中村修七段(当時)の非常に説得力がある講座

非常に説得力があるとともに、心がけることができれば勝率アップは間違いないかもしれない、と思える講座。

将棋世界1990年7月号、中村修七段(当時)の「プロのテクニック」より。

近代将棋1990年1月号より。

 今任意に選んだプロ棋士10人に、ある大差の局面から指してもらうとする。

 まあ、ほとんどが本筋に沿った寄せ方を見せてくれると思うが、多少の緩みも許されるとなれば一気に行こうとする人、安全勝ちを目指そうとする人など様々であろう。

 速く勝つのが最善とは思わない。手数ではなく、自分の一番間違いにくい勝ち方に誘導する事が最善と思う。

 見落としなどが重なり、9対1ぐらいの形勢になると相手もあきらめてしまう。

 こんな時こそ一番危ない。相手のそんな雰囲気が伝わると同情のあまり「早く楽にしてあげよう」などと考え、早指し気味となり読み不足に陥る。

 中には無意識の内に希望を持っているのにあきらめの態度が外に出てしまう人もいる。これを一般に「死んだフリ作戦」(私は使いませんよ多分)と言い、終盤戦に於ける高度な戦術の一つである―。

 冗談はともかく、本来、優勢な時こそ落ち着いて指さなければいけないはずで、大差にした責任を取るためにもしっかりと勝つ必要がある。

 さて、実際に大差将棋を勝つにはどうしたら良いものか。第一に考えられるのは当たり前ならが悪手を指さない事である。

 大きな差があれば少しの緩手ぐらいではビクともしないが、悪手は一手で逆転の可能性があるから怖い。

 優勢を維持するためには勝負手らしき手は狙わない事(失敗すると悪手になるため)。平凡かつ堅実にポイントを稼ぐ指し方がベストの様に思う。

 それと9対1の形勢が6対4までに近づいてもあわてないことだ。少しのリードさえ残っていれば、間違えない限り必ず勝ちきれるはずだから。

 そして第二には、逆に相手に悪手を指してもらうという事である。実戦例で説明してみたい。

 1図(私の実戦より、対大内九段戦。王様の堅さこそ同じぐらいですが、銀桂交換の駒得、駒の働き、手番と先手の条件が勝り、必勝と思える局面です。但し、将棋には持将棋模様以外に判定勝ちはないため、9一玉を詰めるまで安心してはいけません)の形勢判断をしてみると駒得で働きも良く、7対3ぐらいと思っていた。相手玉も堅いが自玉も安全。かなりの無理も利く形である。

 そこで▲6二銀などという過激な順も浮かんだが、以下△6二同金上▲同馬△同金▲同竜△7一銀打▲7三竜△同銀▲3一飛までの進行はいかにも強引過ぎるし、5.3対4.7ぐらいで差もわずかとなってしまう。ほかには▲6五歩と突き出す手も△6五同歩なら▲6四銀をみて、一見本筋と思える。しかしこの場合は最悪のタイミング、以下△7五歩▲同歩△同馬で、次の△6五馬が王手竜取りのラインに入ってしまい、逆転ムードとなってしまう。

 後手からは速い攻めがないという事、これをしっかりと認識しなければいけません。結局、指した手は▲5五歩。

 これは、▲5四歩~▲5三歩成~▲6二との狙いだが一目遅い感じがする。対して△5三歩と受けようものなら▲5四歩△同歩▲5三歩とかえって攻めが速くなるため適当な受けはなく、後手は攻め合う一手となっている。

 こちらも初めからと金攻めが間に合うとは思っていない。つまり、この▲5五歩は、「早く来ないと、と金を間に合わせてしまうよ」「今が最後の攻めのチャンスだよ」と言う様なもので相手の無理攻めを催促しているのだ。

 こうした態度をとられると、当然ながら誰でも怒って攻めてくるはず。

1図以下の指し手
▲5五歩△7五歩▲同歩△9四歩▲7四銀(2図)

 △7五歩~△9四歩と自陣を顧みず攻めて来た手は、差し詰め怒りの逆襲といった所。喜んで▲9四同歩は、△9六歩▲同香△8四桂▲9五香△7五飛と捌かれてつまらない。

 端は無視して▲7四銀(2図)と飛車を取る手が分かりやすい。

2図以下の指し手
△7四同飛▲同歩△4七馬▲7三歩成△同銀▲9四歩(3図)

 △4七馬から次に△7四馬と引かれると粘られそうだ。軽く▲7三歩成と成り捨て、今度は薄くなった端を取り込んで(3図)必勝形である。

 この将棋のポイントは▲5五歩に尽きる。大差だからといって勝ちを焦ることなく、逆に手を渡された後手は、と金攻めより速い手を見つけなければいけない。多少の無理をする。先手はそれに付け込む。

 自分で動くより、相手に動いてもらった方が勝ちが速くなるという、好例である。

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中盤であまりにも優勢になった場合、

  • 相手に残されているわずかな狙いも封じて完封してやろう
  • とにかく今の優勢を保ちたい

というような思いが浮かんできて、手が伸びなくなることが多い。

例えば自宅に銀行に預けるわけでもない10億円の現金があって、お金は一銭も減らしたくないと思いながら日常生活を送っていたら、(盗まれはしないだろうか、日本がインフレになったらどうしよう)などの心配事が増え、ぎこちない生活になってしまうだろう。

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「優勢を維持するためには勝負手らしき手は狙わない事(失敗すると悪手になるため)。平凡かつ堅実にポイントを稼ぐ指し方がベストの様に思う」

一般的には株も有効な投資手段の一つだが、10億円で満足し、10億円を減らしたくなければ株には手を出すなということ。

「それと9対1の形勢が6対4までに近づいてもあわてないことだ。少しのリードさえ残っていれば、間違えない限り必ず勝ちきれるはずだから」

株に手を出して6億円まで減ったとすればかなりパニックになるだろう。

しかし、過去の経緯は忘れて、6億円も持っていると思えば、豊かな気持ちになれる。対局の最中に、失われた4億円のことについて考えてはいけない。

とは言え、当事者になってしまうと実行は非常に困難だ。

心したい。

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「そして第二には、逆に相手に悪手を指してもらうという事である。実戦例で説明してみたい」

これができるようになれば、香車1枚どころか、角1枚強くなれると思う。

「相手に手を催促して、相手に悪手を指してもらう」というテーマの技術書があれば、かなりためになるのではないだろうか。