谷川浩司王位(当時)「将棋牢というのがあれば先崎五段なんかを一日閉じ込めるっていうのもいいんじゃないかと……」

将棋世界1990年12月号、林葉直子女流王将(当時)の第3期竜王戦七番勝負第1局「現地取材レポート」より。

将棋マガジン1991年1月号より。フランクフルトにて。撮影は弦巻勝さん。

「ネタがないっ!」

 私はフランクフルトにまで来てこんなことを嘆くなんて思いもしなかった。

 何か面白いエピソード見つけて書いてきますから、と将棋世界編集部に大ボラ吹いたことを後悔した。

 両対局者に会ったのは対局日前日の前夜祭会場である。

 そこで、ひとことご挨拶をした程度で話を訊くチャンスにも恵まれなかったのだ。

 フランクフルト市内のインターコンチネンタルホテルは、国際色豊かな前夜祭パーティ会場にて

「時差ボケは?」とアナウンサーの質問に羽生竜王は

「ええ、特にありません」

 と含羞みながら笑顔で答えていた。

 かたや谷川王位はジョーク混じりの

「普段が規則正しい生活を送っているわけではありませんので、特に時差ボケは感じません」

 とオシャレな応対で場内を沸かせていた。

 結局、私は谷川、羽生両先生をお見かけしたのは、これっきりで翌日には、竜王戦第1局という大勝負が開始されたのである。

 対局が開始された1日目はお会いすることなく過ぎてしまった……。

 両者に面白いエピソードは何かないかとあっとこっちに訊きまくったのだが、返ってくるのは

「別に何もないですよ」

 と素っ気ない答えばかり。

 なんなのだ。

 フランクフルトに来て私は、何度となく失笑されたというのに。

 以前、お会いしたことのある外人さんが、話しかけてくださったのに、私ときたら、英単語を思い出す前に日本語をしゃべってしまって

「どうもぉ、お久しぶりです」

 という始末なのである。

「そんなことを言っても分からないわよ」

 と周りにいた人に言われても、相変わらず「どうも」の連発。

 こうなれば相手が英語だろうが、ドイツ語だろうが、日本語の普及のためにと私は、強くたくましく日本語で貫いたのだ。

 同行した、植山(中井)夫妻や私の友人二人には、笑われっぱなしだったような気がする。

 海外2回目の羽生竜王と今回が初めての海外という谷川王位。

 将棋では勝負にならないが、英語力だったら同じ程度ではないかと期待していたのだが、そういう場面に遭遇しないのである。

 両対局者よりも2日遅れて現地入りした私は、お二人が一緒に関係者の方々と観光されていた、というぐらいの情報しか耳にしなかった。

 こうなれば終局後に勝者に話を訊かせてもらおうといい考え!?を思いついた。

「谷川良しじゃないか」

「いや難しい、わけの分からん将棋だ」

「時差ボケじゃないの?」

 いろんな言葉が飛び交った……。

 そして、午後6時45分に羽生竜王が静かに頭を下げ投了。

 中世のロマンの街フランクフルトで行われた竜王戦第1局は、谷川王位に勝利の女神が微笑んだ。

<谷川王位にインタビュー>

 オランダから谷川王位の兄(俊昭氏)ご夫妻も応援に駆けつけていて、打ち合げ終了後は親族だけで、勝利を祝いたかっただろうに、谷川ファンの友人も引き連れて私はお邪魔虫させてもらった。

「あれ、やっぱり挑戦者としてのほうが調子いいんじゃないの?」

 私が質問することがまとまらずに、シドロモドロしているのを見て、谷川先生のお兄さまは、さりげなく弟に訊いてくださった。やさしい。

「あ、そうかな。やっぱり挑戦者としてのほうが気が楽だし……」

 ざっくばらんに素直に答える谷川王位。

 そんな情景を見ていると私もいろいろ訊くことがあるのに気がついた。

Q.海外で対局というのは、観光よりも将棋のことが気になる?

「いいえ、まったく対局前日までは気になりませんでした。逆にうきうきしていたぐらいで、楽しみでしたからね」

(さすが、大物は違う……?!)

Q.羽生竜王と観光もずっとご一緒で?

「ええ、関係者全員バスで行きますから」

Q.観光でよかったところは?

「ハイデルベルグはよかったですね。あと学生牢なんかも面白かった。皆で話したんですが、将棋牢というのがあれば先崎五段なんかを一日閉じ込めるっていうのもいいんじゃないかと……」

(もしも、将棋牢なんてあったら、私は何年もほうり込まれそうな気がする…)

Q.外国のホテルということで指しにくかったのでは?

「いえ、そうでもないですけどね。そういえば、畳じゃなくてジュータンだったので将棋盤の重さで、駒台が盤と同じぐらいの高さになってしまって……。それでは変だ、と盤の足の裏にドイツマルクを何枚か重ねて調整してましたね」

(日本じゃ考えられない話。後で確かめに行くと100円玉も数枚あった。へんなの……)

Q.羽織袴を羽生竜王はご自分で着られるのでしょうか(谷川王位に質問するべきものではないが……)

「ええ、そのようですよ。わりと早く着られるようですね。昼食休憩のとき、いったん洋服に着替えてから、食事をしていたようですが、それから対局再開の時間まで15分足らずの間に和服を着ていましたので・・・」

Q.ちなみに谷川王位はどの位?

「私も同じぐらいで、10分ぐらいです」

(ちなみに私は、ゆかたしか着れません。海外対局のことも考えて習わなきゃ?!)

 衛星放送をご覧になっていた方はご存知かもしれないが、2日目の対局中、羽生竜王が、お茶をポットから注ごうとしたのだが、うまくできず、首を傾げていた。それをジッと見つめていた谷川王位…。

Q.衛星放送でその状況が映りましたが。

「アハハ、私も教えてあげればよかったのですが、意地悪でしたか?いや、教えようと思ったら、堀口先生が先に…」

(意地悪とは、まったく思わなかったがすごく面白かった。私もきっと教えない…??)

Q.対局中ウーロン茶とか飲みたくなりませんでしたか?

「いえ、私は緑茶で、羽生竜王は、ずっとほうじ茶を飲んでましたけどね」

Q.最後にこの将棋の終局間際の手なんですが、▲6三角に△5二香打とされたらどうなるんですか?

「え?いや実はですね、難しいと思っていましたが……」

 時折、頭に手をやりながら丁寧に答えて下さった谷川王位。有難うございました。

 そんな弟を誇らしげに、そっと見守る兄、俊昭氏。その横で微笑みを絶やさぬ天使のような奥さま。

 身内の応援が何よりの支えとなったのかもしれない。

 一方、羽生竜王には話を訊くことができなかったのだが、七番勝負の道程は長い。時差や環境変化に多少のズレがあったのかもしれないが、これから日本で火花を散らしていただきたい。

 異国の街で日本の伝統文化頭脳プレーである将棋を華麗に見せつけてくれた両雄。ロマンと戦いの街ドイツで第1局は幕を閉じた。

 竜王戦第2局は10月31、11月1日に行われる。

 さらにロマンと芸術をかけて戦ってほしい。

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フランクフルトで行われた竜王戦第1局。立会人は二上達也九段と大内延介九段。記録係は堀口弘治五段。日本からのツアーの団長格が原田泰夫九段。独自のルートで植山悦行五段、中井広恵女流王位、林葉直子女流王将がドイツ入りした。

* * * * *

「それでは変だ、と盤の足の裏にドイツマルクを何枚か重ねて調整してましたね(日本じゃ考えられない話。後で確かめに行くと100円玉も数枚あった。へんなの……)」

盤が絨毯に沈み込んだ時は、関係者もかなり焦ったことだろう。

それにしても、硬貨を下に敷くとは妙案だ。

ドイツマルク以外に100円玉もあったというところに、並大抵ではない苦労の跡が見える。

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谷川浩司王位(当時)は帰国後、将棋世界編集部からドイツの紀行文を書いてほしいとの依頼が来る。

「こんなことなら、林葉直子に色々とネタを教えるんじゃなかった」

と思いながら書いたのが、次の紀行文。

非常に面白い。

谷川浩司王位(当時)の不思議な味の紀行文

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皆で話したんですが、将棋牢というのがあれば先崎五段なんかを一日閉じ込めるっていうのもいいんじゃないかと……」

将棋世界同じ号、中村修七段(当時)の「プロのテクニック」より。

「中村さん、断髪式見ませんか」

 ある朝、電話で先崎五段に起こされました。てっきり悪さをして、頭を丸めるつもりなのかと眠い目をこすって聞いてみるとそうではなく、「団鬼六先生の招待で北天佑の断髪式を見に行きましょう」というので早速出かけることに決めました。但し、北天佑というのは先崎君の間違いで本当は、元小結前乃森の断髪式でした。

(以下略)

将棋牢や断髪式など、すべてに先崎学五段(当時)が引き合いに出されている。

これはこれで、非常に素晴らしいことだと思う。