「羽生や森内なんかはどうも女性に溺れるようなタイプにはみえないんだけれどもね」

将棋世界1988年2月号、河口俊彦六段(当時)、石堂淑朗さん(脚本家)、読売新聞の山田史生さんによる「特別企画・新春辛口座談会」より。

司会 本日はお忙しいところどうもありがとうございます。さっそくですが、棋界に詳しい皆さんに1987年を振り返っていただき、新人類の活躍をどうみるか。1988年はどういった展開になるのか、また、棋界が発展していくためには等、忌憚のないお話をしていただければと思います。名人戦の中原-米長、棋聖戦の桐山-西村というカードを除くと、若手に押されっぱなしという感が強かったですが。

河口 名人戦でいえば谷川、南以外はレースに参加できないからね。他の若手はここまで昇ってこなくちゃいけないから。だから谷川にとって今年はチャンスでしょう、名人を獲る。

司会 昨年の名人戦第1局では石堂さんに小誌では観戦をお願いしましたが。

石堂 一時の中原じゃないという感じで、名人戦が最強者の戦いではなかったように思いましたね。専門家の指摘では名人戦らしからぬ落手も多かったようですし、疲れてるんじゃないですかね。僕はいま55歳ですけれども40の声を聞いた頃からたとえば二日酔いが三日酔いにもなっちゃったと思うんです。将棋も同じように、これだけ棋戦が多いと疲れが抜けない。体力のある若い者とは決定的に違ってきますよ。

河口 森安がそうだね、立ち直る可能性は充分あるにしても、何年か前の活躍が信じられない感じだもの。

石堂 僕なんかの商売は時間を余分にくれるといえば若い者とも張り合えるけれども、将棋の場合はそうはいかないでしょう、体力差は大きいと思うな。

司会 ただ、年齢や体力差だけでしょうか、塚田が中原から王座を連敗後3連勝で奪ったり、天王戦の決勝戦が森下、羽生の組み合わせになったのは。実力が接近しているんでしょうか。

河口 そうでしょうね。最近じゃないですね、プロ筋は2年以上前から判っていましたよ。

山田 いつの時代でも同じでしょ、40代よりは20代の方が明らかに強いのは。

石堂 そりゃそうですね。

河口 だけど20代じゃないんだ、10代なんだね、今は。それで今までの若手と同じ物差しじゃ計れないんですよ、羽生を代表とする何人かは。レベルが随分と上がっている。石堂さんじゃなかったですか、一番最初に羽生の強さを認めたのは。

石堂 僕じゃないんですよ、僕の息子がね、ある時小学生の大会かなんか見ていて、かわいい顔した子がやたら強いというんで。

山田 それが羽生だった訳ですね。

司会 第一人者を中心にというんでなく、昨年のような状況は続きますかね。

山田 続くような気がするね。だいたい科学の発達と同じで皆、進み方が加速されてるでしょう、将棋も同じ範疇に入ると思うな。

河口 僕は違う方向へ行くと思うな。3、4人の若手がまとめてくると思いますよ。名人はともかく、他のタイトルは10代が3つ4つ取るんじゃないかな。

司会 10代がですか!

河口 つまり僕はね、ここ1、2年は将棋界の産業革命が起こったと思うんですよ、技術革新がね。

司会 それは情報量ですか。

河口 中村なんかがそう言ってるね。ただ、序盤とか中盤までは情報でカバーできても、終盤は才能だと思っていた訳ですよ。それを中村は、いい棋譜を並べれば得られる、というんだね。10代のレン中は単なるコピーでなく優れた処理能力がそれに加わっている気もするしね。この辺がまだよく判らないけれども。現実に棋譜を見れば10代の若手のものには何の冴えも感じないし、米長や谷川の方がはるかに才気を感じてるんだけど、勝負となると勝てない。不思議だね。

石堂 大山は住み込みの苦労を知らないと駄目とか言ってましたけれど、今ははじめからワンルームマンションでエレガントにやってる方が強いと。

石堂 だから、彼らが10年もつかもたないかというのは大問題でしてね。普通20から30にかけては人格形成の時期といわれるでしょ、それと並行して将棋も強くなっていくんならともかく、ぱっと強くなってそれからいきなり酒と女という二つのカベにぶちあたって、コロッと狂って2、3年後には見るも無惨になってしまうんじゃないかという。

一同 (笑)。

石堂 今の若者にはハングリーさがない、男女関係もハングリーさがなくて、例えば謝国権に言わせると、お互いに美男美女のイメージが先行していて具体的にはろくなのがいないからつき合わない、全部頭の中だけでいいという。将棋もそんな考え方になっちゃうとね。20代後半から絶対にカベがあるはずですよ、人間的にね。谷川や羽生が酒や女の味を覚えたらどうなるか、一般に東大出たてがすぐに実社会で通用する訳がないのと同じで、将棋界で現在ハイティーンが活躍しているのは全然信用できませんね。将棋だけが強いのは5年、10年たってみないと。

河口 そうね、ずうーっと強いだけという人間の観戦記は、モノ書きとして困っちゃうね。どうしようもない。

石堂 若手の活躍は東大の学生が実社会ではなく、卒業論文の世界で素晴らしい成績を挙げているのと同じで、見ていてもおもしろくない。やはり中原、米長の将棋こそという思いですね。現状をどう見るかときかれれば、若手タイトルホルダーの観戦記はもう書きたくない、という思いがどんどん濃くなってきている。

司会 若いが故に話題がとぼしいということとは違いますか。

石堂 だからたったひとり書きたい素材がいますね。あの苔丸の村山(笑)。

河口 皆さんそう言いますね。師匠の森といっしょにインタビューしたいとか。

石堂 別に奇行の持ち主というんじゃなくて、何かこちらに伝わってくるものがあるんですよ。人間味というかね。

山田 戻るようですが、羽生や森内なんかはどうも女に溺れるようなタイプにはみえないんだけれどもね。

河口 それは谷川や高橋にもいえるね。彼らは一種独特の女性に対する拒否反応みたいなものがあるみたいだし。

山田 中村はちょっと雰囲気が違うかな。

司会 トップを目指そうという人達は自己規制に優れているんでしょうね。

河口 少年達はそういったことすらも考えてないでしょう。将棋の為にああしちゃいけない、こうしちゃいけないなんて。

石堂 僕なんかはそういった将棋の強さと人間的なものがどうも結びつかなくてイメージが持てませんね、これからどうなるか、ということが。そういうイメージを持てないことが淋しいですね。新人類達が席捲している将棋界はまるでイタリアの政界みたいですよ。誰がどうなるか判らない。

司会 棋界にペンクラブができたのも画期的なことだと思うんですよ。

石堂 そう思えるのは危機感があるからですよ。

河口 それは言えますね。将棋連盟でも愛棋家という人達と縁遠くなっていることに気がついたんですね、それじゃいけないという事で。もっと世間にアピールしなければいけないという危機感ね。

石堂 碁の方は文壇大会はありますよね。将棋の方もあればおもしろいでしょう。

河口 いろいろと接点を見出してやっていきたいと思ってはいるんです。棋界と将棋ファンとのね。

山田 これからの活動を期待しましょう。

(中略)

司会 石堂さんが、まるでイタリアみたいと評した1987年の様相ですが、この辺をもう少し突っ込んでお話いただけませんか。

河口 棋界には合わせて19の公式棋戦があるんだけれどもね、驚いたことにひとつふたつを除いて優勝者の名前が全部違うんだね。驚くよりあきれたね。

山田 先ほども触れていましたけれど、中堅、低段の棋士のレベルが上がったんでしょう。

河口 上がったのは確かですが、上がちょっと落ちている気がしますね。そうでなければあんなにコロコロ負ける訳がない、と思いたいですね。それでその象徴的なのが米長だね。さっきの16人だか17人だかの名前にないんだもの。

石堂 我々の世界はね、映画監督10年説というのがあるんですよ。本気でやったら10年がいっぱいで、後は余生でやる。将棋の場合はそれが通用しないからね。

河口 ひとり例外の人がいるでしょ将棋界は。あの人についえは論理が成り立たないから。確かに大山ほどの人が情報豊富な今の時代に生まれていたら凄いことになっていると思うね。

山田 大山はともかく、今のA級が落ちているとすれば、下の者にとってはチャンスですよね。順位戦は制度的に無理としても。別の見方をすれば高橋のように二冠持っている者がB2にいる、というのは正常ではないと思いますがね。

河口 ただ順位戦というのは他と比べるとはっきり質が違いますね。

石堂 基本的には全員穴熊を指したいんだけど(笑)という感じですか。

河口 感じはね。負けて失うものがあるでしょう。他は勝てばプラス、負けても失うものがないという感じが多かれ少なかれね。そういう意味で竜王戦が誕生したのは大きな意味があるんですよ。やはり勝負は負けて失うものがないんじゃつまんないですよ。

山田 その辺の所を担当者として言いたいのは、順位戦より回転が早くてより厳しいものに、ということで3年がかりでこぎつけた訳なんですね。棋士にも反対はなかったし、喜んで貰えましたし、嬉しく思っているんです。

河口 その通りなんですが、もっと厳しくてもよかったでしょう。

山田 はじめはそういう意見もあったんですけれどもね。昇降級の人数をもう少し増やそうとかね。

河口 ちょっと不満なのは下の者が各段戦で上がっていかなくてはならないから不利でしょう。その辺が改善されないかなと思いますね。

山田 考慮の余地はあると思います。

司会 何年かすると順位戦とは違った竜王戦独自のランキングができて見比べられるのでおもしろいですね。

(中略)

河口 石堂さんが今の若手の10年後がどうなるかという話で思ったんですがね、僕もね、疑い始めてるんですよ。人間というのは年をとるにしたがって年々進歩するもんだと思うし、将棋界の考え方もそうだったんですよ。20歳で八段になれば30歳の頃は大名人になっているというようなね。大方がそう思ってると思いますよ。だから若くして四段になった方がいいと言うけれど、それはちょっと違うんじゃないかと思ってきたんですよ。この頃。

石堂 30代までに微妙な感じで香一本強くなるようなことがなくなって、10代後半あるいは20代前半でピークを迎えるというのは恐怖ですね。あとは余生ですもんね。

河口 僕は今の20代棋士全員に対して感じるんですね。

石堂 怪物大山、升田にしても最初は居飛車で頭が割れる程考えて指して、おじいさんになったら体力がなくなって楽な振り飛車を指す。という、そういった節目が今の新人類にはないでしょう。節がなくてファイバーグラスみたいにスウーッとのびているだけだからね。ところが人間は節目がなくちゃ生きていけない動物だからね、あの若い人達がいったいどこで節目を作るのか、そういう意味では信用してませんね。

山田 陸上競技でそのカベというのがありますよね、9秒8とか7とか。人間に限界がある訳で、棋界で若い時に活躍したからと言っても10年後には素晴らしい卓越した技術を持った棋士になるということは言えませんね。ちょっと早く成長したことは事実としても。

河口 だから、そういった見方が出てきたというのが大きいんじゃないかな。昔は絶対になかった考えだもの。谷川が名人になった時にもなかったもの。末は大山名人を越えるんじゃないかという意見はあってもね。事実今の谷川とその当時を比べればはるかに名人の頃の方がよかったもの。将棋や成績がね。

石堂 その伝で行って羽生善治は今が一番強いとしたら悲劇だね(笑)。これからは落ちるばかりで。

司会 新年号の升田-内藤対談の中でも内藤先生が同様のことをおっしゃっていましたね。

河口 今までは将棋の技術的な面が、神様がいるとしたら相当近づいてきたんじゃないかと言われてましたが、ところが本当は100のうち20か30のレベルでとても90なんて事じゃないので、皆が強くなれるんじゃないか、という気もしますね。

山田 芹沢さんなんかは100のうち5だなんて言ってましたけれどもね。5ぐらいなら誰でも行けると。藤沢秀行さんは6だって言ってましたが(笑)。

河口 記録のカベと同じでどのくらい進歩するか判らないけれども。

(つづく)

* * * * *

昭和から平成に移り変わる前の年の、激辛座談会。

この時のタイトル保持者は次の通り。

中原誠名人
高橋道雄十段・棋王
桐山清澄棋聖(南芳一八段が挑戦中→奪取)
谷川浩司王位
塚田泰明王座
中村修王将(南芳一八段が挑戦中→奪取)

つい最近まで中原・米長時代だったのが、中原誠名人は一冠のみ、米長邦雄九段は無冠という時期。

20代への世代交代が始まったか、という流れだった。

* * * * *

そのような中、河口俊彦六段(当時)の、

「だけど20代じゃないんだ、10代なんだね、今は。それで今までの若手と同じ物差しじゃ計れないんですよ、羽生を代表とする何人かは。レベルが随分と上がっている」

「僕は違う方向へ行くと思うな。3、4人の若手がまとめてくると思いますよ。名人はともかく、他のタイトルは10代が3つ4つ取るんじゃないかな」

は、まさしく近い未来を的確に予言していた。

* * * * *

また、河口六段の「つまり僕はね、ここ1、2年は将棋界の産業革命が起こったと思うんですよ、技術革新がね」も見事な視点で、2005年に先崎学八段(当時)が、同様の主旨の記事を書いている。

先崎学八段(当時)「すべてはふたりが変えたのだ。あの時から将棋界は変わっていったのだった」

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「だから、彼らが10年もつかもたないかというのは大問題でしてね。普通20から30にかけては人格形成の時期といわれるでしょ、それと並行して将棋も強くなっていくんならともかく、ぱっと強くなってそれからいきなり酒と女という二つのカベにぶちあたって、コロッと狂って2、3年後には見るも無惨になってしまうんじゃないかという」

このような図式に陥らないということは、羽生世代以降の棋士たちが証明している。

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「だからたったひとり書きたい素材がいますね。あの苔丸の村山(笑)」「皆さんそう言いますね。師匠の森といっしょにインタビューしたいとか」「別に奇行の持ち主というんじゃなくて、何かこちらに伝わってくるものがあるんですよ。人間味というかね」

四段デビューして1年程でこのように思われるのだから、村山聖四段(当時)の個性が際立っていたということだ。

森信雄五段(当時)と一緒のインタビューがあったら、本当に貴重なものとなっていただろう。

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「羽生や森内なんかはどうも女に溺れるようなタイプにはみえないんだけれどもね」「それは谷川や高橋にもいえるね。彼らは一種独特の女性に対する拒否反応みたいなものがあるみたいだし」「中村はちょっと雰囲気が違うかな」

中村修王将(当時)は、喜んでいいのかそうではないのか、とても微妙な気持ちになったと思う。