜を見ることはありますか。

升田 棋譜はわざわざ見ませんね。

内藤 こいつは有望だとか、まだまだとか感じることはありませんか。

升田 たよりないと感じることは事実ですがね。

内藤 羽生がやはりたいしたもんだと思いますよ。タイトルホルダーをあれだけ負かしたり、テレビでも勝ってるしね。

福本 その羽生君は弟の浩司君には3連勝しているけど、この間お兄さんの俊昭君に負けちゃったらしいんですよ。判らないですよ。

升田 なんにしても、四段くらいになったら日本中の素人が相談してきても吹き飛ばさなきゃいかん。

福本 だんだん飛ばせなくなってきているんでしょう。

升田 プロが進歩すりゃいいんだが…。つまるところは力のない者がどんどんやめていけばいいということです。

内藤 そういう意味では将棋もプロスポーツのようになっていきますかね。

升田 スポーツの世界はもっと厳しい。

内藤 格闘技のように肉体的に痛くないでしょ、将棋の場合は。痛くないからなんぼでもくるからね。ボクシングのようなのはダメージが大きくて、1回1回の比重が大きいですもの。

升田 将棋だって負けりゃ痛いよ。痛い以上に大きな勝負だったら厳しいんじゃないかな。プロが負ける場合は。

内藤 昔、本間さん(故爽悦八段)がアマに負けた時、恥ずかしくて家から表に出なかったらしいですよ。

升田 当然でしょう。そういう気構えじゃなきゃいかんのだよ。

内藤 極端な言い方をすると、将棋も今は麻雀みたいな考え方になってきているらしいんですね。つまり100回やれば必ず強い奴が勝つ、トータルでね。将棋にもそんな考えが出てきて、アマとやる場合プロは10回、100回やれば8割は勝つと、一番ぐらいは負けることもあるわいと。

升田 将棋だろうが碁だろうが、例えば100mを10秒で走るのがプロ、9秒台で走るのがプロ中のプロ。今は15秒ぐらいで走るのがプロだと言っているのがいる。話にならん。責任というものがないんですね。段ばかり高いのをほしがる。

福本 今の棋界は随分と棋戦が増えているでしょう。

升田 いい事じゃないですか、修行だと思えばいい。

福本 それはそうなんですが、昔のように数が少ない時のほうがより真剣味があったような、そんな気がするんです。

升田 ならば、減らしたらいい。

一同 (笑)。

福本 その辺のところも影響していると思いますが。

内藤 棋士は毎年新聞社の契約金が上がるのを当然のように思っている人が多いけれど、これはもっと有り難いと思わなきゃいかんですよ。それでもっと将棋を真剣に指すということね。読者に対しても失礼ですし。

福本 同感ですね。

升田 新聞社側にも責任がある。

福本 新聞社としては、将棋界をよくしたいんですよ。契約金を上げていって、少しでも全体をレベルアップし、いい将棋を指す環境にしたいという、そうすればいいものができる、というね。順位戦が改革されたり、読売で大型棋戦が出来たりと、昭和62年の棋界は大きく揺れ動いていたと思うんですが。

内藤 前から思っていたんだけど、例の勝ち星昇段ね、あれはあれでいいんだけれど、負け越しとるもんが昇段というのはねぇ、おかしいでしょう。それと新聞棋戦なんかも数が多くて、勝手な言い方かもしれないけれど全員参加というのも見直した方が、と思いますね。今年は王位を取りに行く、だからこっちの棋戦は休ませてくれとかね。話題提供でもあると思うんだけど。

升田 弱いのに段をくれるから変なことになる。

福本 新聞社側でも出ると負けを繰り返す棋士にはペナルティを出すとかね。 

升田 それ位はしていいね。

内藤 逆に新聞掲載になるような棋譜には賞金を出すとか。いい意味での刺激はあるべきでしょう。

升田 負けたもんには、対局料を払わんとか。

内藤 う~ん。厳しなるなあ(笑)。確かに回りがよかれと思って進めているものが悪い風潮に流れる危険性はありますね。

新人類棋士達の最大の強敵は女!

福本 先生の著書の中で感心した部分がありましてね。戦争で外地での思いを綴った所なんですが。

升田 あの頃は、夜空の星に向かって月が通信してくれるなら木村と指してみたいとか、木村よ生きとれ、俺が負かしてやるからと思っていましたね。怨念と言ってもいいでしょう。当時は東京に比べ大阪は不遇でしたから。木村を倒さにゃいかんという思いでいっぱいでした。

内藤 それで先生に聞きたいのは、私なんかの年代は食べたい時に食べるものがなくて兄弟で取り合いをするとかしたので、食べたい時に食べたいものがあるという今の状況は、すごく有り難い事だと思うんです。新人類達は生まれた時から冷蔵庫を開ければなんでもあるから、食べ物に対する感謝の念が薄い。私なんか食べ物で苦労した分、幸福な思いをすることがあるんです。先生は兵隊に行かれたことで、後から思うと幸福だったなというようなことがありましたか。

升田 やはり人生観が変わりましたね。少々の事では動じなくなった。たとえ将棋連盟がつぶれても驚きませんね。却ってにこにこっとしたりして。

一同 (爆笑)。

内藤 戦争とはあまり関係ないじゃないですか。

福本 確かに動じなくなるでしょうね。

升田 いや、動じる事もありますよ。女房の機嫌が悪い時とか(笑)。

内藤 嫁さんには気をつけんとね。

升田 寝とる時が一番危ない(笑)。

内藤 そういう意味では男は外でえらい目に遭っても、嫁さんさえにこにこしてくれていたらなんでもない。嫁さんが怒り出すと始末が悪い。

升田 特に勝負師はね。だから勝負師をりっぱな人に仕上げるのは女房の心掛け次第だね。

福本 サラリーマンにも言えますね。

内藤 今活躍している新人類棋士達の強敵は女ですよ。恋愛していっしょになって、結婚生活であれがほしいの、どこそこへ行きたいのが当然出てくるし、棋士は毎日働いてる訳じゃありませんからね。大変だと思いますよ。

勝負師に必要なものは運・勘・技・根!

福本 内藤さんと升田先生の初対局はどうだったんですか。

内藤 最初は棋聖戦だったと思うんですが、軽く捻られました。2局目は拾わせてもらったように覚えています。ところで私はどうも若い頃生意気に見られて嫌われていたようで、先生に挨拶しても応えてもらえなかったんですよ。

升田 覚えとらんねェ。

内藤 ようやく応えていただいたのはA級に昇った時だったかな、「こんにちは」に「ヨッ」と一声返ってきたのは。

升田 そうだったかね。

内藤 知らん振りしとったでしょう。親しくお酒の席にご一緒させていただいたのは板谷君が七段に昇った時かな。

升田 中野の行きつけの店だったね。内藤君と板谷君とがホラ吹いてね、酒が強い言うて。私はその頃体をこわしてそんなに飲めんようだったんだが、板谷は途中で逃げ出してしまって、内藤君は頑張ったよ。家に連れて帰って朝酒飲ましたらビックリしていた(笑)。

内藤 明け方の4時頃ですよ。ノドがかわいて枕元を見たら水じゃなくてビール瓶が置いてある、3本も。ビックリしますよ。後で聞いたら、東京は水が悪い、これは愛情だよ内藤君、と。二日酔いでこれはもうおそれ入りました。そんなことをしながらも豪快な将棋で勝ってましたから、その辺が魅力でしたね。才能がケタ違いにあるなぁと。

福本 なんといっても才能の世界なんですね。

升田 あのですね、勝負の世界に入ってつくづく思うことがあるんです。運、運ですね。これは勝負の世界でなくともあるけれども。勘、それと技と根ですね。勘というやつは甚だしい力と書く。これは大変なもんです。それと運ですが何通りも解釈ができる。軍を動かすとも読めるし、ただ我々のようにひとりでやっている商売は、動く車に人が乗せられている、というように解釈します。体をこわすのも運が悪いとね。いくら運がよくて勘がよくても技がだめではいけない。技術は大事です。ここまでそろっていてもそれだけではだめで、最後に根がなければいけません。体力がなくてせっかく九分九厘勝っていたものを負けてしまうことはよくある。この四つがうまくいって初めて大成するんです。どれひとつ欠けても一時はうまくいっても、永続きしない。運・勘・技・根、この四つが勝負師にとって必要な要素でしょう。

内藤 ところがね、根だけで結構、物事はいく時があるんですわ。

升田 根だけの人は例えば穴のあいたバケツで水を汲むようなもんですぐに溜まりようもないけれど、何万回かやっているうちにしずくで水も溜まるようになる。努力は大事であるという教訓にはなるが、私は面倒くさいからやめてしまう(笑)。

新旧の闘いはこれから3年間が勝負!

内藤 この間人間ドッグへ入りましてね、その時、会社の社長していた人やら医師、坊さん、80歳くらいの人達と、いっしょだったんですが、最初の人には男は今や頑張らなアカン言われまして、次の人には今遊べ、70、80になったらよう遊べんから言われまして。どちらも正しいから迷います。私はね、人生に最善の一手というのはないのとちゃうかと思うんです。

福本 確かに、ただ、遊べと言われて遊び切れるもんじゃないから。

内藤 生活もあるからね。先生はどう思われますか。

升田 私はね、遊びが出来る間は遊んだらええと思う。将棋指しはね、遊びたいのもよう遊ばんのは勝負師じゃないと思う。なんのために勝負しとるか。そして勝った時は素直に喜ばなきゃいかん。謙虚な事を言うのもりっぱだけれどもね。「わしゃ強いだろう」でいいだろう。

内藤 負けた時はどうしますか。

升田 負けたら潔くしとりゃいい。

内藤 最近の若手はこの辺は如才ないというか、取りようによっては慇懃無礼なのもある。もっと素直に嬉しそうにすればいいんですよ。森安みたいに(笑)。

升田 それが一番いい。人間らしくて。

福本 升田、大山の時代があって中原、米長、内藤の時代がある。

内藤 私には時代はございませんよ。

福本 そこでポーンと飛んで今や20代、10代の若手が棋界を席捲した感があるのでしょう。この辺を外からご覧になっていかがでしょう。

升田 内藤君も大いに責任があるでしょう。

福本 将棋はそんな情報だけで勝てるもんじゃないでしょう。ところが上がコロコロ負けている。

升田 胸貸してるからじゃろ。

内藤 それは皮肉ですか。いや私はね、中原の将棋は信用している。米長は人間は信用しているけれども将棋はあんまり信用していないんで(笑)。だから、中原がコロコロ負けると不思議でしょうがない。負けにくいタイプだからね。中原が四段に負けるのはどう思います?

升田 別に不思議でもなんでもないでしょう。

内藤 私は高橋に負けていて言うのはおかしいですが、加藤一二三や米長が同じ負けるにも4タテ喰うのは絶対変ですよ。高橋の実力は買ってはいますけれど、おもろうないですよ。

福本 判らないんですね、混沌としていて。

升田 まだ中原は大丈夫ですよ。内藤君ぐらいの年になると、ちょっと老いを感じますがね。

内藤 いやいやまいりましたね。

升田 米長君も数えで45でしょ、ここでシャンとしなければこれもまた老いを感じることになる(笑)。

内藤 将棋界もこれからの3年間が非常に面白いんではないかと思うんですが。

升田 それには内藤君ももっとがんばらんといかんね。

福本 升田節が冴えわたってきましたが、この辺でお開きにさせていただきましょう。

(東京 阿佐ヶ谷「福八」)

升田幸三実力制第四代名人。将棋世界同じ号のグラビアより。撮影は中野英伴さん。

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往年の升田幸三実力制第四代名人と比べるとおとなしい感じがするが、それでも升田節は健在。

「ただ穴熊の一番の欠点は、将棋がおもしろうない。おもしろうない将棋を選ぶんじゃ普及する必要がない。どっちも入玉してと金を回りにつけてから指したらええ」

「アマや弱いプロにあれしちゃいかん、これしちゃいかん言うのは可哀想だよ、将棋を知らんのだから」

「将棋だろうが碁だろうが、例えば100mを10秒で走るのがプロ、9秒台で走るのがプロ中のプロ。今は15秒ぐらいで走るのがプロだと言っているのがいる。話にならん」

などが、まさに升田流だ。

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「運・勘・技・根、この四つが勝負師にとって必要な要素でしょう」

電通、共同通信、時事通信の元となる会社(日本広告株式会社・電報通信社→合併して日本電報通信社)を1901年に創業した光永星郎は「健・根・信」を社員の心得としていた。

(たまたまだが、升田幸三実力制第四代名人のご子息は電通に勤務されていた)

広告会社や通信社ではあるが、「健・根・信」は多くの会社でも適用できそうな心得だ。

勝負師と会社員の共通の必要な要素は「根」ということになる。

内藤國雄九段の「ところがね、根だけで結構、物事はいく時があるんですわ」、升田幸三実力制第四代名人の「根だけの人は例えば穴のあいたバケツで水を汲むようなもんですぐに溜まりようもないけれど、何万回かやっているうちにしずくで水も溜まるようになる。努力は大事であるという教訓にはなるが、私は面倒くさいからやめてしまう」。

とはいえ、会社員も「運」と「勘」はあった方が良いだろう。

もちろん、社是に「運」とは書けないが。