将棋世界1991年9月号、羽生善治棋王(当時)の連載自戦記〔第39期王座戦本戦トーナメント 対 中原誠名人〕「恐ろしい攻め」より。
5月は1局と対局も少なかったのですが、6月は5局、間隔が短いと勝つにしても負けるにしても勢いがつきやすいのです。
どうにか良い流れにして波に乗りたい所です。
中原名人とは久しぶりの対戦。
調べてみると何と2年ぶりということでした。
1回当りだすと続けてということもあるのでこれからが楽しみです。
本局は王座戦の本戦の2回戦、ここを勝てばベスト4です。
対局当日の朝、盤の前に座っていると鈴木輝彦先生が入って来て観戦記者の席に座られました。
やはり現役のプロの人が観戦記者として入って来ると妙な気分。
当然ながら対局がやりにくいということは全くありませんけど。
先日も先崎君が観戦記者だったのですが、席に着くなり週刊誌を読みだして、その態度、仕草が妙に板に付いているので感心してしまいました。
(中略)
本局は今年度7局目、そして初めての先手番です。いずれも振り駒だったのによく6局も続いたものです。
ですから、ずっとこのまま後手番が続いたら面白いのにという気持ちと、早く先手番で戦いたいという気持ちが入り混ざって複雑な心境でした。
(以下略)
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「先日も先崎君が観戦記者だったのですが、席に着くなり週刊誌を読みだして、その態度、仕草が妙に板に付いているので感心してしまいました」
このような仕草は、どんなに長く続けていても様になる人は限られている。
先崎学五段(当時)でなければできない芸と言うこともできるだろう。
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「ずっとこのまま後手番が続いたら面白いのにという気持ちと、早く先手番で戦いたいという気持ちが入り混ざって複雑な心境でした」
もし、先手番が続いていたとしたら、このような気持ちは果たして起きていたのだろうか、と一瞬考えたが、羽生善治棋王(当時)のこの期のここまでの戦績は全て後手番で5勝1敗。
統計的に勝率の良い先手番を持ちたい、という気持ちではなく、手番を変えていろいろな戦型を指したい、試したい、という気持ちの方が強かったのだと考えられる。
そういうわけなので、羽生棋王に先手番が続いていたとしても、「ずっとこのまま先手番が続いたら面白いのにという気持ちと、たまには後手番で戦いたいという気持ちが入り混ざって複雑な心境でした」ということになっていたのだと思う。
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ちなみにこの一戦は、後手番の中原誠名人が勝っている。